ユーリとリリア

如月弥生

リリア編 地下の世界

第1話 地下の世界 ー1ー



 太陽の光の届かない暗闇の中で私は生まれた。


 私だけではない。私の両親も、姉も、友達もそうだ。

 私たちはずっと太陽の光の届かない地下で生まれ、そこで育った。

 もちろん地上に出ることが不可能というわけではない。細く長く伸びる梯子を上り、出入り口の扉をあけ、地上に出ればいいだけだ。それで両手に溢れそうな太陽の光を体いっぱいに浴びることができる。でも、私たちが地上にでることは滅多にない。それどころか、数年に1回でも出れば多いほうだ。

なぜ地上に出ないのかって? そんなの決まっている。

 アレだ。

 あの巨大で毛むくじゃらで、この世の物とは思えない生き物が地上を支配しているからだ。


 魔獣フェンリル。


 あれは、そう呼ばれていた。

 誰が最初にそう名付けたのか、というのは今でもわからないが、私が生まれた頃にはすでにそう呼ばれていた。何かの神話からとった名前だと誰かが言ったような気もするが、実際のところ、よく分からない。


 私に分かっていることと言えば、奴は人を食べる獣である、ということと、とてつもなく大きな体をしている、ということだけだった。


 その大きな体でどれほどの人間を食べてきたのか想像もつかないが、とにかく、魔獣フェンリルは休むことなく人々を襲い続け、自慢の大きな口に私たち人間を放り込んでいった。


 もちろん、あれを倒すために私たちの祖先は何度も勇敢に立ち向かっていった。魔法を放ち、剣を振り、弦が擦り切れるまで矢を放った。

 それこそ、気が遠くなるほどに戦い、戦い、戦い、戦い、そして、そのうち人々は戦意を失った。戦っても戦っても、決してフェンリルに勝つことなどできないと悟ったからだ。


 だからこそ私たちはあいつに見つからないように下へ……、もっと下へ、と逃げたのだ。




 そして、時は流れ現在に至る。

 地上はフェンリルが支配し、じめじめとした地下が私たち人類の故郷となった。


 何もかもが暗く、ひんやりしており、うんざりするほど狭い場所。


 年がら年中魔法による光がなければ生活ができず、迂闊に工事でもして住む範囲を広げると、崩落に巻き込まれ、あっさりと命を落すこともざらであった。


 更に、食べ物はろくなものがなく、魔法の光の力でそだてる野菜や、キノコを食べることがほとんどで、モグラやネズミなどはご馳走の部類に属した。


 もう、どのぐらいこの暮らしを続けているのだろう。分からない。少なくとも17年以上は確実に続いている。だって、私が今年で17歳になるからだ。




「リリア、行くよ」というアシュリーの声が耳に入り込んできた。



 もうそんな時間か、と思った私は、青鹿の青黒い毛皮を身にまとったアシュリーに促されるままについてゆく。私とアシュリーの仕事は食料さがしだった。


 私たちは、人ひとりがようやく通ることのできる梯子を上り、4層から3層に上がっていった。ちなみに、私たちは全8層からなる洞窟(皆はハウスと呼んでいるが)に棲んでいる。地上に近い順から1層、2層と数えてゆくのだが、私たちが主に生活しているのは第4層の空間だった。


 ここには生活に必要なあらゆる物資が揃えられており、皆この階層で暮らしていた。5層から下の階層のほとんどが食料生産のために使われる空間で、光の魔法でジャガイモをはじめとする野菜を生産したり、原木に菌類をつけ、キノコを栽培したりしていた。それより下の層になると保存庫として使われることが多く、魔法で生成された氷と共に食料品が置かれ、皆の食を支えていた。



 私とアシュリーは、第1層にまでくると、手に持っていた籠を背負い、周りの音を確認し、魔法を唱え始めた。アシュリーの作り出す怪しげな風圧に、隣にいる私の赤鹿の薄い毛皮のコートがゆれる。

 次の瞬間、アシュリーの手のひらからしゃぼん玉のような透明で丸い無数の球が浮きあがり、それを彼女は放射状に放つ。

 アシュリーを中心に円を描くようにまき散らされたそのしゃぼん玉は、壁に当たると割れ、周囲に魔法の波動となり伝播した。それは、一種のレーダーのようなものだった。魔法の力で周囲の動くものを感知するのだ。私はその間、自分の右手を鋼鉄化する魔法を唱え続けた。


 アシュリーの目が大きく開かれ、ある一点を指さす。

 腕をまくりあげた私は、迷うことなくそこに向けて突進し、壁に自分の右手を突き刺した。右手は空気の隙間に滑り込むように壁の中にめり込んでゆき、指先がソレに触れた。

 その瞬間、私は指先から電流を放出する。

 よし、と思い、最早動かなくなったそのふわふわの生き物を手繰り寄せると、毛むくじゃらの哀れなモグラが私たちの前に姿を現した。



「やった」、と思わず声がでた。

「ねぇ」と隣でアシュリーが言った。「二人で食べちゃおっか」

「ダメだよ。ハウスの掟をやぶったら、地上行きになるよ?」

「一匹ぐらいバレないわよ」

「ダメ。本当に懲りないわねアシュリーは……、すぐそういうこと言うんだもの。私まで地上行きにされるわ」


 地上行き、というのは、このハウス内における刑罰の一種だった。梯子を上り、地上で大きな獲物を3頭以上とってこないとこのハウスに戻ってきてはいけないのだ。例えば鹿や熊といった大きな獲物だ。年に数回、この地上行きの刑罰でハウス内は大いに潤うこともあるのだが、その代償として、五人に一人は確実に命を落とした。



「でもね、地上行きだってそんなに悪いことだらけじゃないわ」とアシュリーは笑った。「地上は光が満ち溢れていて、そして空気がおいしいの。変な臭いが一切しなくて、解放された気持ちになるの……」


 アシュリーは一度地上行きを経験していた。三年ほど前の話だ。その時もやっぱり自分のとった食料を黙って食べるという罪を犯し、地上行きになったのだ。だが、アシュリーはいとも簡単に三頭の大きな獲物を狩り、帰ってきた。


 そして、その体験をまるで素敵な体験のように私に語るのだ。本当に地上は素晴らしいところだった、と。


 以来私は、時折地上はどんなところなのかと想像するようになった。きっとアシュリーの話の通り、太陽の光を体いっぱいに浴びることのできる場所なのだろう。そして、ハウスには僅かしかない緑色の雑草たちが、あまり感じることのない“風”というものに揺らされ、最高に気持ちいいのかもしれない。


 私は顔を横に振った。


「ダメダメ。地上行きなんて、絶対ダメ。前回だってどれだけ私が心配したか忘れたの?」


 アシュリーは眉をハの字にさせると「まったく、心配しょうなんだからリリアは」と、どこか悪戯っ子のような笑みを見せ、また呪文を唱え始めた。




 いつもこうだった。

 冒険心に溢れ、自由で型破りなアシュリー。

 少し臆病で、慎重で型にはまった行動しかできない私。

 同じ父親と母親をもち、同じ日に生まれた者同士なのに、どうしてこうまで性格が違うのだろう。



 双子。

 そう、私たちは双子だった。

 姿かたち、声まで似ているのに、性格だけがまるで違う双子。


 アシュリーが姉で、妹が私。

 お父さんとお母さんは数年前に栄養失調で死んでしまったので、私たちだけが互いのことを思いやれる最後の家族だった。


 私は最後のミミズを掴むとそれを籠の中に投げ入れた。テラテラと光るミミズが籠の中で絡み合っていた。結局2匹のモグラと11匹のミミズが今日の成果だった。



「まぁこんなところね」と私は顔をニヤつかせた。モグラが2匹とれるなんて滅多にない。昔は1日にしごひきとれることもあったのに、今では1日1匹とれるだけでも良い方だ。酷いときは一週間以上なにもとれない時がある。野菜だってそうだ。昔はもっと大きな野菜を食べた記憶があるのに、どんどん野菜が小さくなり、やせ細ってゆく感じがする。

 そんな現状に私たちはどうすることもできなくなっていた。

 でも、とにかく、今日は2匹とれた。きっと皆も私たちに感謝するに違いない、と思い隣を見ると、アシュリーの浮かない顔が見えた。


「どうしたのアシュリー」

「別に」とアシュリーは答えた。



 アシュリーの気分はコロコロ変わる。

 突然空を見たいと泣きだすこともあるし、落ち込んでいた3秒後に明るくなることもあった。だから気にすることなどない、と思い、私は下へ通じる梯子に向かって歩き始めた。すると、しびれを切らしたようにアシュリーは言った。



「ねぇ、わかるでしょリリア。私が何を言いたいかぐらい」


「何よ」と私は振り返り、アシュリーを見た。

「こないだ私たちの誕生日だったわよね」

「そうだけど?」

「17よ。私たちはもう17歳になったの。……なのに、私たちはあいも変わらずくらーく、深い洞窟の中で飯探し……」

「何が言いたいのよ」

「いつまでこんなことしなきゃいけないの? って言いたいに決まってるでしょ。こんなじめじめした場所に、ずぅーっと、ずぅーーーと居続けなければならないの? 17年よ? 17年こんなことを続けているのよ? くらーく、狭い中で、キノコとジャガイモとミミズばかり……。もうイヤ。こんな生活うんざりよ。これ以上こんな生活が続くことに耐えられない!」



 腹の底からため息がでてきた。


「もうこれで何度目よアシュリー」

「何度目って、何度も思っちゃいけないわけ?」

「いけないわ! そんなこと誰だって思ってる。こんなところうんざりだってね。でもね、みんな我慢してるでしょ? 地上はフェンリルのものなの。私たちがどんなに地上で暮らしたくてもね。あいつには勝てないのよ。勝てない以上地上は諦めるしかないの。そうでしょアシュリー、違う?」

「勝手に結論をださないで! まだ他の方法があるかもしれないじゃない!」



 疲れと色んなものが入り交じった溜息が唇から自然と漏れた。


 誰だってアシュリーと同じように思いたい。憧れの地上で暮らしたい。ひの光を浴びながら、ウサギや鹿や豚やトマトを腹いっぱいに食べ、月を見ながら眠りにつきたい。風を受け、日向ぼっこをし、揺れる草木とそこでたわむれる虫たちを眺めていたい。そんな方法があるなら、悪魔に魂を売り渡しても構わない。でも、そんなことできるわけがない。そのために何万人、いや何十万人、いや何百万人も命を落としてきたのだ。


「私は必ず見つけ出すわ! 地上で暮らす方法を。……いや、ここにいるみんなを救う方法をね!」と啖呵をきったアシュリーは私を残し、光と共に去っていった。私は闇の中に独り取り残された。なにか力が抜けてゆくような思いだった。だから、背負っていた籠を下ろし、私はその場にしゃがみこんだ。


 ガサガサ、という音がした。おおかた仕切りの設けられた籠の中で、隣のミミズを食べようとモグラがそこを引っかいているのだろう。とにかく、目の前が暗くて、しん、としてしまったものだから、その音がやけに大きく聞こえた。

 だからかもしれない。私は誰に言うわけでもなく「地上で暮らす方法かぁ」と呟いてみた。すると、乾いた笑いがこみあげてきた。



 そんな方法あるわけがない、と知っているからだ。でも……、本当にアシュリーの言うような世界が訪れればどんなによいだろう。そんな世界が訪れるなら……どんなに……


 私は頭を横に振った。

 そんなことを考えてどうするつもりだろう。

 この暗闇の中だけが私たちに残された最後の場所。それでも皆、生きていくしかないのだ。私は魔法を詠唱すると、自分の指先から光の玉をだし、周囲を明るく照らした。そして立ち上がり、籠を背負い、ゆっくりと一歩踏みしめた。そして一歩踏みしめるたびに自分に言い聞かせる。


 考えるな、と。余計なことは一切考えるな、と。


 そうして脳みそを空っぽにする。

 これだけが、自分の生きる道である、と知っていたからだ。

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