第18話 異端審問官 ー5ー



 草を踏み、50メートルほどを僕らは全力で駆けた。

 重かった。走り続けると、鎧をこんなに重く感じるのか、と思った。

 鎧を覆うように身に着けたマントが揺れる。

 目にはカスタニア村の全てが映っていた。

 ねじまき村よりもほんの少し大きな村のようだ。

 村全体が腰のあたりまでの高さの木の柵に囲まれ、その周りは見渡す限りの草原が広がっていた。


 僕らはその柵をひょいと乗り越える。

 村の外れの井戸で水浴びをしている人々がマント姿で柵を乗り越える僕らを不思議な目つきで眺めていた。


 柵の中に入ると、草が刈り取られ、砂利石まじりの土がむき出しになっていた。

 マリアが右手をあげ、それを握りしめる合図で僕らは二手に分かれた。


 髭面たち三人の重い金属のこすれ合う音と、土をめくる音が遠ざかってゆく。

 僕は無言で走るマリアのあとについていった。

 道行く村人たちは奇異の目つきで僕らを見つめていた。

 ある者はそれが何であるのか気づき、声をあげずに打ち震えているようだった。



 異端審問官だ。


 きっとそう思ったに違いない。


 魔法を使える者を一方的に悪と決めつけ、殺し続ける。

 そんな血を好む人々。


 ローレンの領主が教会のことを認めているにも関わらず、異端審問官のことをそう思う人々は少なくなかった。


 僕らがその家の裏口に到着したと同時に、髭面達も正面に陣取った。

 これでこの家の出入り口はおさえたことになる。

 僕は上を見上げた。

 その家はこの辺では珍しい二階建ての家だった。


 家の中から人の笑い声が聞こえた。

 恐らく目標はまだ僕らに気づいていないのだろう。



「見習い」とマリアは僕の方を見ずに小さな声で言った。「お前は私の後ろに居ればいい。邪魔だけはするな」


「はい」と僕も小さく答えた。


 ようするに、余計なことはするな、という意味だろう。

 もちろんそんなことをしようなんて気はさらさらなかった。


 僕は彼女を見た。

 他の異端審問官よりも随分軽そうな身なりをしていた。

 盾は持っておらず、身に着けているのは胸当てと細身の刀身の赤いレイピア(尖剣)だけ。


 これでまともに戦えるのだろうか。



 コンコン。というノックの音が聞こえた。

 恐らく髭面が扉をノックしたのだろう。


「はーい」という声がしたあとに「なんだ、お前たちは!」という声が聞こえた。

 それと同時にマリアは裏口の扉を蹴り破る。


 それは目にもとまらぬ速さだった。


 マリアはまるで狐のように家の中を静かに素早く駆けると、正面の玄関の扉を閉めようとしている男の後頭部に無言でレイピアを突き立てた。


 剣の尖端が男の口から飛び出し、男は膝から崩れ落ちた。



 たぶんそれはほんの1~2秒にも満たない間だった。

 感情のこもってない目つきでマリアは剣を引き抜くと、床に血が広がってゆき、正面玄関から髭面たちが家の中に入ってきた。



 僕は裏口で固まったままそれを見つめていた。

 あっけない、と思った。



 それは僕が頭に思い描いていた戦いとはだいぶ違っていた。

 これが異端審問官の戦いか、とも思った。


 相手が魔法を使う前に殺す。

 髭面が言っていたことは本当だった。

 まさしく魔法を使う暇もないほど迅速で残酷なやり口で彼女は敵を殺してみせたのだ。


 マリアは血の中にうつ伏せで寝転がる男の死体に目を凝らすと、しゃがみ、男の髪を掴み、それを引っ張り上げ、顔を確認した。


「違う。レラルフルではない」とマリアは言った。


 すると、二階から足音がした。上か、と思った。

 マリアは髭面たちに顎で指示すると、髭面ともう一人の男が階段を登っていった。


 僕が口を開けたままボォーと立ち尽くしていると「外で見張っていろ」とマリアは冷たく僕に言い放った。


 僕はうなずき、その家から少し離れ、敵がいるであろうその建物の二階を見つめた。


 これで本当に僕は合格できるのだろうか。


 あの髭面たちが“魔法学校”という本の作者を殺してしまえば、僕は何もしないままこの戦いを終えることになる。

 それはまずい。

 でも……、別に戦いの邪魔をしてるわけではないし、そういう命令を実行した、という意味ではきちんと評価されたのかもしれない。


 そんなくだらない皮算用をしているその時であった。



 二階から突然激しい光が放たれ、爆発音と伴に建物の二階部分が吹き飛んだのだ。

あまりにビックリした僕は震え、剣を落としてしまった。



 木が一斉に倒れてくるように、バラバラに砕け散った木材が空中に飛散し、降り注いできた。

 僕は左手に握った盾を両手で持ち、それを上に掲げ、身を守る。

 ガンッと盾に何かがぶつかった。

 僕はずっと盾を握りしめたまま震えていた。

 なにがおこったというのだろう。

 だって、爆発など正気の沙汰ではない。

 それに敵は戦闘用の魔法は使わない、と言っていたではないか。


 土煙が立ち上るなか、盾の隙間から建物を覗き見ると、赤い大きな玉が二つ、二階部分で光っているのが分かった。


 目を凝らすと、その中に人がいるのが見えた。

 赤い玉の中に一人ずつ。

 一人は黒々とした髪に凛々しい顔つきをした男、もう一人は猫背で、黒衣を纏い、不気味な首飾りをした男だった。


 それから、凛々しい顔つきをした方が二階から飛び降りた。

 男はちらりとこちらを見たが、両手で盾を構える僕を無視し、村から遠ざかっていった。


 これは追った方がいいのだろうか?



「見習い!」というマリアの叫び声が屋内から聞こえた。「ヤツは追わなくていい! 目の前の敵に集中しろ!」



 目の前の敵……

 猫背で不気味な首飾りをした男がゆっくりと階段を使って一階に降りてくる。

 その手には首がひとつ握りしめられていた。



 あの髭面の首だった。



 髭面は黒々とした髪を鷲掴みにされ、白目をむき、首から血が滴り、背骨がむき出しになっていた。心臓がドクンと跳ね、背筋が凍りつく。



 猫背の魔導士は髭面の首を床に放り投げると「異端審問官ってヤツはいっつもこれだ」と言った。「みーんな弱いくせに立ち向かってくる。弱っちいくせに、取るに足らない雑魚なくせに私たちに歯向かってくる。お前たちは身の程を知るべきだ」そこまで言うと、猫背は人差し指で髭面の首を指した。


 すると、髭面の首が黒い煙をあげて燃え上がりはじめた。


 手のひらの汗が止まらず、奥歯がカチカチ鳴る。

 さっきまで馬車の中で喋っていたのに。あんなに楽しそうに喋っていたのに。


 猫背の魔導士は笑いながらのけぞった。


「なあ、お前たちの愛しの神は言わないのか?

 ミミズがカラスに勝とうとするなんて無理です、ってさ。

 草が鹿に勝とうとするなんて無理です、ってさ。

 もしも教えてくれないのだとしたら随分不親切なやつなんだな、その神ってやつは」


 その男はクアドラ以上に狂気に満ち溢れた雰囲気を醸し出していた。

 顔全体が青白く、ガリガリに痩せ、目の下に大きなクマがあり、そして何より蟻をふみつぶして遊ぶように、殺しを楽しんでいるようだった。


「お~、天界にいる人間の神よ。あなたのだらしないしもべは、こうなってしまいましたとさ」と笑う猫背が人差し指をひっこめ、その手のひらをまるでリンゴを握りつぶすように握りしめると、

 髭面の首はまるでそのリンゴのように四散し、部屋中に飛び散った。


 その肉の一部が屋内を飛び出し、僕の頬にピタリと張り付いた。

 上ずった声が出そうになったが、喉の手前でそれを押しつぶした。



 心拍数が更に跳ね上がり、息が苦しくなってゆく。

 肉がぷ~んと焦げた臭いを放っていた。

 まるであの時のねじまき村に引き戻されたような気がした。


「構え!」と叫ぶマリアの声が僕を現実に引き戻す。



 僕は急いで剣を拾い上げ、構えた。

 いつものように盾を引き寄せるように前方に構え、剣を脇腹ちかくにそっと構えた。マリアの隣の眉毛が太い異端審問官も同じ構えをとった。



 猫背の男はより愉快に笑った。


「おっとそういう恰好をする、ということは死ぬ準備ができたってことかな?

 それはいい。ならば特別サービスで私が君たちを神の下まで送ってやろう。

 嬉しいだろう? 神の下に行くのは。

 あーそれと、そんな慈悲深い私の名も教えてやろう。

 何事にも原因と結果があるものだ。

 すでに君たちが死ぬという結果は私にはわかっているのだが、原因を知りたいとは思わないか?

 お前たちが死ぬ原因はたった一つ、それはこのラズロ・ラ・ズールに出会ったからだ。

 私との戦闘で死ぬことは恥ではない。

 何人たりとも私に勝つことなどできないのだから。

 だから私の名をその頭に刻みながら死ぬといい。

 ラズロ・ラ・ズールだ。ラズロ・ラ・ズール。

 もう覚えてくれたかな?

 ラズロ・ラ・ズールだよ。ラズロ・ラ・ズール」


 未だ立ち昇る土煙が渦を巻き、柔らかい草を巻き込み、遠ざかってゆく。

 震える奥歯が鳴りやまなかった。

 とにかく、こいつを殺さなければならない。

 そうしなければ、殺されるのは僕のほうなのだから。



 ラズロ・ラ・ズール、という名前がまるで、馬車の車輪のように僕の頭の中で回り続けていた。

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