第48話 ある村での出来事 -4-
「召喚術?」とユーリは声をあげた。
だから私はうなずいた。
ユーリの目が好奇心に満ちてゆくのが手に取るように分かった。
私は口角の片方をあげ、ほんの少しねじまき水路から離れると、そこら辺に落ちていた手ごろな木の棒で地面に模様を描く。
召喚陣だ。
まず横に長い直線を描き、次にその直線に五本の線を直角に等間隔で描く。
私は更に木の棒を地面に走らせた。
ザザザ、と土が削れる音が耳の奥に入り込む。
異界からこの地に呼び寄せようと思っているのは、最弱の召喚獣ラウロス。
ねずみと猫がかけ合わさったような召喚獣だ。
もっとも簡単な召喚陣であり、そしておそらくこの実験に最適な召喚獣でもあった。
――上手くできるだろうか?
それは分からなかった。召喚術の九割は召喚陣をきちんと描くことが出来たかどうかできまる。
だから、召喚術の半分は絵を描くことと同じね、と私が言うと「僕はそんなに絵がうまくないや」とユーリは笑った。
召喚陣を描き終えた私は、しゃがみ込み、出来上がった召喚陣に手を触れ、少し遠くでチョロチョロ流れるねじまき水路を眺めた。
――10mは離れているし、絶対に大丈夫。カルニバルの泉に影響はない。
間違えて魔の波動が届くことはない、と思った。
本当に当たり前だが、召喚術とは、召喚陣に魔の波動を流し込むことで行われる。
逆説的に言えば、魔の波動を召喚陣に流し込まなければ、何も起こることはない。
それに、魔の波動は直接触れているものでなければ流し込むことなどできない。
つまり、10mという距離はむしろ離れ過ぎと思えるほどに十分に離れた距離といえた。
「ユーリ、少し私の後ろにいなさい」と言い、ユーリが私のうしろに隠れたところを見てから私は改めて召喚陣に指を触れた。
そして、指先に魔を集めると一気に召喚陣に流し込んだ。
すると、召喚陣から閃光のような赤い輝きが飛び跳ね、その光と共に私と同じ大きさはある、ねずみとも猫ともつかない獣が飛び出した。
「うわぉあああああああああああ」と声をあげたユーリはその場でひっくりかえって、尻もちをついた。
よし、と思った。成功した。一発で成功。
はじめてとは思えないほど上手くいった。
呼び出された召喚獣ラウロスは大きなあくびをし、自らの後頭部を後ろ足でかき、そのまま召喚陣の上にうつ伏せの恰好で寝転がり、目を閉じた。
私は振り返りユーリに向かって「これが召喚獣よ」と興奮気味に叫んだ。
「さあラウロス、仕事をしてもらうわよ。私たちの朝食をとってきなさい」
私がそう命じると、召喚獣ラウロスは眠たそうに瞼をあけ、そのあと、甲高く不快な叫び声をあげ、溶け込むようにすぐさま霧の中へと消えていった。
しかし、この召喚獣は言うことを聞くタイプでよかった。
召喚獣は必ずしも術者の命令を忠実に守るわけではない。
場合によっては裏切ることさえある。
術者が服従し得る存在だと思えばこそ召喚獣は命令に服するのだ。
私はあの召喚獣であれば、たとえ素手で戦ったとしても負ける気がしなかった。
鋼鉄化させた腕で腹を切り裂いてやるのだ。
その気概がラウロスにも伝わったのかもしれない。
私は風の魔法を使い、周囲から木の枝を集めると、それに火をつけた。
すべて枯木だ。
ここで生活し始めてから覚えたのだ。枯木と生木の違いを。
枯木からは目が痛くなるような黒い煙はでなかった。
この間ずっとユーリは複雑な顔をしていた。
どうも感情が読み取れない。
驚いているのかまだ怖がっているのかよく分からなかった。
振り返り、上手く枯木が燃えてゆく様を見届けていると「うわぁあああああああああああ」とまたユーリが大声をあげ、今度は私にしがみついてきた。
召喚獣ラウロスがユーリの後ろからウサギを口にくわえ現れたのだ。
私はそんな可愛らしく驚くユーリの頭を撫でると、ラウロスに差し出されたウサギを手に取り、次にその毛皮をはぐ。
そして、そろそろのはず、と思いラウロスを横目で眺めた。
召喚獣はそのほとんどが活動時間というものが決まっている。
この地上で活動できる時間だ。
私はこの実験のために最も地上で活動する時間が短い召喚獣を選んで召喚した。
だからそろそろのはずなのだ。
ラウロスが活動できる限界時間は……
ラウロスはまるで本物の猫のようにダルそうな足取りで歩くと、召喚陣の上で丸まり、瞼を閉じた。
すると、星屑が消え去るようにラウロスは小さな無数の粒子となって空気中に溶けていった。
私は小さくうなずき、ユーリは驚いた目つきでそれを眺めていた。
計算通りだった。
活動時間を終えた召喚獣は光の粒となり、静かにこの地上を去る。
魔導書の通りだった。
だが、大体の召喚獣の活動時間なんてこんなものだ。
長くてせいぜい数時間程度だろう。
フェンリルの活動時間こそが異常なのだ。
記録にはないが、ヤツはほとんど永久に活動し続けるのだろう。
それこそ恐らく百年や二百年という単位で。
いやひょっとすると千年や二千年かもしれない。
そう思うと身震いがした。
その間にも私の手は止まることなく動き続け、ウサギを木の棒に突き刺し、火にかける。パチパチという木が弾ける音と共に香ばしい匂いが香ってきた。
「いいのかな? こんな道の真ん中で……」とユーリが眉をひそめて私に言ったが「大丈夫よ。みんなが起きてくるころには食べ終わってるもの」と言い私はウサギの肉にがぶりと食い付いた。
美味しかった。
適度な肉汁が口の中に広がってゆく。
そして、それをユーリに渡す。
ユーリも上手そうにウサギの肉を食べた。
「並んで食べると、まるで夫婦みたいね」というと、ユーリは顔を赤らめた。
だが、その自分の言葉で気がつく。
――夫婦?
そういえば、と思った。
思い出したのだ。ゾビグラネの言葉だ。
古代召喚陣には必ず説明版というものがあると言っていた。
それは必ず夫婦のように並んでいるものだ、と。
「夫婦……」と言ったまま私はふらふらとねじまき水路へと歩いてゆく。
「クアドラ?」というユーリの声が聞こえたが、そんな声などまるで頭に入ってこなかった。
私はねじまき水路の前までくると、カルニバル、と書かれた月が半分欠けたような形の石板を眺めた。
そして、その隣のまったく同じ大きさの半円の溝を眺めた。
これがひょっとして説明版なのかしら?
説明版は夫婦のように並んだ二つの石板からなる、とゾビグラネは言っていた。
もしもそうだとしたら、これは円形の石板が風化し崩れ去り、半分がどこかにいったのではなく……、元々半円の形をした石板だったということになる。
つまり、もう片方の半円の石板が存在するのだ。
そうだ。そうに違いない。
この石板は二つで一つなのだ。
そんなことを思っていると視線がねじまき水路の中へと向かってゆく。どうしてそう思ったのかは分からない。
だが、予感があったのだ。
この中に石板はある、というほとんど確信めいた予感が。
私はしゃがみ込んだ姿勢で、ジッとねじまき水路の流れを見つめる。
黒く波打つ水面に、心地よい水流の音が混ざり込み、おまけにそれが螺旋状にぐるぐる流れてゆくので、不思議な催眠術にでもかかっているような気分になった。
私は水路の底を舐めるように観察した。
すると、水路の底の色と同じ色をして見えづらいのだが、確かに水路の底に沈む半円の石板が見えた。
その瞬間私は水面に手を伸ばしたが――思わずためらう。
ここに魔の波動が流れ込めばすべては終わるのだ。
でも理性がそれを否定する。
魔の波動は流し込もうと思わなければ流し込めるものではない。
漏れ出てしまう、という類のものでもない。
何を恐れているのか。
大丈夫と分かっているものを恐れるなんて、まるで火を恐れる猿のようなものじゃないの。
それよりも私は情報がほしかった。
それこそ喉から手が出るほどほしかった。
説明版の情報を読めば、二つの案で揺れ動くこの状態を止められそうな気がしたのだ。たぶんこれが、私がずっと見落としていた何かである気がしたのだ。
目の前にあるのに何をためらっているの私は……。
エックスに先を越されてもいいの?
すべてが手遅れになってからじゃ遅いのよ。
大丈夫。そう。大丈夫に決まってるじゃない。
私は心の中で何度もそれをとなえた。
一旦深呼吸をした。そして、ゆっくりと手を伸ばす。
本当にゆっくり、そぉーっと指先が水面に触れ、そこからさざ波が立ち、水流が二つの渦を作る。
それからすぐに指が水の中に入っていき、手首、そして腕までもが水路の中に入った。
そういえば、君も是非その泉に触れてみるといい、とゾビグラネが言っていたことを思い出した。気持ちがいいから触れてみろとか、そんなふざけたことを言っていたのだ。
どうしてあんなことを言ったのだろう?
いや、それよりも。
――あと少し。
精一杯腕を伸ばし、水路の底の石板に指先が触れた。
次にその石板を掴むと、私は思い切り引っ張りあげた。
水面が波打ち、水しぶきが辺りに飛んだ。
不思議な脱力感があった。
石板を引っ張り上げただけなのに……
とにかく、アッカルク語よ、アッカルク語、と思い引き揚げた半円の石板を地面に置き、その表面に目を凝らす。
――あった。
非常に見づらいが、確かにアッカルク語がその石板には刻まれていた。
高揚感が胸を駆け抜ける。
やったわ! たぶんこれが説明版なのよ。
私は一人で握りこぶしをつくり「よし!」と小さく言った。
これでようやく答えに辿り着けるんだ、という想いで胸が満たされてゆく。
私は、後ろにユーリがいたことなど忘れ、懐からアッカルク語辞典を取り出し、開いた。
興奮に目を躍らせ、文字を突きつけ合う。
一文字一文字解読してゆくことがこれほど面白いと思ったことはない。
体全体が興奮していた。
駆け巡るような快感の波が脳を襲い、体中の皮膚が喜びで粟立ち、知らず知らずのうちに口角の片方が吊り上がっていた。
恐らく、この奇と書かれているものがカルニバルなのだろう。そして魔と書かれているものが術者。泉が恐らくこの水路。
辞書のページのめくれる音が耳の奥に入り込み、それが水流の音と混じり合い心地よい音色を奏でる。
すばらしい幸福感の中に私はいた。
すべてがこれで解決できる、というとんでもない幸福感の中に……
だが……、解読が進めば進むほど違和感を感じるようになった。
この石板に書かれていたのは、恐らくカルニバルを召喚する方法なのかもしれないが、どうも説明足らずのような気がしたのだ。
魔の波動に関する説明がスポンと抜け落ちていたのだ。
それともこの時代の表現は、このような表現方法だったのだろうか?
だっておかしいのだ。
この文章をそのまま翻訳すると。
魔導士が泉に触れれば、それだけでカルニバルを召喚できるらしい。
そんな馬鹿な話があるわけがない。
召喚陣に魔の波動を流し込まなければ召喚獣などそもそも呼び出せるはずがない。
そうでしょう?
たぶんきっと何かが抜け落ちているのだ。
それか翻訳方法を間違えたのかもしれない。
と思ったあたりでゴードンの言葉を思い出した。
『昔の召喚術は、まれに別の呼び出し方が存在したりします。たとえば召喚陣自身が魔の波動を吸い取るような』
――いやいや、そんなことなんて……
次にゾビグラネの言葉が頭の中に響く。
『村の中央広場には渦を巻いたような水路があって、その水路がなんともいえないぐらい美しいのさ。静かに流れる水に手をかざすと、指先がひんやりして魂が洗われるような気分になるだろうね。君も是非その泉に触れてみるといい』
――いや、そんなわけ……
頭の中がぐちゃぐちゃに混乱していた。
心臓の鼓動が止まらない。
すべての記憶がごちゃ混ぜになり、アシュリーの言葉や、今までの生きてきた記憶がすべて混ざり込む。
なのに、視線はカルニバルの泉に釘付けになっていた。
もう目をはなすことなどできなかった。
黒々とした水流の奥が光りはじめる。
それは真っ赤な血の色だった。
水路の底が邪悪な血の色を発していたのだ。
自分の息遣いが聞こえてきた。
それはまるで全力疾走で走ったあとのような息遣いだった。
「嘘よ。違う、違う……何かの間違いよ」
「クアドラ?」と言ったユーリが駆け寄ってきた。
だが、その言葉はすでに耳に入らない。
赤い光がどんどん輝き始め、眩しいほどに輝き、それはやがて真っ赤に光る太陽がまるで雲を照らすように激しく輝きはじめた。
「嘘! 嘘! 嘘よ! 違うわ! こんなの何かのまちがいよ! 違う! 違う!!」
ゴードンの言葉が脳に突き刺さる。
『召喚術が成功すると、召喚陣から赤い光が発せられるのです。パァーっと、まるで夕方のように真っ赤に。その光を見て、召喚士は召喚術が成功したことが分かるのです』
その邪悪な光は世界の終わりを意味するように村全体を赤く染めあげ、天高く立ち昇る。
その光の中で私はある答えに辿り着いた。
それはエックスの正体だ。
エックスは何故か太古の召喚獣の存在を知り。
エックスは何故かカルニバルの泉の場所を知り。
そしてなによりエックスは何故か制御不能な召喚獣カルニバルを呼び出したのだ。
世界が終わることも顧みずに。
ほとんど自殺するかのうように。
なんてことはない。
私だったのだ。
フェンリルをこの大地に呼び寄せ、すべてを破壊しつくし、世界を滅ぼしたエックスとは……私だったのだ。
……他ならぬ……この私だったのだ……
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