ワイバーンの啼く9月

高栖匡躬

第1話 ある男   ~トロールの襲来~

――はじめに(この作品は)――

 本作品はRPGゲーム『アナザーエデン 時空を超える猫』の、ゲーム内サブクエストとして書かれています。元々のゲーム設定を知らなくても楽しめるように配慮はしていますが、それでも幾つかは疑問に思われる個所があると思います。そこで巻末に、本作に登場するゲーム内設定の用語集を設けました。疑問に思われる個所があった場合は、巻末を参照いただくと、理解の助けになると思います。

 それでは、本作をお楽しみください。

――冒頭注意書き|おしまい――



 それは9月の厚い雨雲が垂れこめる、月のない夜だった。

 陽が落ちてから急に冷え込んできた空気は、今や高山に棲むドラゴンが吐くフロストブレスのように冷たい。

――まるで、降り続いている雨を雪に変えそうなほどに。


 ヌアル平原の上空には時折紫色の電が走り、その度にゴロゴロと腹に響く低い雷鳴が轟いた。小一時間ほど前までは遠雷と思っていたその音は、次第に大きく近く響き始めていた。

 アルドが右手に掲げたたいまつは、松脂まつやにを十分に含ませていたおかげで雨の中でも燃え続けていたが、さすがに長時間ともなると火の勢いは弱まりつつあった。

「もう少しだ、急ごうフィーネ」

 アルドと妹のフィーネが向かっていたのは故郷のバルオキー村。2人はそこから遥か東方、ガルレアの地で、養父である村長が体調を崩したという手紙を受け取り、冒険の旅の途中で駆けつけてきた。ヌアル平原に立ち寄ったのは、薬草を集めるためだった。手紙の中に、エルフに伝わる秘薬のレシピが書かれていたからだ。

 手紙を書いた人物に心当たりはなかったが、文面からして怪しげな人物が書いたとは思えなかった。


「お爺ちゃん、大丈夫かなあ」フィーネが心配げに言った。

「大丈夫さ、爺ちゃんはちょっとやそっとのことで、まいってしまうやわな男じゃない。お前も知っているだろう」

 アルドはフィーネを励ますように努めて明るく振舞った。それは自らの不安を打ち消すためでもあった。

 雨脚が強くなり、たいまつの火が小さくなったその矢先だった。

 パ――ン

 不意に空気を切り裂く破裂音が響いて、フィーネの横顔を明るく照らした。

「キャッ!」と短い悲鳴を上げしゃがみ込むフィーネ。そのフィーネの僅か100mほど先の広葉樹の大木が、垂直方向に真っ二つに切り裂かれてメラメラと炎をまとった。

「耳を塞いで体を低くしろ、フィーネ」アルドが大声を上げた。

 至近距離での落雷は衝撃波を伴う。アルドの耳の奥から鼻にかけては、鋭い痛みが走っていた。

『鼓膜が破れたか?』

 一瞬嫌な思いがよぎったが、すぐに木が燃えるパキパキという音が聞こえてきた。『大丈夫だ、破れてはいない』

 アルドがすぐそばにいたはずのフィーネをみやると、大木の炎に照らされて、両耳を手で塞ぎながら中腰で歩く姿があった。どうやらフィーネにはアルドの声が届いたようだ。

「こっちだ」

 アルドはまた大声を上げて、大木の生えていない場所にフィーネを誘導した。そのアルドの声に被せるようにして、1つ2つ3つと、立て続けに破裂音が響いた。たちまち周囲は夜とは思えないほど明るくなり、フィーネの顔はオレンジ色のゆらゆらとした光に照らされた。


 ふと気づくと、アルドが握っていたたいまつの火はいつの間にか消えていた。しかし最早それは必要なさそうだった。何故なら被雷した木が、まるでバルオキー村に導く外灯のように燃えていたからだ。アルドはたいまつを投げ捨てた。

「お兄ちゃん。あれを見て!」

 フィーネが叫んだ。フィーネの指さす大木の生え際には黒い塊が見えた。うずくまってうごめく2つの影――

「トロールか?!」

 アルドは咄嗟に腰に下げた剣を握り、鞘から引き抜こうとした。

「人間がいる!助けなきゃ!」

 フィーネは言うが早いか、全力で走り出した。

「馬鹿野郎、頭を低くしろ! 木に近づいちゃだめだ!」

 アルドの声を遮るように、また雷鳴が響いた。周囲がまた明るくなった。

 2つの影の一方はトロールだった。トロールは中腰で立ち上がったと思うやいなや、一目散に闇の中に逃げ去っていった。駆け寄るフィーネの凄まじい形相に驚いたのだろう。

――1つの影だけが残された。

 フィーネはうずくまるその人影に駆け寄ると、背中から胸に両手を回して、大木のたもとから引きずり出した。

 その瞬間だった――

 大木には真上から鋭い稲妻が突き刺さり、周囲はひときわ明るく輝いた。

「フィーネ!」

 アルドはフィーネに駆け寄り、うつ伏せに倒れたフィーネの身を起こした。ぐったりとしているが息はある。

「おい、フィーネ!」

 アルドはフィーネの右の頬を、パシパシと平手でたたいた。

――薄目を開けたフィーネ。

 アルドはフィーネに「しっかりしろ」と声を掛けてから、フィーネが救い出した人影の安否を確認しにかかった。


――雨除けのためのフード付き黒のマント。

 アルドはそのフードをめくった。

「男か――」

 その人物はまだ若かった。アルドよりも年かさで、恐らく20歳台の前半と言ったところだ。炎に照らされて男の顔色が蒼白であることと、唇が紫色になっていることが分かった。――恐らく低体温症だろう。旅の途中で急に気温が下がって、ここで倒れこんだのだろう。

 男のマントの下からは、肩から袈裟懸けにした箱型の鞄が覗いていた。持ち上げてみるとかなり重い。

「助かりそうなの?」

 目を覚ましたフィーネがそばにきて、男を覗き込んだ。

「分からない」

 アルドにはそれしか答えようがなかった。

「どうする? このままここに寝かせておく?」

 フィーネの訊ねに、アルドは首を横に振った。

「村まで運ぼう」

 男は弱り切っている。このままここに放置すれば、冷気が完全に男の命を奪うに違いない。その前にトロールの餌食になることも考えられる。

 アルドが男を背に乗せるために腰を屈めると、フィーネはまるで『承知した』とでも言うように、男の肩に掛かったストラップを外し「こっちは私が運ぶわ」と箱型の鞄のハンドルを握った。


 ぬかるんだ地面と、下生えの雑草に足を取られながら歩く2人――

 その目の前に幾つもの影が集まってきた。1つ1つの影には2つの目が光っていた。炎の光が反射しているのか、それとも憎悪の炎を宿しているのか――

「トロールの集団だ!」

 アルドにはそれが何者かすぐに分かった。先ほど逃げ出したトロールが、仲間と共に集まってきたのだ。目前の眼光は無数にある。ざっと数えただけで10匹や20匹ではきかないだろう。或いは100匹を超えているかもしれない。

「どうする、お兄ちゃん?」

「決まっている、突っ切るまでさ」

 2人だけならマップ移動の力を借りて村まで一っ飛びもできるが、見知らぬ男を抱えている今はそうもいかない。かといって全てのトロールを片づけている場合でもない。雑魚とはいえ一々相手をしていたら、その間に背中の男の体温は増々奪われていくのは間違いがないからだ。アルドは剣を抜いて、歩を速めた。

「遮るものは容赦はしない!」

 フィーネはアルドの言葉に頷くと、アルドの背負う男を庇うように、その後ろに続いた。「背後から襲ってくるやつらは、私に任せて!」


 アルドが狙うのは中央突破。トロールは体が大きく、動きが鈍い。加えて言えば頭の回転も今一つ。密集すればするほど、自分たちの体がぶつかり合うために、全方向から同時に攻撃を受けることはない。直線で移動しながらであれば、前方と真後ろにいるトロール以外は全て壁のようなものだ。アルドは正面のトロールにだけ集中した。あとは立ち止まらぬように、突進するのみだ。


 素早く剣を振りぬき、急所に一撃。倒れたトロールの体を踏みつけながら、その後ろに立つトロールに更なる一撃。不意に目の前に現れた殺気に、虚を突かれたトロールたちの目には畏れの色が浮かぶ。しかし容赦はしない。

 瞬く間にトロ―ルの亡骸で、まっすぐな道が出来て行った。

 アルドの後を離れないように走るフィーネは、背後に殺気を感じるたびに杖を鋭く後方に突き出した。アルドの倒したトロールの上には、フィーネの杖に突き抜かれたトロールが折り重なっていった。


 幾重にも押し寄せてくるトロール――

 アルドはだんだんと右腕に痺れを感じ始めていた。トロールの体液と自らの汗で刀の握りが微妙に滑る。こうなっては幾ら剣の扱いに慣れていようと、急所にクリーンヒットを続けることは難しい。そして僅かでもその場所を外すと、片手に骨肉を切る衝撃が伝わってきた。

――最早握力も限界か。

 そう思われたとき、眼前にいたトロールが倒れた先に急に視界が開け、バルオキー村の暖かな明かりが見えた。外の騒ぎを聞きつけたらしい村の警備隊も駆けつけてきている。

「間一髪だ、助かった!」

 安堵するアルド。しかしその矢先に、後方から「キャー」というフィーネの悲鳴が聞こえてきた。重い鞄を片手に下げているために、踏みつけたトロールの体の上でバランスを崩したのだ。

 倒れこむフィーネの上には、トロールが幾重にも覆いかぶさろうとしていた。

「フィーネ!」

 背負っていた男を警備隊に預けると、アルドは全速力で元来た方向に走った。アルドは両手でしっかりと柄を握りしめる。そして全力で剣を一閃。――同時にトロールの首が3つ宙に舞った。返す刃でもう一閃。またトロールの首が宙を舞う。


 トロールたちは一斉にアルドに視線を向けた。と同時に、その目の中には怯えが広がった。アルドの殺気が完全にトロールを制していた。

「貴様ら!」

 アルドがまた剣を振りかぶると同時に、トロールたちは蜘蛛の子を散らすように灌木の奥に消えて行った。

一瞬の静寂――

「お兄ちゃん」

 起き上がったフィーネが、一直線にアルドの胸に飛び込んできた。

「もう大丈夫だ」

 アルドはフィーネの頭を撫でた。共に幾度もモンスターとの闘いを切り抜けてきた可愛い妹。百戦錬磨のように見えてもまだ16歳の子供なのだ。


「アルド、フィーネ、村長がお待ちだ」

 警備隊の隊長が2人に歩み寄ってきた。アルドもかつては同じ警備隊に所属していた身である。隊長は兼ねてから見知った顔だった。

「行こうフィーネ」

 アルドとフィーネは濡れた体で、村の門をくぐっていった。

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