ユーリ編 異端審問官

第14話 異端審問官 ー1ー



 白、たしか、それが最初に見えたものだった。

 とにかくよく分からないが、白い、と思った。

 そして、白の次には黒があった。


 視界はぼやけ、耳からは吹きすさぶ風の音と遠くでチョロチョロと流れる水の音が聞こえた。


 僕はたぶん自分が横になったまま外で寝ているのだな、と思った。

 でも何で自分が外で寝ているのか、どうして風や水の音が聞こえるのかよく分からなかった。夢遊病者のようにふらふらと外に出歩いて、外でそのまま寝てしまったのだろうか?

 それならば誰かが起こしてくれればよいのに。

 僕が風邪をひいたら皆も困るはずだ。

 たしかに僕は少しばかり体が丈夫な方かもしれないが、それでもいたわる心を皆がもつべきだ。


 だって、ねじまき村の皆は家族のようなものなのだから。



 それはそうと、薄目をあけると、やはり白い何かが僕の目に入ってきた。

 本当にこれはなんなのだろう、という疑問を抱えながら、徐々に瞼をあけてゆくと、そこには太陽があった。まぶしくて僕は目をつぶった。


 白、とは太陽の光の色であったのか、と思った。


 なんてことはない。太陽はいつものようにギラギラとその身を輝かせ、精一杯僕らに貢献しているようだった。

 すこしばかりポカポカ暖かい空気が満ちているのもそのせいだろう。


 では、一体黒はなんなのだろう、と思い再度目を開き、視線を落とした。



 そこには黒があった。黒黒黒黒黒。

 木材や人の死体の燃えカスとも言うべき黒だ。

 黒は炎によってすべてが炭化した炭の色だった。


 瞬く間に記憶が引き戻される。

 村を取り囲むようにして立ち並ぶ火柱。

 母さんの命を奪った光の首輪。

 人を粉々に吹き飛ばす邪悪な炎に……毛むくじゃらの怪物。

 そしてあの光。光が溢れ、その光が僕を覆ってゆき、すべてが光に包まれた。あの美しく残酷な光。



 僕は……助かった……のか?

 


 信じられない思いだった。

 絶対に死んだと思ったからだ。

 訳が分からなかった。

 何がおこったのか。

 僕は次に視界に映るその黒をハッキリと見た。

 もう固まり、動かなくなった首のない焼けこげた死体があった。

 万歳したまま黒くなった死体と、手も足も何もかも分からなくなった焼けこげた死体がその横にあった。


 それはどう見ても変わり果てた村人たちの姿であった。



 現実の何かを拒否するように胃が収縮し、胃液が逆流してきて口からゲロが飛び出してきた。


 気持ち悪かった。

 胃が何度も収縮し、ゲロはとめどなく口から吐き出された。


 その途中で気づく。


 頭の中にあの女の顔が浮かんできた。

 あまりにも白いその肌と、整った顔立ちと、酷く冷酷な眼差しの青い瞳のあの女……


 魔導士クアドラ。



 ――クアドラは? クアドラはどこだ!?



 心臓が大きく脈をうち、僕は猫のように身をかがめた。



 ――どこだ? あの悪魔は。



 黒く崩れた家屋の裏に僕は素早く身を隠し、呼吸を止め、辺りを見回す。体全体が震えていた。手も足もつま先も歯も、なにもかもが震えていた。



 ――どこだ、クアドラ。どこだ。


 目が血走り、何度も視線が左右を行き交う。

 心臓の音が早くなってゆくのがわかった。


 緩やかな風の音と水路から聞こえる水流の音と、呑気な小鳥たちのさえずりが聞こえてきた。

 皮膚が粟立ち、引つけでも起こしているかのように全身が震えている僕の状況とはあまりにもかけ離れたのどかな音色だった。




 ――いない……のか?



 僕は周囲の状況に気を配るが、のどかな音色の中に秋を彩る虫たちの音色が混じりはじめたぐらいで、周りの状況に変化はなかった。


 毛むくじゃらの怪物の息の音も、轟々と鳴る火柱の音も、誰かの叫び声も一切聞こえなかった。


 そこには、奇妙に人の声だけが聞こえない静かな空白があるだけだった。


 小さな二羽の小鳥が焼けこげた死体の上に止まった。

 二羽は愛し合うように互いの体をさすり合い、愛の歌をさえずっていた。



 僕はゆっくりと震えながら崩れかけの家屋から体をだした。

 そして、首をゆっくりまわし、たぶんこの時初めてまじまじとねじまき村の惨状を確認したのだ。



 すべてが黒だった。

 何もかもが炭化し、焼けこげていた。




 僕はその惨状をたしかめるように足を踏み出す。


「ねぇ、誰かいる?」と僕は小さく声をだした。


 ねじまき村は何も答えない。

 胸がキュゥゥゥっと締め付けられるような衝動にかられた。



「ねぇ、誰かいない?」とさきほどよりは少しだけ大きな声をだした。


 だが、やはりねじまき村は答えない。

 目に涙が浮かんできた。


「ねぇ――」と言いかけたが、言葉にならなかった。

 嗚咽が胸の内側から飛び出し、背中が打ち震え、鼻水とさきほどのゲロの残りカスが涎のように地面に滴った。



 その後も僕の声にならない呼びかけは続いた。

 どのくらい続いただろう?

 たぶん丸一日以上は続いたと思う。

 僕は倒れそうになる自分の体を支えながらそれでも誰か生きていないか必死に呼びかけた。



 でも同じだった。

 誰一人として返事はなく。



 僕は自分一人が生き残ったのだと知った。



 不意に夜風が吹きつけ、黒こげの死体の一部が欠け、空に舞い上がり、どこかに飛んでいった。黒ずんだそのすべてから狂人が叫び狂うような声が耳の奥に聞こえてくるような気がした。


 みんな、どれほど辛かったのだろう。

 どれほど苦しかっただろう。


 ――あいつがすべてを奪ったんだ。



 クアドラのあらゆる瞬間が頭を駆け巡る。

 暖かい微笑みを浮かべるクアドラ。

 僕の頬を触り、耳元でささやくクアドラ。

 シーツから背中とおしりが見えたクアドラ。



 ――あいつがいけないんだ。



 僕に笑顔でいたずらをするクアドラ。

 黒い服をきて父さんの頭を吹きとばしたクアドラ。

 母さんの首を切断したクアドラ。



 ――あいつがいたから。



 恐ろしいほど冷たい眼差しで僕を眺める青い瞳のクアドラ。

 クアドラ。クアドラ。クアドラ。

 ねじまき村の中央から聞こえてくる水流の音が頭に響いてきた。



 ――あいつさえいなければ。


 誰かに胸を鷲掴みにされたように苦しくなり、僕は叫んだ。

 叫ばざるを得なかった。



「あああああああ、クアドラ! クアドラ! クアドラ! クアドラ! クアドラァアアアアアアアアア!!」



 段々と明るくなってきた空にはばたきはじめた鳥たちが一斉に姿を消した。

 憎かった。胸が焼けこげるほどに、憎かった。

 殺されたのだ。皆あいつに殺されたのだ。

 父さんも母さんもフィーナもキャルもライラも村長もダンおじさんもベンおじさんも皆、みんな殺されたのだ。



 くそくそくそくそくそくそくそくそくそ!

 正しかったじゃないか教会は。

 父さんがあれほど庇ったのに、あんなに修行者を大切にしていたのに、この村の伝統を大切にして魔導士たちを保護していたのに!


 許せない。許せるはずがない。


 クアドラ。

 魔導士め。



 殺す。絶対に殺してやるんだ。

 僕のこの手で絶対に殺してやるんだ。



 僕は夜明けの空に向かって立ち尽くし、固く拳を握りしめた。

 己の心に黒い炎が宿ったのが自分でも手に取るようにわかった。

 それはたぶん憎しみの業火とでも呼ぶべき邪悪な炎なのかもしれないが、僕はそれでも構わなかった。



 あの女を殺せるなら、僕は悪魔にだって魂をささげてもよい、と思った。



 僕は吠えた。

 力の限り吠えた。

 まるで野生の狼のように雄叫びをあげた。

 全身の毛が逆立ち、その雄叫びに呼応するように東の山々から立ち昇る太陽を僕は睨みつけた。




 とにかく、こうして僕の第二の人生がはじまったのだ。


 荒野を走り、草の根をかきわけ、銀色に光る血なまぐさい剣を振り、命がけでクアドラを追う日々が……はじまったのだ。

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