第15話 茨の王子の帰還

 エルマーとエッダの夫婦は、旅をして来た三人に温かい夕食を振舞ってくれた。慎ましやかな食事だが、エッダの手料理は心のこもった優しい味がすると、ベルは感じた。


「……え、こいつがヘレナばあさんの言ってた男!? エルマーのおっちゃんじゃなく!?」


 食べたものを飛ばす勢いでキリルが叫び、壁際に一人佇むユルギスを指さした。スヴェンが行儀の悪さを咎めつつ呆れる。


「お前、ばあちゃんに上手いこと転がされて聞いてなかったもんなあ。おいらとそれなりに仲良くて、呪いに対する知識もあって、この中でお前に言うこと聞かせられるのって言ったら、エルマーもかなりいい線いってると思うけど、全部満たすのは確定でユルギス一人しかいないだろ」

「何だよその条件ッ……はいアウトー。あたし聞いてねえからナシー。賢者サマだって忙しいだろ、誰か一人の呪いなんてのにかかりっきりにする訳にもいかねえだろ」


 屋根から降りてきたはいいものの、ユルギスと再会してからのキリルはどうにも振る舞いが幼くなっている。それに時折、特にユルギスの視線を感じたり距離が一定以上近くなった時などに、くしゃみをするようになった。キリル曰く「ユルギスアレルギー」だそうだ。

 アレルギー反応の元は顎に手を当てて思案していたが、やがて頷いた。


「俺は普段、思念体を三つ操っているからな。他の二体を交互に休ませつつ、今この場にいる“俺”を同行させよう。何か大ごとが起きれば難しくはなろうが、それまでは問題ない」

「だってさ。良かったなキリル」

「よくねえ……! 全ッ然よくねえ! 嘘だろ、お前みたいなのが世界に三人いるなんて!」

「キリル。あまり大声を上げると、ユーリがびっくりしてしまうよ」

「…………チッ」


 綺麗な声で諭されて、キリルはすごすごと自分の席へ腰を下ろした。すっかりキリルの扱いに慣れてきた王子ベルである。

 キリルが大人しくなったのを見計らって、スヴェンが話を再開した。


「出来れば明日には発ちたいな。キリルの話じゃ、帝国の竜滅部隊に〈茨の魔法〉を見られたっていうから、本格的に動き出すかもしれない。その前に“茨の国”に行って呪いを調べたい」

「僕の我儘で手を煩わせるね」

「恐縮すんな。王子だろ? どんと構えとけよ」


 スヴェンは王族よりも堂々と胸を張った。


「王様の呪いを解くのだって何かの手がかりになるかもしれないんだ。案外我儘でもないかもしれないぜ」

「……ありがとう。それに、“茨の国”って呼ばれたのも随分久しい気がするよ」

「“鉄の国”みてえな呼び名だな。あんたの魔法になぞらえた呼び方か」


 久しぶりにキリルが会話に戻ってきた。いつの間にか皿を空にしていて、エッダがにこやかに食器を下げていった。


「僕が眠る前は、“鉄の国”に“本の国”、そして僕の“茨の国”が三大勢力だったんだよ。アウレリアは領土こそ小さな国だったけれど、〈茨の魔法〉という強固な護りの術の他に、中立国としていろんな国と友好関係を結んでいたからね。ちなみに“本の国”は今のエルンスト共和国の前身だ」

「あー、図書館!」

「その通り。昔からあの辺りは学者や研究者、魔法使いが集う国でね。領土を治めていた大公が彼らを積極的に擁していたから、“本の国”と呼ばれるようになったそうだ」


 ベルは食器を皿に置いて、ナプキンできちんと手を拭き、話を戻した。


「ここからアウレリアまでは少し距離があるし、“鉄の国”の懸念もある、行動は出来るだけ早めたい。僕が目覚めてからもうひと月余りが経つだろう? 父の呪いの進行状況も未知数だ。ユルギス、いいかな?」

「無論だ。エルマーとエッダには手をかけさせるな」

「良いんですよ、私たちのことは。ユルギス様の護り指輪もありますし」


 エルマーは指に銀の光を輝かせて、にこやかに頷いた。キリルがくしゃみした。


「では明日発とう。余力を蓄えるためにも、俺は先に休ませて貰う」


 そう言うと、ふっとユルギスの姿が消えた。常に操っている三つの思念体を交代で休ませることにより、赤子である本体に負担をかけないようにしているのだ。

 キリルはようやくくしゃみが止んだ。それを見てスヴェンは、どうにかユルギスアレルギーに有効な薬を作り出せないかと、半ば本気で考えたのだった。






  * * *






 竜人キリル王子ベル魔女スヴェン賢者ユルギスの四人の旅路は、賢者の近道魔法で幕を開けた。

 農村を出発して山を少し下ったところに湖があった。山に吹く強風で水面は絶えず揺れていたが、ユルギスが杖を振ると風は湖を避けていき、水面が鏡のように静まり返った。そこに杖の先っちょでちょんと突くと、別の景色が映った。


「くぐると天地反転したようになる、気を付けろ」

「僕がスヴェンの家に行った時にも教えて欲しかったな」

「あの時は緊急だった」

「ふふ、冗談だよ」


 悪戯っぽくくすくす笑って、王子は頭から湖に入って行った。続いてキリルが勢いよく飛び込み、野兎姿のスヴェンもぴょんと入った。

 飛び込んだキリルはざばっと水面から飛び出して、そのまま岸に着地した。兎は飛距離が足らず少し泳ぐ羽目になったが、ぱちゃぱちゃ水を掻いて岸に上がった。残る王子は、


「……僕は下手くそだね」

「気にすんな王子。この中でまともな人間はお前だけさ」


 キリルの差し出した杖に掴まって引っ張り上げてもらい、スヴェンに魔法で全員の服を乾かしてもらった。

 それが済むと、キリルは辺りを見回した。どこかの森のようで、少し向こうの方に道が見える。


「“エルンスト共和国”の東隣の国、“ザイツ国”だ。あと二、三日も歩けば“茨の国”跡地に辿り着く」


 涼やかに告げるユルギスに、キリルは目を剥いた。


「どえらいショートカットじゃねえか! もう少し時間あると思ったのによ!」

「急いでいるんだろう? 不満か?」

「いやまあ……別にいいんだけどよ。ほら行こうぜ」


 目のいいキリルが見つけた道を、四人は並んで進む。思念体であるはずのユルギスだが、滑るように移動するわけではなく、本当に実体が土を踏んでいるように見える。彼は役割上よく人前に姿を現す必要があるので、実体が無いことを悟られぬように振舞うのだ。

 道の端っこを陽気に歩いていたキリルだったが、しばらく歩いた頃、ふと真面目な顔をしてスヴェンに話しかけた。


「魔女は精霊と話せるし、賢者はバカスカ魔法使えたり出来ンだろ。竜にも何か特殊能力はねえのか? 魔法とか呪いの類がまったく効かねえって他によ」

「あるぜ。竜は魂を見ることが出来る。古い竜なんかは魂との対話も出来るって話だ」

「……タマシイ」

「竜はごくたまに人間を襲う時があるけど、それは穢れた魂を摘み取って、その土地を浄化しようとしてるって話だ。……奴ら気まぐれ過ぎて、傍から見りゃとてもそうは思えないがな。だから人間の間では恐れられてるし、“悪い子は竜に魂ごと食われちまうぞ”って言い聞かせるんだよ」


 スヴェンは両手を頭の後ろに回して、背の高いキリルを見上げた。


「それにしても驚いたぜ……お前、実は竜だったって聞いても全然気にして無さそうだったから」

「気にするっていうより、ちょっとな。ベルの城が“鉄の国”のせいで陥落しかけてたンなら、目覚めたのに気付いて部隊配置してるかもしれねえだろ」


 ベルとスヴェンは、キリルの冷静な発言に目を丸くした。それに気付かないキリルは、切れ長の目を更に細めて続ける。


「あたしが“眠りの城”にお宝探しに行った時、城門の茨で“鉄の国”の皇子が死んでたんだよ。昔行方不明になってた皇子だ。換金した店で貰ったリストにももう一回目ェ通してみたが、いくつかアイゼンブルクを匂わすような品があった。あの国は定期的に人を寄越して、“茨の国”が復活しないか見張ってたってワケだ。そんな国が〈茨の魔法〉を使う男を見逃すと思うか?」

「たしかに……」

「しかも〈茨の魔法〉使いの隣には、竜の気配漂わすあたしがへばりついてる。あいつら、あたしのことを竜だって自信満々に言ってたし、実際奴らの武器は効いた。あの大国がそこを対策せずにいるとは思えねえ。城に戻ったら天敵がいました、なんて展開だって充分あり得んだよ。……奴らの対策を何か考えるにゃあ、まずはてめえのことを知らねえとだろ?」


 一同は感心の溜息をついた。特にスヴェンは翠の目を見開いて、大いに驚いた。


「すげえ……ゴリラ女がキレッキレだ……」

「もっと褒めてくれていいぜ。それで、竜の死骸で造ったっていうあの武器への対抗手段、何かあたしにねえかな?」

「純粋に竜同士だったら、互いに傷を負わせることが出来るところだけど……いくら竜性装備だからって、竜の攻撃を軽減こそ出来ても、完全に打ち消すことは出来ないはずだ。おいらは『試しにぶん殴ってみる』ぐらいしか思いつかないや」

「それも考えたけど、あたしの拳が爛れっちまうだろ」

「そうなんだよな……」


 スヴェンは顎に手を当ててぶつぶつ言い始めた。竜の性質を持つ武器ならば、恐らく魔法も無効化してしまうに違いない。そうなれば、たとえ魔女や賢者が魔法でキリルを強化したとしても、容易に撃ち破られてしまうだろう。

 キリルも何かヒントはないかと、改めて思考を巡らせた。自分が持っている魔道具は、竜性武器に対抗するにはあまり意味を為さないだろう。他に自分には何がある? 怪力、身体能力……護衛対象の王子……薬師の魔女に、次なる賢者の思念体……。


「……ん? キリル、お前なんてガラ悪い顔して笑ってんだよ」


 ひとしきりの思索から戻って顔を上げたスヴェンは、意地悪く目を光らせてニヤつくキリルに気が付いた。キリルはヒヒヒッとこれまた人相の悪い笑い声を上げた。


「いいこと思い付いた。こりゃあ試す価値アリだぜ。次に奴らに会う日が楽しみンなって来たぜ、ヒヒヒ」

「……楽しそうで何よりだよ」


 竜は気まぐれな生き物だ。そして半分は竜の血を持つこの女も決して例外ではないのだと、スヴェンは苦笑いしながら胸に刻んだ。






  * * *






「――じゃあ、いいかい、キリル?」


 城門の少し手前で、ベルは手に滲む汗をズボンに擦りつけて、キリルを見た。

 キリルがどこかそわそわしながらも頷き、ベルも口をキュッと引き結んだ。


 二人はなだらかな傾斜を進んでいった。城門の両隣の番兵が、二人の姿を認めるや、槍を交差させてゆく手を阻んできた。


「この先は王の居城である。名と目的を述べられよ」

「二人とも、城の番ご苦労。僕だ。ベルフォート・クリス・アウレリアの帰還である」

「ベ――ベルフォート殿下!?」


 フードを外しながらベルが名乗りを上げると、門番は二人とも声を裏返した。サラサラの金髪は自分たちが知るよりもずっと短くなっているが、美しい顔立ち、ガラス玉のような目は間違いない。

 しかし門番はすぐに通すことはしなかった。一人を城の中へ伝令に走らせ、もう一人は二人をそのまま待機させた。


「ふうん。いい門番だ」

「何だか自分が褒めてもらえたようで嬉しいな」

「……あんたが王族だってことを久々に思い出したよ」


 にっこりと笑ったベルは、キリルにそっと耳打ちした。


「君はその王族の護衛だ。あまり心配はしていないけれど、堂々としていていいよ」

「そうするよ。……騎士時代を思い出すねえ。こんなに時間が経っても思い出せるとは思わなかったよ」

「キリルは忘れっぽいのにね」

「おい殿下、一言余計だぜ」


 キリルとベルは互いに顔を見合わせて、ニヤッと笑った。そんな王子を見て門番が目をまん丸くしたことは言うまでもない。

 やがて城門が開かれて、二人は門番について城内へ足を踏み入れたのだった。

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