第32話 ソビグラネ -3-




 そこからゾビグラネの顔はこれまでにないぐらいに険しくなり、ある話を熱心に語り始めた。私としては、それほどその話に興味があるわけではなかったのだが、話の流れで聞くこととなった。



 それは教会連中の使う“聖具”と呼ばれる道具のことであった。


 なんでもその道具というのは、そのすべてが先ほど説明のあった魔の波動により成り立っている道具なのだそうだ。

 聖具のほぼすべてには魔の模様が刻まれており、その効果により、魔法に対する耐性を強めているのだとか。

 この効果により、魔法を使える者と使えない者の差は確実に縮まった。



「なら、よいことじゃない」と私は言った。「フェンリルを倒すための同志は一人だって多い方がよいわ。彼らの登場を喜ぶべきよ」


 ゾビグラネは鼻で笑いながら首を横に振った。


「シンプルで残酷で鬱屈とした人生にさいなまれてきたリリア嬢には、やつらの思いなんて分からないだろうね。

 奴らの願いは、手を取り合う事じゃない。

 魔法を使える者すべてを抹殺することなのだよ。魔が付与された道具をつかってね」とゾビグラネは皮肉っぽく言う。


 だから、私は眉をひそめながら聞いた。


「どうしてそんなこと言い切れるの?」

「なぜかって? なぜなら、我々と奴等は根本的に違う生物だからさ」と彼は言った。「魔法を使える者と使えない者はいわば、飛べる鳥と飛べない鳥の関係に似ている。飛べる鳥は特に何の訓練をしなかったとしても簡単に飛べるかもしれないが、飛べない鳥はどんな訓練を積んだって飛べる鳥にはならない。

 それと同じで魔法を使える者は、呼吸するように魔法を使えるようになるが、魔法を使えない者は何をしても使えるようにはならない。

 人々はそんな事実から目を背けたがるがね。

 でも、本当は気づいているのさ。

 表面上は気づかないふりをしても、内心では自分たちと魔法を使える者はまったく違う生き物なんじゃないかって気づいているんだ。

 そして、ずっと心の中でこう思ってきたのさ。

 脅威だ、と。

 とんでもない脅威が日常に転がっているのだ、とね。


 知っているかいリリア嬢。

 生物にはある共通する欲求があるのだよ。

 安心したい、という欲求がね。

 心が穏やかでいることほど幸せなことはないからさ。

 君も同じじゃないかリリア嬢。

 君だって安心したい。だからこそフェンリルを倒したいんじゃないかい?

 わかるだろう?

 つまり、その欲求に逆らうことはとても難しい。

 それは、魔法を使えない者だけじゃなく、すべてに共通した欲求だからだ。


 実は、似たようなことがあった。

 まだ人類が魔法を使い始める前の時代。

 人類にはある前科があったのさ。

 我々がまだ文明を獲得する遥か昔、我々がまだ人類になりたてのころだ」


「なりたてのころ?」という表現に私は眉をひそめた。


「君は“進化”という言葉を知ってるかい?」ゾビグラネは肘掛に右肘をのせ、頬杖をつき、諭すような低い声で私に語り掛けた。「すべての生物は絶えず外側の世界でおこる刺激に適応するように変化し続けている、という話さ。

 もちろん、すぐには変化しない。

 何代も何代も代を重ねながら、ゆっくりと変化してゆくんだ。

 ちなみに、我々の祖先はサルという生き物だった。

 君は見たことがないだろうが、地上にはそういう生き物がいるんだよ。

 そのサルは環境の変化によって進化した。少し大きめのサルにね。

 そして、更に進化に進化を重ね、人類が誕生した。


 でもね、同時に人類以外の種も生み出したんだ。

 

 ルー・アックスと呼ばれる種だ。


 進化の基本は適応することにある。

 だから当然寒い土地と暖かい土地では別の進化がおきやすい。

 寒い地域ではより体が大きく、強靭な肉体を持つ進化がおきやすいんだ。

 ルー・アックスも同じだった。

 彼らは人類よりも体が大きく強靭な肉体を生まれ持っていた。

 見つかっているだけで、他にもルー・フレディス、ルー・マクマナスという種が存在したらしいが、話が脇にそれるので今はほうっておくよ。


 とにかく、この大地はある時期まで我々人類とルー・アックスが覇権を競っていた時期があるんだ。

 彼らがどんな気持ちであったか想像してごらん。

 自分に似た……でも、違う生き物が常に目の上のたんこぶのようにまとわりついているんだ」ゾビグラネは握りこぶしを作り、自分の額の上で数字の「8」を描くように揺らした。

 そして、拳を揺らし終わると、次に彼は瞼をとじた。



「私は目をつぶるだけで彼らの気持ちが手に取るようにわかる気がするよ。

 鬱陶しい。邪魔だ。……いや、危険だ。やつらは脅威だ。

 そういう気持ちが膨らんできたはずだ。

 事実、ある時期からルー・アックスはこの地上から忽然と姿を消してしまった。

 何故ルー・アックスが消えてしまったのか、ということを主題に討論する魔法学士は多いが、私に言わせればナンセンスな議論というほかない。

 ルー・アックスは人類に皆殺しにされてしまったんだよ。

 人類は目の前の脅威を無視できなかった。

 ただそれだけなのさ。

 すでに、ルー・アックスの集団が人類に囲まれ虐殺されている現場が見つかっている。それも何ヶ所もね。

 

 まぁ、それは歴史だ。過去は過去の出来事さ。

 だが、問題はここから先だ。

 ある時期に人類はまた別の人類へと変化した。

 誰もそれを公式に認めちゃいないがね。でも、確実に変化した。

 ある時期から人類の中に“魔法”といわれる摩訶不思議な力を使う種族が現れた。

 それが魔法を使える人類……つまり、私たちさ」


「なるほど。つまりゾビグラネ。あなたはこう言いたいのね?」と私は言った。「この世界では私たちこそが次のルー・アックスになるのかもしれない、と」


 ゾビグラネは指を鳴らし「素晴らしい」と感嘆の声をあげた。「リリア嬢は賢いな。私が言いたいのは、つまりそういうことさ。

 魔法を使えない人類は潜在的に我々にずっと脅威を抱き続けてきた。

 そして、それを思い切り指摘する宗教があらわれたことで、彼らの眠っていた意識が揺り動かされたのだよ。

 “魔法を使える者”と“魔法を使えない者”は別の種類の生き物だ、という意識がね。


 別の生き物という意識は恐ろしいものだよ。


 人はね、同じ人類と思えばこそ同情もするし、手を取り合えたりもする。

 そして、分かり合えるかもしれない、という期待を抱くものだ。

 でもね、別の生き物と分かればそこには高い感情の壁ができる。

 相手に何をしたとしても全く心が傷つかなくなるんだ。

 君はモグラやミミズをとっている時、罪悪感にさいなまれたことはあるかい?

 ないだろう?

 そういうことさ。

 自分たちとは別の生き物だ、という意識は慈悲の感情を欠落させるものなんだ」


「ねぇいいかしらゾビグラネ」と私はゾビグラネを制するように言った。「あなたの話をずっと聞いていると、こんな印象を持つの。

 気分を悪くさせたらごめんなさい。

 でも、こういう印象をどうしても持ってしまうの……


 まるであなたは魔法を使えない人類を絶滅させたくてうずうずしてる、という印象。


 さっきの言葉だって全部そうじゃない。

 あなたの結論は、共存できない、というところで終わっているわ。

 ならば、あなた流にいうと、敵を全滅させるしかないんじゃない?」


 ゾビグラネは鼻を鳴らす。


「そう聞こえたかな? 別にそんなつもりで言ったわけじゃないさ」


 そう言い終わった後に、ゾビグラネは後ろ暗い奇妙な薄ら笑いをした。

 この男であれば、本当にそういうことを考えるかもしれない、と思った。


「とにかくよ」と私は語気を強めた。「私たちにはまずやるべきことがあるでしょう?」


「フェンリルかい?」

「そうフェンリルよ! 私たちはまずここが最優先であるべきだわ。じゃないと、そんな遊びに熱くなれる時間さえもなくなるわよ!」と私は言い放った。



 ゾビグラネは眉をひそめた。

「遊び?」

「遊びでしょう? 人類同士がいがみ合う、というただの遊び。

 だって、私たちは人類そのものがなくなる歴史の前に立っているのよ?

 そんなことなど大事の前の小事ではないかしら?

 少なくとも言葉は通じるのでしょう?

 ならば魔法を使えない人々とは大いに話し合いの余地があるわ。私はそんなチンケな戦いのために時間を遡ってきたわけではないの。

 すべてはこの地上を人々の手に取り戻すためにここまできたの。

 分かる? 私たちは目標を間違えてはいけないわ。私たちの敵はフェンリル。違うかしら?」



 ゾビグラネは口角の片方をあげ、膝を組み替えた。


「ああ、全くそのとおりさ。もちろん状況は分かっているよ。

 今の時代の人々はそういう意識だという解説のつもりで君に話したというわけさ。気に入らなかったかい?」


「それは……、どうもありがとう」


「とにかく、今、我々を殺しにくる敵は神にまつわる巧妙なストーリーを信じている連中で、少なくとも我々を殺すことに対し、良心の呵責にさいなまれる、なんてことはない、と気に留めておいてくれ、と言いたかったのさ」


「それは……、その……どうもありがとう」と私はまた重ねて言った。

 でも別のことが不意に気になった。

 何故その教会の信徒とやらはそこまで教会の教えとやらを信じているのだろう?

 すると心の声が伝わったのか、ゾビグラネは背もたれに体重をあずけながら口元をニヤつかせた。


「気になるのかい? なぜ奴らがそんなに自分の教義に忠実であるのか、が」


 私はうなずいた。


「それはね。彼らのトップは嘘をつく最も素晴らしいやり方を知っているからなのさ。最も素晴らしい嘘というものは、少なくとも真実が半分以上を占めているものなのだよ。

 嘘だけで構成されている嘘なんて、人は簡単に見破ることができるからねぇ。

 でもそこに真実が混じりこめば、めしいた老婆のように、人は途端に盲目になる」


 たしかに、そうなのかもしれない、と思った。

 嘘だけで構成された嘘よりは真実が入り交じった嘘の方が、より真実が見えにくくなるかもしれない。


 大事な教訓を教えてくれてどうもありがとう、と言いかけたその時だった。

 ドアが激しく開き、そこから息を切らした女が顔をだした。青い顔をしていた。



「やつらがきました!」

「そうか、分かった」とゾビグラネは平板な声でうなずくと「これをラズロに言ってゴードンに渡してくれ。下の数字は合言葉だ」と言い、手紙らしきものを女に渡した。「至急だぞ」と念をおすことも忘れなかった。


 女は、その紙を受け取ると「合言葉、合言葉」とつぶやきながら走って出ていった。彼女はよほど急いでいたのかドアを開けっぱなしにし、ゾビグラネに敬意を払うことさえしなかった。


 私は何度か瞼をパチクリさせ、今見た映像を頭の中で整理しようとしていた。

 あの紙だ。

 今一瞬映った映像の中に、あの紙があった。

 ゾビグラネの手と女の手と二人の間をつなぐように伸びた白い紙。


 心臓が鳴っていた。鼓動が耳の奥に響いた。それは間違いなく、不吉な鼓動だった。


 私は……、あれに見覚えがあったのだ。あの紙。

 私はポケットをまさぐり、指の先に触れたそれを取り出す。それはくしゃくしゃになった、例の合言葉の書かれた紙であった。


 あの紙はたしかラズロから渡された、と日記には書いてあったのだ。


 あの紙を渡された時のゴードンの日記の言葉が蘇る。



==ゾビグラネ様が死んだ。死んだ? 嘘だ。嘘だ。嘘だ。==



 脳内に電流が走り、皮膚が粟立つ。

 今自分がどんな状況に置かれつつあるのか、やっと理解した。

 あの手紙をゴードンが受け取る、ということは……、このあとすぐにゾビグラネは死に……そして……、魔法学校が灰と化す直前なのだ。今は。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る