第25話 特殊魔法「ホール」 ー6ー




 時に人は不幸な選択を突きつけられる時がある。

 更に、どんな決断だって熟慮の末に決めたいと思うものだが、重要な決断に限って、ほとんど極限まで圧縮された短い時間のさなかに決めなければならない時がある。



 たぶん、今がその時なのだろう。



 私は二人の襟首をつかんだまま、爆風に吹き飛ばされ、緑色の草原の上空を舞った。


 私はとっさに空中でアシュリーの襟首を離し、鋼鉄化の魔法を使い、ゴードンの体を包み込むように保護しながら草原の上を転がった。


 一方、猫のように姿勢を空中で立て直したアシュリーは危なげなく草原に降りたち、そして、遠くで佇むフェンリルを睨みつけた。



 建物の瓦礫がまるで雨のように大地に降り注ぎ、所々で土煙が立ち上る。

 


 最悪な気分だった。

 本当に、ヘドロの中に頭を突っ込んで窒息死した方がマシにおもえるぐらいどす黒い気持ちが私の体を駆け抜けた。


 あと一歩のところですべてが上手くいくはずだった。

 いくはずだったのに……



 私は雑草に何度も顔面にこすりつけるように転がりながら、アシュリーを早く過去に送ってしまわなかったことを後悔していた。



 フェンリルに見つかったら終わり。

 そんなことは分かり切っていたはずなのに。

 どうして私は、あれほど彼女との別れを長々と惜しんでしまったのだろう?



 丈の長い雑草が体中に巻き付き、回転の勢いが止まると、腕の中のゴードンを見た。


 ゴードンは、唸りながら「なにごとじゃ」と口走っていた。


 大丈夫、まだ生きている。


 次にフェンリルに視線を向けると、既にヤツはかがみ込んでいて、こちらに向けて、跳躍する一歩手前であった。



 本能が、この場から全力で逃げろと私に伝えていた。

 その震える膝が、手が、粟立つ肌の全てが私に死を告げていた。



 ヤツは完全に私たちの姿を捉え、殺しにきていた。

 それがフェンリルなのだ。

 だからこそ皆逃げられないし、皆死んでいった。


 誰も倒すことのできない無敵のフェンリル。


 ヤツのせいでこの地上は地獄に成り果てたのだ。




≪大丈夫≫という声が直接頭に響いてきた。


 緑色の長い草の向こうに、太陽に照らされたアシュリーが見えた。

 そのアシュリーと目があった。


 アシュリーの瞳は光を失っていなかった。


 目を見ただけで、彼女の想いの全てが私の中に流れてきた。

 死を恐れぬ強い覚悟。

 未来への希望。

 地上への愛。

 そして、託す、という気持ち。

 すべてをあなたに託した、という目をしていた。


 待って、と思った。



「他にも道が――」と叫ぼうとしたその直後だった。


「ゴードン! リリアにホールをかけなさい! 今よ! 今すぐに!」とアシュリーは叫ぶと、そのまま移動魔法を繰り返し、フェンリルに向かって駆けていった。



 突然草原が夜になったのかと思えるほど、暗くなった。

 それは太陽が覆われるほどの巨体が飛び上がった合図だった。


「ゴードン伏せて!」と叫んだ私はまた鋼鉄化した。


 飛び上がったフェンリルが着地すると、草原を裂くようなものすごい地割れがおこり、圧倒的な量の土煙が舞い上がり、立っていられないほどの揺れを感じた。


 視界の端にはラウルハーゲンで一番高い教会の塔が、崩れ落ちてゆく姿が見えた。


 フェンリルはちょうど私たちから離れたアシュリーの近くに降り立ったようだった。


 ゴートンは寝ころんだ姿勢で「そのままにしておれ、リリア」というと、私の胸に手をかざし、呪文を唱え始めた。



 顔をあげた私の視線の先にはアシュリーがいた。

 アシュリーは移動魔法を繰り返しながら、フェンリルに向かって何度も炎を放つ。

 しつこいぐらい何度も何度も火の玉を放った。


 毛むくじゃらのヤツの体毛の一部が燃え上がり、吊り上がったフェンリルの目がアシュリーに向けられる。


 私はアシュリーに加勢するために、くしゃくしゃに折れ曲がった丈の長い雑草の上に立ち上がり、一歩目を踏み出した――が、理性がそれをギリギリのところで思い留まらせた。



 ――あなたはアシュリーの作戦を無駄にするつもりなの? なぜアシュリーはあんなことをしていると思っているの?



 極限まで圧縮された時間の中でアシュリーは決断したのだ。

 私を過去へ送ることと、自分をおとりとすることを。

 恐らく、それしか選択肢がなかったのだ。


 次元修正魔法ホールは効果を発揮するまで約10秒程度時間がかかる。


 二人が同時にフェンリルと戦ったとしても勝利する可能性など皆無であると分かり切っていたし、また私がフェンリルと戦ったとしても10秒なんて時間を作りだすことなどできないと踏んだのだろう。


 だからアシュリーは、移動魔法を使える自分がおとりになることでしか突破口は開けないと思ったに違いない。



 アシュリーは移動魔法を使いながら手ごろな草木に炎放ち、あちこちを引火させた。注意を引く対象を増やそうというのだろう。


 次の瞬間、フェンリルの目から細い紫の光が放たれる。


 それはまるで本に書いていた矢のような無数の光線だった。

 アシュリーはそのすべてを、寸前のところで躱してゆく。



 効いている、と思った。

 だって、フェンリルの放った光線の半分はアシュリーのいない草木に放たれたのだから。

 あいつは……恐らくあの揺れる炎の影とアシュリーの見分けがつかないのだ。


 そこにフェンリルのしっぽが襲い掛かってくる。

 尻尾は地面をえぐり取るように横に薙ぎ払われ、木々を一掃する。

 もちろんそれはアシュリーの引火させた炎をも消し飛ばしてしまった。


 アシュリーは辛うじて上空に逃れることでそれを躱すが――



 その刹那、それを待っていたかのようにフェンリルの大きな口が開かれ、牙が鋭く光った。



 大地を貫く光がアシュリーに向かって放たれたのだ。

 それも一発ではない。

 二発、三発、四発。

 一発ごとにフェンリルの口が激しく光り、大地がえぐれ、吹き飛び、草木の残骸や、たまたまそこにいた動物たちのバラバラに砕け散った臓器と血液が空気中に飛び散る。



 またも大量の土砂が舞い上がり、沢山のイナゴが空を覆いつくすように、太陽の光を遮り、それと同時に衝撃波が放射状に広がり、咄嗟に私は顔を手で覆い、ゴードンの盾となった。



 顔を覆っていた手を放すと、衝撃の光景が広がっていた。

 フェンリルが光を放った先は、まるで洞窟になったように深くえぐれていたのだ。


 大きな穴が四つ。

 それがまるで夜空に光る星たちのように連なっていた。



≪アシュリー?≫と思わずコンタクトの魔法を発していた。



 涙が溢れそうになっていた。≪アシュリー!?≫と、もう一度聞いた。

 

 応答などあるわけがない。

 今までどれだけの魔導士があの攻撃で死んで来たと思っているのだ。

 あの光の中で恐らくアシュリーは――



 フェンリルの首がぐるりとこちらを向いた。

 心臓の鼓動がドクンと一拍大きく鳴った。



 奴と目があった。思わず叫んだ。



「まだなの!? ゴードン!」

「もう少しじゃ。ラズロ、ワシらを守ってくれぇ」



 ヤツの不気味な赤い四つの目が光り、緩やかに口が開けられ、するどい牙が見えた。

 息ができなかった。

 体中が金縛りにでもあったかのように動かなくて、大粒の汗が鼻のわきを通り抜けた。

 心臓の鼓動のドクンと鳴る音が、ゆっくりと聞こえた。

 何度も何度も聞こえた。


 ヤツの口の奥が光り始めた。




 もうだめだ、と思った。



 その時であった、フェンリルの肩の上を走る青鹿の毛皮を身にまとったアシュリーが見えた。

 アシュリーはフェンリルの体を駆けあがり、四つある目の一つに強力な光魔法を放り投げた。


 すると、その光はまばゆい光を放ち、

 目がくらんだフェンリルの四つの瞳の瞼がおち、ヤツは大きな唸り声をあげた。


「グルァギャアオォオオオオオオオオオオ!」



「アシュリィ!」と私は叫んだ。

 よく見るとアシュリーの左腕が無かった。

 そして、口からは大量の血が吐き出された痕があった。



 10秒。

 たった10秒という時間がとてつもなく長かった。

 すると、その時私の頭にアシュリーの声が響いてきた。

 それは短い時間であったにも関わらずハッキリと聞こえてきたのだ。



≪私たちは一人で倍の価値がある。そして、二人で一人の存在。

 ここで私が死んだとしても……、私たちは永遠に生き続ける。

 そうでしょう? リリア≫



 私の体が光りはじめた。

 私を覆う空間が奇妙に湾曲し、すべてが揺らめき始める。

 アシュリー声が頭に響く。



≪リリア、あなたが救うのよ。

 あなたが人類のすべてを救うの。

 あなたしかいないの。

 あなたの力でこの地上を取り戻すの。

 誓ってリリア! 私に誓うのよ!

 必ずこの世界を取り戻す、と!≫



 フェンリルの赤い四ツ目が開けられた。

 それは憎しみに駆られた人間のように、自分の真下で歩くアシュリーのことを睨んでいた。


 私は血の涙を流しながら言った。



≪誓うわ。絶対にどんな手段をもってしても、

 何があったとしても、

 必ず私がフェンリルをこの地上から葬り、人の手にこの地上を取り戻してみせるわ。

 必ず。絶対に!≫



「グゥルルルルドギャャォアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」と唸りをあげたフェンリルの口からアシュリーに向かって激しい光が放たれた。


 すべてを巻き込む激しい光の中でアシュリーは満足そうな笑みを浮かべていた。


 アシュリーの体が光の中に消えてゆく。



 激しい爆音と、土煙と衝撃波が巻き起こり、雑木林が次々と折れていった。

 それと同時に私の体も時空を湾曲させた穴の中に吸い込まれてゆく。



 何もかもが奇妙に湾曲された空間が目の前に広がり、それが常に形を変えながらまた湾曲されてゆく。

 深く湾曲された穴に入り込んだ肉体が伸び縮みし、更に今まで会ってきた人々の顔が目の前を通り過ぎる。


 父さん、母さん、お婆、皆、ゴードン、そしてアシュリー。



 私は口にだし、誓いを自分に言い聞かせる。


「誓うわ。私は絶対に誓いを守るわアシュリー。

 何があったとしても、どんな手段をもちいたとしてもね。

 この誓いだけは絶対に守ってみせる。

 絶対に」



 こうして私は過去へゆく。

 すべての人類の想いを背負い。私は過去へ行くのだ。

 私は、私であると同時にアシュリーでもあるのだ。



 なにせ、私たちは二人で一人の存在なのだから。

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