第7話 縫殿助と彌栄と父の若かりし日のこと
「彌栄殿。お加減はいかがかな。こたびの件で、さぞかし気落ちなさったであろう」
母の病床のかたわらに座ったらしい縫殿助が、もの静かな声で言い出した。
「ありがとうございます。こたびの篤きご采配、伏して御礼申し上げます」
夜具のうえに上体を起こしたらしい彌栄が、おっとりと礼を述べている。
「いやいや、わしはただ居るだけで、何の役にも立たぬ。小梢殿が甲斐甲斐しく気をつかい、万事、取り計らっておるわい。彌栄殿、まことよき娘御に育てられたのう」縫殿助の声音は彌栄への労わりに満ちている。褒められた小梢は思わず赤くなった。
*
若い頃、縫殿助は父の恋敵だったと聞いている。
はるか昔、その当時はまだ中老だった縫殿助邸で、星野一族の寄合いが開かれた。
床の間を背にした縫殿助は、切り提髪の小梢を「これへ」とやさしく手招きした。
「何と愛らしい女子になりおって。いやはや血は争えぬものじゃ。潤んだ大きな目の辺り、蕾のごとき口もと、ちんまりした鼻まで、何もかも母君にそっくりじゃな」
小梢を膝に抱き取ると、鉢の菓子をどっさりと持たせてくれた。
そのときの縫殿助の温かさを、小梢はいまも忘れていなかった。
――有徳とは、ああいう人物を指すのだろう。
彌栄がなぜ縫殿助でなく父を選んだのか、奈辺の事情を小梢は知らされていない。
母にとって、その選択が正解だったのかどうかも……。
だが、縫殿助が現在も彌栄を想っている。
そのことは、だれの目にも明らかだった。
父も兄も亡きいま、女所帯に手を差し伸べてくれる人がいる。
しかも、高遠領を実質的に取り仕切る、ご家老の身分である。
その明々白々な事実が、いまの小梢には、素直にうれしい。
――殿方は、やはり、実力がなくてはならぬ。
縫殿助に比すれば、亡き父の生活力が旺盛だったとは、贔屓目にも言い難い。
家庭を大事にしてくれた亡父には申し訳ないが、小梢は冷静に分析していた。
*
「ところで、かようなときに何ではあるが……跡取りはどうなさるおつもりじゃな」
他人目を忍んで母の病室を見舞ったご家老の目的は、やはり奈辺にあったようだ。
「とつぜんの出来事ゆえ、いまは……」
答える母の声は心細げに震えている。
「如何にも無理はない。そう急くこともあるまい。じゃがな、武家の後継はことほか重要な問題ゆえ、ゆめゆめ疎かにはできぬと思うての。どうじゃな、わしの考えでは小梢殿に急いで婿を迎えると、かように肚を括られるしかあるまいと思うが……」
「はい。わたくしもさように……。縫殿助殿。わが家に男子なきいまは、縫殿助殿が頼りでございます。すべてにおいて、どうか、よろしくお取り計らいくださいませ」
やわらかく包みこむがごとき縫殿助の説得に、
――ご両名の睦まじさは、こちらが照れるほどじゃ。
それにしても、このわたくしが婿取りを?……。
小梢はふたつのことに頬を熱くしながら、そっとその場を離れた。
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