第21話 元凶

 拷問をされずに済んだ捕虜は、剣をちらつかせるキリルを気にしながらも、ぽつりぽつりと話していった。あまり詳しくは知らないが、ランプレヒトは〈茨の魔法〉を求めていること、彼に協力する見返りに賢者の力を借り、竜滅装備を増やし兵力増強を狙っていること。

 そして、ゆくゆくは竜滅の武器で次の賢者ユルギスを殺し、ランプレヒトを永遠の賢者に仕立て上げるつもりであること。


「なんで竜殺しの武器じゃなきゃいけねえんだ? 殺しゃあいいだろ、赤ん坊なんだし、簡単だぜ?」

「賢者が理由なく人間を殺められないように、人間も賢者には手出しが出来ない。……だが竜性武器ならば可能だ」


 ユルギスは顔を覆っていた。


「何故だ、ランプレヒト……己のためにすべてを振り回すなど、貴方らしくもない……!」


 叫び声を聞いたのか、スヴェンが何事かと駆けてきた。キリルが手に剣を持っているのを見て、呆れて腰に手を当てた。


「やいゴリラ、今にうっかり切り刻んじまわないかって、騎士の皆さんがヒヤヒヤしてるだろ。さっさと返してやりな。んで? 話は聞いてたけど、賢者がここまでやりたい放題やってるのはとうとうまずいぞ。こうなったらきちんとランプレヒトにけじめつけさせるのが筋だ」

「スヴェン……だが」


 反対しようと声を上げたユルギスに、スヴェンは同情するような視線を向けた。


「お前もいい加減ハラ決める時ってことさ、ユルギス。お前にもおいらたち魔女にも賢者は殺せないけど、ちょうどここに手を下せる奴がいる」

「ちょっと待ちな。あたしは用心棒の依頼は受け付けるけど、殺し屋稼業はかなり前に足を洗ったんだ。“ランプなんちゃらを殺せ”ってことなら、受け付けられないね」

「……はァァ!?」


 スヴェンは目を剥いて、キリルの騎士服を掴んで揺さぶった。体幹のガッシリしているキリルは全然揺れないが、それでもスヴェンはガクガクと力任せに揺すった。


「おン前この野郎、脳みそ筋肉ゴリゴリ女! じょーきょー分かってんのか!? このままだと均衡が崩れて全部めちゃくちゃンなるんだよっ! おいらたちがやらなきゃ、今度は生き残ってる竜たちが考えなしに好き勝手滅ぼし始めるかもしれないんだぞ!」

「だってさあ、あたしは結局、賢者とか魔女とかよく分かんねえし、自分の正体が分かったところで早く死ねるわけでもねえし、だったらやりたいようにやるだけさ。そら、どけよそこ」


 スヴェンを引っぺがして、キリルは大股で王の元へと近寄った。正気に戻った王は顔を覆って蹲っていた。息子を奪われる種を作り、更には自分が殺した娘を前にして、打ちひしがれているのだ。


「ああベルフォート、エレオノラ……私は二度も己の子をッ……!」

「おい王サマ、泣いてる場合じゃねえぞ。このまんまだとあんたの息子も殺されちまう」

「……どうか恨んでおくれ……頼む、許さないでおくれ……こんな私が王などと、父などと……」

「おい王サマ、聞いてんのか。奴ら、ベルがもう魔法を持ってないって知らねえんだ」

「……娘は……私が……ああ、エリー、すまない……すまなかった……! 」

「チッ――国王ッ!」


 怒鳴り声にクリストハルト王はビクリと肩を震わせて、顔を上げた。その肩をキリルが力強く掴んで揺する。


「今は正気なんだな? ならよく聞け。あたしとベルの契約は“報酬を貰えるまで”、報酬が払えねえ場合は“王になるまで”だ。つまりまだ契約履行中なんだよ。分かるか?」

「……ああ、えっ?」

「このままベルが殺されちまって報酬を取りっぱぐれるなんて、あたしゃ御免だね。あんただって、息子が自分の知らねえところで殺されんのは嫌だろ?」


 キリルに突き飛ばされたスヴェンは走った。キリルには劣るが、肉体は育ち盛りの少年、ばねは強いのだ。キリルは混乱に乗じて、筋の通っているようで全然通っていないことを言って、めちゃくちゃな契約を国王と取り交わそうとしている。それは“ことわり”の調律者の一人として、いやその前に倫理的によろしくない、止めなければならないという義務感に、スヴェンは駆られていた。


「ちょっと待てキリル――」

「お互い利害が一致してンなら、ビジネスが成立するぜ。どうだい? いろんなしがらみでがんじがらめになってるあんたの代わりに、あたしがちょっくら行って、あんたの息子を取り戻して来ようじゃないか」

「本当か……? 本当にあなたが取り返してくれるというのか?」

「おうよ。あんたの方はそれに見合ったご褒美を用意してくれりゃあいい」


 国王はそう長くは迷わなかった。キリルの提案に、王はゆっくりと頷いた。


「……そうか……そうだ、それがいい。二百年後の世界で、ずっと眠りにあった私たちが上手く渡り歩けるとは思わぬ」


 国王の目に、光が戻った。呪いに惑わされていた男ではなく、一国の主として、父親としての威厳を取り戻したクリスハルト王は、先ほどの握手を倣って片手を差し出した。


「これまで息子を守ってくれた貴女に託そう。よろしく頼む、キリル殿」


 キリルは満足げにニヤリと顔を歪めて、王と握手を交わした。


「ヒヒッ。やりィ、契約成立」

「――……こンのゴリラ女ァァァ!」


 スヴェンは間に合わなかった。

 だから、吐息で魔法の蔦を現すと、叱責と腹いせを込めて、えいやっと操ってキリルをぐるぐる巻きにした。


「ぐぁ……っおい、何すんだくそ魔女ガキ!」

「お前が何してんだ、良識ってもんがあるだろうがボケェ! 呪いから醒めていろいろ混乱してる相手に契約持ち掛けるたァどういう了見だ! 詐欺だぜ詐欺!」

「何だよ、みんなに利があるぜ!? 息子が戻って来れば王サマもお妃さんもハッピー、ベルは王の座が手に入ってラッキー、魔女も賢者もいろいろ問題解決して万々歳、そんであたしは王サマからもベルからもご褒美が貰えてウハウハ――あっ」

「よし。シメる」


 蔦がキュッと締まった。キリルからぐえっと鶏を締め上げたような声が上がった。

 キリルをそのままにして、スヴェンは項垂れたままのユルギスの思念体に近寄って、そっと声をかけた。


「あいつは汚い腹積もりを乗っけてきたけど、要はさ、ついでに賢者の方も片付けてやるって口実づくりかもしれないぜ」

「……どうだろうな。彼女は本当に、世界一自由な存在だから」


 ようやくユルギスは顔を上げた。その顔が、ほんの僅かに綻ぶ。


「もしキリルのおかげで片が付いてしまったら、俺は二度も救われたことになってしまうな」

「二度? あいつに助けられたことがあんのか?」

「こっちの話だ。……斯くも自由な存在というのは、眩しいものなんだ」


 スヴェンはますます分からないといった風に首を傾げたが、蔦を引きちぎってぽいぽい投げ捨てるキリルを見て、ユルギスは眩しそうに蒼い目を細めたのだった。






 * * *






 意識を取り戻したベルが最初に見たのは、殺風景な石の天井だった。灰色の石壁に取りつけられた松明がゆらゆらと照らす他に光源はない。床に敷かれた絨毯はすり切れていて、狭い部屋の隅の方にチェストが置かれているほかは、自分が眠る簡素なベッドのみだとベルは気が付いた。

 頭が重たい。魔法ではなく薬で眠らされたのだろう。幼い頃から毒の耐性を付けるため、あらゆる毒に体を慣らしてきたが、二百年後の世界ではそれも通用しないのかもしれないと、ベルは体を起こしながら分析した。


(鉄の鎖……流石に切れそうにはないか)


 両手は寝台と鎖に繋がれていた。枷の部分には細かく呪文が刻まれていて、魔法を発動できないようになっていた。


「逃げ出す術はないぞ、“茨の王子”よ」


 鍵のかかった鉄格子の向こうから、竜滅兵が睨んできた。


「じき、皇帝陛下の相談役がいらっしゃる。その寝ぼけた顔をどうにかしておくことだ」

「そうさせてもらうよ。……ところで、僕はどれくらい眠っていたのかな?」

「答える義理はない」

「だろうね」


 そっけない返事にも感情を見せることなく相槌を返して、ベルは体を起こして寝台に腰掛けた。石のように固く、あの安宿のベッドの方がまだ寝心地が良さそうだとベルは思った。


「ここはアイゼンブルクだね。来るのは十八の頃以来だな。当時の第一皇子テオドール殿の結婚式に呼ばれてね。女性関係のことで随分噂があったから、これで少しは落ち着くだろうと誰もが思ったものだよ」


 ベルの声は至って穏やかだが、クスリという笑みにはあからさまに棘が見えた。


「ふふ、どうやらそんなことはなかったようだ。彼が僕を好ましく思わないのは知っていたけれど、テオドール殿はよほど僕を嫌っていたのだね。僕が眠ってすぐ後、第一妃と離婚して我が許婚を後妻に迎えるだなんて、手の込んだ嫌がらせだよね」


 ピクリ、と鎧が僅かに動いた。それを見てベルはますます棘を含んだ美しい笑みを深める。


「君には歴史上の出来事だろうけれどね、“テオドール帝”も“フランツィスカ妃”も、僕はよく知った人だよ。フランツィスカが本当は僕の妻になるはずだったことも、本当はとても心優しくて、花を愛でるのが大好きだったことも、歴史には伝えられていないようだけれど」

「揺さぶりをかけて取り入ろうとでも? お喋りに付き合う気はない、口を慎め」

「もう、堅苦しいな。お互い退屈しないようにと思ったんじゃないか」


 クスクス笑い返して見せた後で、ベルは枷の嵌められた両手を上げて金色の髪を撫でつけた。


(ねえ、エレオノラ――)


 一人きりの時にいつもしていたように心の中に呼び掛けて、ふと思い出した。寸でのところで自分と切り離したので、〈茨の魔法〉はもういない。自分は一人ぼっちで未来の“鉄の国”に連れ去られてしまったのだ。


 しかしベルは、この状況に安堵を覚えていた。この孤独を味わうのが自分でよかったとすら思っていた。幼いうちに死んでしまったエレオノラは、キリルのお陰でやっと両親と再会できるのだ。たとえその魂が魔法に絡め捕られてしまっているとしても……エレオノラはようやく自分の言葉で、どれほど両親のことを愛していたかを伝えることが出来る。


(初めて会った時のあの感覚は間違いなかった。キリルならきっと……)


 長い眠りから目覚めた時を思い返してベルは微笑む。目を開けるとそこには見るからに粗暴な女性がいて、尻餅をついたままぽかんと呆けて自分を眺めていた。彼女が魔法を解いてしまったことは明らかで、更に驚いたことに、〈茨の魔法〉は一部が

 あの時喉がひりついていたのは、その事実に打ち震えたせいだけではなかった――そう気付いたのは、キリルの息を吹き返すために蘇生術を施し、腑が灼けるような感覚が襲ってきた時だ。


 キリルの吐息には竜の息吹ブレスの力が混じっている。

 キリルとベルの間で交わされた二度の接吻で、キリルの息はベルの中の〈茨の魔法エレオノラたち〉を僅かに殺した。そのことに思い至った時、ベルがどれほど高揚したか……。


 キリルならきっと、〈茨の魔法〉に囚われた歴代使用者の魂を解き放てる。何故ならば彼女は竜だから。“世界のことわり”の意思に基づいて、魂をあるべき姿や場所へと導く竜の力を持つ女だから。


(……とても、楽しい旅だった)


 綺麗なガラス玉が金色の睫毛の向こうに隠れた。初めての屋台飯、荷馬車旅、宿屋の軋むベッドに、賑やかな酒場。どこまでも続くような秋晴れの空には蜻蛉が飛び交って、茂りの時期を終えた地面の草は黄色に枯れて、そんな空っ風の吹く寂しい景色でも、キリルの歌は陽気に弾んでいて。

 この二百年後の世界で過ごした日々は、もしかすると眠りにつく前よりも色鮮やかな日々だった気がする。何度思ったことだろう、自分は本当は王子なんかではなく、友人と愉快に旅をしているただの男なのではないかと。


(僕も馬鹿だな。キリルは契約を交わした護衛で、僕は――)


 廊下の石床を鳴らす冷たい足音が耳に届いて、ベルは目を開けた。そのまなざしからは「青年ベル」の影はすっかり消えて、すっかり「亡国の王子ベルフォート」に様変わりしていた。

 鉄格子の扉が開く。金や青の刺繍の施された白いローブに身を包む男に、ベルフォートは手枷を嵌められた手を胸に当てて、礼儀正しく挨拶をした。


「アウレリア王国が第一王子、ベルフォート・クリス・アウレリアと申します。お初にお目に――」


 ベルは一度言葉を切った。そう、自分の記憶になくとも、彼と会うのは初めてではない。男を真っ直ぐに見つめて、ベルは凛と通る声で言った。


「いえ、貴方は僕たち双子に祝福を授けてくださったのでしたね――殿


 淡く澄み切った青い瞳と、濁り切った蒼い瞳が、松明の揺れる牢で交錯した。

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