第4話 噛まれた

 チバの家に来てから、何日か経った。

 そして最近、気になることがある。



「……」

「……」



 チバはなぜか、私の顔をよく見てくるようになった。


 じっと、じーっと。

 穴があきそうなくらい。


 でも、視線が気になってこちらから目をやった途端、チバはふいと顔を背けてしまう。


 かと思えば、またすぐにじっと見てくる……そんなことの繰り返しで、チバがつけてくれた“テレビ”にも集中できない。




 ***




 何日か前。


 大きな黒い箱の回りをうろついて色んな角度から観察する私に、チバは笑いながら教えてくれた。



「それは、テレビ」

(てれび……?)

「ちなみに、こっちはパソコン」



 そう言って“ぱそこん”を膝の上からテーブルへ移動させると、ソファーから立ち上がり“てれび”に歩み寄るチバ。


 チバが横にあるボタンをぽちっと押した瞬間――箱の中に小さい人が現れたものだから、私の目は釘付けになってしまった。



「!!」



 不思議だな。どうなってるのかな?

 この中に人が入っているのかな?


 それからずっと、私は“てれび”に夢中。




 ***




 でも最近はチバの目線が気になって、それどころじゃない。



(……)



 いい加減、出て行ってほしいと思ってるのかな。


 そんな考えを抱いた日もあるけれど、どれだけ時間が経ってもチバは文句一つ言ってこないし、怒ったのも私が初めてお風呂に入ったあの時だけ。


 そう……ずっと、チバは優しい。



「……」



 また、注がれる眼差し。


 ビー玉みたいに綺麗な黒い双眸が、真っ直ぐに私を映している。



(なーに?)



 そういう意味を込めて、首を傾げて見せた。


 けれどチバは、



「……いや、なんでもないよ」



 いつもみたいに微笑むだけ。



(……ごまかされた!)



 それくらい、私にだってわかるんだから。



(じゃあ、なんで見てくるの?)



 なんでもないと言ったくせに、テレビに意識を集中させればこちらを見てきて……私が目線に気づくと一瞬逸らされるけれど、またすぐその双眸を向けてくる。


 いい加減に、胸がムカムカしてきた。



「言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ!」



 テレビの中にいる小さな女の人が声を張り上げる。



(うんうん)



 それに同意して、二、三度深く頷いた。



「……ちょび。チャンネル、変えてもいい?」



 壁にかかった時計を見ながら、チバはやっと普通の話題を振ってくる。



(だめ!)

「あ、このドラマ見てたんだ? ごめんごめん」

「……」



 さっきから、ずっと見てるのに!

 それがわからないくらい、チバは私のことを見てたんだ。



「…………」



 ムカムカ、モヤモヤ。


 何食わぬ顔でソファの背もたれに体を預け、本を開いて読み始めるチバ。

 そのすぐそばへ、四つん這いで猫みたいにトコトコと近寄る。



「……ん? なに?」

(それ、私のセリフ!)



 口を尖らせれば、チバは不思議そうな表情を浮かべて眉を八の字にした。


 彼の足元に座って、整った顔をまっすぐに見上げる。



「……ちょび、どうした?」

「……」



 チバは、どうして私を見てくるの?



「……」



 しばらく無言で見つめあっていると、不意にチバは手元の本を閉じてテーブルに置いた。


 それから、すっとこちらへ伸びてきた右手が、私の頬にそえられる。



「……?」

「前も言ったけど……ちょび、綺麗な髪だよね」



 おもむろに口を開いたかと思えば、チバは左手で私のボブヘアーを撫でた。



「あと、可愛い」

「!?」



 微笑んだままの彼は、なんでもないことみたいにそんな言葉を落とすから、一瞬で顔に熱が集まってしまう。



「……だから、見知らぬ男を誘っちゃダメだよって忠告したのに……」

「?」

「……記憶のない……しかも、年下の女の子を襲うなんて……最低すぎて、ものすごく良心が痛むんだけど……俺だって、一応『男』なんだよ? ちょび」

(おそう……?)



 やっぱり、チバは悪い人?

 私を食べる気なの?


 逃げなきゃと身構えた途端に片腕を優しく掴まれてしまい、それからチバの顔が近づいて、



「……っ」



 頬に、唇が触れた。



(……いまの、なに?)

「……キス、だよ」

(きす……?)



 きすって、魚の?


 混乱している間に、今度は耳たぶにチバの唇が触れて、



「……これ、キスって言うんだよ」

「〜〜っ、」



 チバの低い囁き声が、頭の奥まで入り込む。


 キス。

 唇をくっつけるのは、キス。



「ちょび……嫌なら抵抗して?」



 ……わかんない。



「じゃないと、やめられないから」

(チバ、わかんないよ)



 嫌かどうか、わからない。


 ただただ恥ずかしくて、心臓がすごくドキドキしていて……熱があるんじゃないかと思うくらい、顔があつい。



「ちょび、」



 私の鼓膜を撫でる、甘い声。

 チバの顔が、近い。


 男の人なのに長いまつ毛がよく見えて、息がかかりそうな距離にチバがいる。



(ち、ば、)



 彼の手が、そっと私の顎を持ち上げた。


 二つの黒いビー玉がわずかに揺れてから、



「――っ!?」



 鼻に、甘く噛みつかれる。



(た、食べられる!?)



 移動した口はほっぺにも優しく歯を立てて、



「……っ、……っ!?」



 次に、耳たぶをはむり。

 なんだかとてもくすぐったくて、思わず肩がびくんと跳ねた。


 やっと考えが追いついた頭でチバの言葉を思い出し、両手で彼の体を押し返す。



(チバ、くすぐったい!)

「……」



 ちゃんと抵抗したのに、はむはむが止まらない。


 くすぐったいよ、チバ。

 食べないで。


 ぐいぐい押してみても耳たぶにくっついた唇が離れなくて、それどころか、



「……ちゃんと『いや』って言って?」



 チバは耳元で囁き、わざと息を吹きかけてきた。


 恥ずかしい。

 くすぐったい。



「……っ、」



 心臓が、ドキドキうるさい。



「……ほら、」

「……っば……ち、ば……! く、くすぐっ、たい……!」



 唇を開いた途端、喉が震えて誰かの声が耳に届いた。

 絶対に、チバのじゃない。女の子みたいな、高い声。


 呆然としていると、チバは少し体を離して私の目を覗き込み、



「……やっと喋った」



 そう言って、微笑みながら頭を撫でてきた。


 ――……今の声は、私?



「声も可愛い」

「……ち、ば」



 喋れたのが嬉しくて、もう一回呼んでみる。


 チバは、



「はい、千葉です」



 と短く返して、ただにこりと笑った。


 そんなチバを見ただけで、私の胸は少しだけきゅっと締め付けられたみたいに痛くなる。



「……?」



 心臓は相変わらずドキドキ高鳴っていて、それがなんなのかわからない私は首を傾げてばかりだ。

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