第10話 ある村での出来事 ー6ー



 僕は窓の隙間からあたりに目を配る。

 毛むくじゃらの化け物の姿はどこにもなく、クアドラの姿もなかった。

 一体どこへいったのだろう?

 炎に照らされた家々の影が、栄養不足の子供が助けを求めるように不気味にゆれた。だが、他に動くものはなかった。

 目に映るのは無残に引き裂かれた死体と焼けこげた死体ばかりで、動くものは一人も見当たらなかった。



 僕は気分が悪くなってきたので一旦そこから目を放し、首を左右に振ってそれを母さんに伝えた。

 すると、母さんは家の出入り口の扉をそぉーっと、ほんの少しだけ開けた。

 そして、そこから母さんも辺りを確認しているようだった。



 遠くで轟々と燃え盛る炎の音以外なにも聞こえなかったから、どこに誰がいるのか見当もつかなかった。


 皆もうちの家族やダンおじさんのようにじっと自分の家に隠れ潜んでいるのだろうか? たぶんそうだろう。だって、一体誰がこれほど危険な外をうろつけるというのだろう。窓の隙間から、大量の血と、かつてダンおじさんだった肉の塊が見えた。吐きそうだった。だから、僕はそれを見まいと目をつぶった。



 でも、とにかく、今なんじゃないかと思った。

 誰もいない。少なくとも目に映る範囲にクアドラと化け物はいない。

 この扉を出てから物置に辿り着くまで全力で走ってせいぜい4~5秒だろう。

 いや、もっと短いかもしれない。

 今なら成功するかもしれない。

 そうだ成功する。いや、そうじゃない。

 もう僕はこれ以上ここに居たくなかったのだ。

 クアドラが仮に村民を皆殺しにすることが目的なら、何も人を見てから殺さなくてもよいのだ。そのまま家々に火をつけてまわればいい。それだけで……、たったそれだけのことにクアドラが気づくだけで僕らは簡単に殺される運命にあるのだ。


 だから、そうなる前に物置に逃げ込まなければならない。

 そうでもしないと絶対に僕らは――



「ぐあああああああああああああああ」という叫び声がまたどこかから聞こえた。



 時間がない。僕は懇願するような目つきで父さんを見た。

 父さんはまず、自身の背中におぶったフィーナの寝顔を眺め、次に母さんと見つめ合った。そして、小さな声で「賭けよう」と言った。

 心臓が大きく脈を打ち、僕は唇をかんだ。

 母さんがうなずき、父さんは指を10本立てた。

 それはここを飛び出すまでのカウントだとすぐに分かった。

 1秒ごとにその本数は減ってゆく。9、8――



 斧を強く握りしめると、走馬灯のようにあらゆる記憶が僕の脳裏をかすめた。

 妹と水遊びをする映像。

 父さんと木を切る映像。

 母さんの作り立ての料理を食べる映像。

 キャルと言い争っている映像。

 本が散らかっている映像。


 自分はなんてくだらないことに腹をたて、文句を言ってきたのだろう。

 まだもっと色んなものを味わいたい。僕はまだ僕の人生を生き尽くしていない。僕の人生は、こんなところで――



――2、1。



 父さんが全力でドアをあけ、僕らは弾けるように家から飛び出した。

 ドアの前にはダンおじさんの破片と胃と腸が散らばっていた。

 僕はそれを素早く飛び越えると、視界一杯に村を取り囲む炎の壁が映りこんだ。


 火柱が何本も立っていて、それはまるで童話の中で悪魔の住処とされていた地獄のようだった。

 熱風が頬をかすめ、父さんの背中で眠るフィーナの長い髪がなびく。

 もう村のあらかたの家は壊されたり燃やされたりしており、ほとんど元のねじまき村とは似ても似つかぬ村に変わり果てていた。


 胸がぎゅぅううう、と苦しくなったが、僕は家族の先頭を走り、裏手の物置に着くために角を曲がった。




 思わず声が出てしまった。




「うわぁああああああああああああああ」



 こんなに驚いたことなどない。

 僕の視界に飛び込んできたのはクアドラだった。

 そこにいたのはクアドラだった。


 クアドラは漆黒のローブを身にまとい、頭にフードをかぶり、悪魔のような白く透き通る肌で僕らを待ち構えていた。


 僕は驚いた衝撃で斧を落としてしまい、その場に倒れ込んだ。

 母さんはクアドラを見るなり、別方向に走って逃げようとしたが、


 クアドラの右手から放たれた光の鎖が母さんの首に巻き付いた。



「うぉおおおおおおおお!」



 僕の落とした斧を拾った父さんは、叫び声をあげクアドラの首に斬りかかる。


 その目にもとまらぬ速さにクアドラは反応できず、斧がクアドラの首にぶち当たる――が、甲高い金属の激突音と伴に、斧は弾き返され、父さんはのけぞり、背中のフィーナが揺れた。



 嘘だろ? と僕は思った。

 無傷だった。クアドラは無傷だったのだ。

 むしろ、逆に斧にひびが入ったぐらいだった。

 クアドラは父さんを青い冷たい瞳で見つめ、さらりと言った。



「これは鋼鉄化と呼ばれる魔法で、ある一定時間、人体を鉄よりも固くするものなの。だから、無駄なのよ。ダインさん」



「ぬぅあああああああああ!」と父さんは叫び、再び斧を振り上げるが、それはクアドラが左のてのひらを父さんの顔に広げたのと同時だった。



 次の瞬間、父さんの顔が魔法で跡形もなく消し飛び、父さんの背中にいた妹のフィーナが地面になげだされた。



 そこでフィーナはようやく起きた。

 フィーナは丸い目つきをして辺りを見回していた。

 フィーナは何が起こっているか理解していなかった。


 腰をぬかした僕はその場から動くことができなかった。

 声を絞り出すことしかできなかった。



「やめてクアドラ。もうやめて……」



 目から涙があふれてきていた。

 懇願することしかできなかった。

 母さんの苦しそうな声が聞こえてきた。

 母さんは自分の首にはめられた光の首輪をとろうとして指を這わせようとするがうまくいかないみたいだった。



「収縮」とクアドラは吐き出すように言った。



 すると、光の首輪の輪の部分がどんどん収縮し、うっ血し、母さんの顔の色が赤黒くなってゆく。



 母さんと目があった。



 その刹那、光の輪が収縮しきり、母さんの首が体と切り離された。


 母さんの首は地面に転がり、暗い瞳が虚空を見上げるように止まった。

 自分の肺が急激に収縮しているのが分かった。

 全身がひきつけでも起こしたように痙攣し、僕は「やめて、クアドラ。やめて」と声を発していた。隣では妹が座ったまま泣いていた。



「なんで……、クアドラ……。どうして……」




 クアドラは立ったままその冷たく青い瞳で僕の方を見てきた。

 


 クアドラは苦い顔で「ごめんなさいユーリ」と言い、

 左手のてのひらを僕の方に向けた。



 終わりの合図だった。

 さきほど殺された父さんと、ダンおじさんの奥さんと全く同じだった。


 僕は嗚咽まじりの声で言った。



「好きだったのに……。僕は……あなたのことが好きだったのに……。はじめて……こんなに人を好きになったのに……。やめて、やめてよクアドラああああああああああ」




 通り過ぎる熱風が僕とクアドラとの間を通り抜け、草木が舞った。

 クアドラは目をつぶり、手のひらが光りはじめる。



 呼吸ができない。

 痙攣がとまらない。

 体が震えているのに、僕の体はコントロールをうしなったように全く僕の言うことを聞かなかった。

 体の全ての細胞がこの状態を拒否していた。



 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。こんなところで終わるなんて絶対に嫌だ。



 僕はこんなところで――――――



 目の前が光に包まれ、僕の意識はそこで途切れた。


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