第23話 命の価値

 それからしばし、待ち時間が続いて。


「ちょっと、便所行ってきます」


 言って、キミタカは食堂を出た。

 進展しない会議に少し飽きた素振りを見せて、あくびをかみ殺す真似までして。

 先輩方は皆、こちらに見向きもしない。

 誰からも返事がないので、許可を貰ったと解釈して部屋を出た。


 便所は食堂からさほど離れていない。キミタカは便所の中へ入った時点で本当に催していることに気がついて、しっかり用を足してから、窓から出た。

 そのまま裏へ回って、自分の部屋に辿り着く。


 装備は以前、アカネと新昭和湖に行った時のものしかなかった。

 十字弓とナイフ。これがキミタカの持つ武装の全てである。


 ついでに、背のうにいくつか食料も詰めておく。

 シズの話によると、アカネは食べ物を食べると傷が癒えるらしい。にわかには信じがたいが、大昔のことだ。発展した科学は魔法と見分けがつかないという。そういう、不思議な力があっても不思議ではない。


 足音を立てないよう注意して兵舎を抜け、運動場を横切るように走った。


 あわじ駐屯地には門が一つしかない上、そこには常時見張りが居るのだが、ここの塀はいくつか抜け道がある。

 塀の下の小さく草が盛り上がっている場所を見つけて、手で払うと、木の板が現れた。

 それを外すと小さなくぼみがあって、そこから外へ出ることが出来るはず。

 夜回りの隊員に見つかると(どうせその隊員も夜中に抜け出したことはあるのだろうが)体面上怒られなければならないので、大抵の連中はここを通って外へ出る。


「よっ……と……」


 一人で行動せねばならない孤独故か、無意識に独り言が出た。

 匍匐前進で塀をくぐり、向こう側の穴を塞いでいた板を取り外し、注意深く頭を出す。


「ぃようっ」


 そこで頭の上から、声。

 一瞬、ぶたれると思った子どもみたいに身体を硬直させる。

 そして顔を上げ、――「してやられた」と、歯噛みした。


「島田先輩……なんだってここに」

「お前にこの抜け道を教えたのは、誰だった?」


 ここに来てから教えてもらったことはほとんど、この人の口から聞いている。

 キミタカはため息をついて、


「……行かせてください」

「で、無駄死にか?」

「そうかもしれない。でも、そうならないかもしれない。だったら、俺はそっちに賭けます」


 言い終わる前に、島田はその言葉を遮る。


「隊長が早く戻ってくる方に賭けることはできんのか」

「今、できることは、小さなことでもしておきたいんです」

「ヒロイズムに酔っている自覚は?」

「あります。そういう時が一番危険だってことも、わかってます」


 キミタカははっきりと言った。

 島田はこの、跳ねっ返りの後輩を真っ直ぐ見据え、


「俺たちの仕事は」


 タバコを取り出しながら、さっとマッチを擦る。変人のくせに、こういう仕草が妙に決まっているのが、この人の不思議なところだ。


「普通の仕事とは違う。わかるか?」


 唐突な語り口に、キミタカは訝しげな顔をするだけだ。


「俺たちはいざというとき、死ななければならない。国民保護隊は、国民を保護するための部隊。この国で唯一、他人のために死ぬことを求められる仕事だ」


 そういえば部隊に入る時、そういった内容の文章にサインをした覚えがある。だが、こうして事実として目の前に突きつけられても、なんとなく実感がわかなかった。


「いいか。俺たちはいつ、いかなるときでも、国民の命の保護に従事する。そのために死ななければならない場合は、。そういう義務がある。他国との戦争も、ここ百年ほどご無沙汰だ。でも、それでも、俺たちは国の軍隊であることを名乗り続けてきた。だから、そこんとこはシビアにやってきてる」


 つまり、どういうことだろうか。


 アカネは、仲間だ。

 彼女の命を守るということは決して、自分たちの仕事を逸脱しているわけではない。

 そういう解釈をして良いのだろうか。


「だから、俺はお前を止めない。お前は金貰ってここにいるんだ。それ以上はどんだけ新米でも、プロなんだ。だから、いくらでも命を賭けろ。

 国民に尽くせ。仲間に尽くせ。

 それができて初めて、一人前の保護隊員だ。逆に言えば、それができなきゃ保護隊員とは言わない。少なくとも、俺は認めないね。

 ……だが……」


 島田は、タバコを一息に吸い込み、あっと言う間にフィルター部分まで吸い込んだ。

 ぷっ、と地面にタバコを落とし、踏みつける。いつもなら、ゴミを増やした島田に非難の声でも上げたいところだが、あいにくそういう雰囲気ではなさそうだ。


 空気がものすごい勢いで張り詰めていくのを感じる。


 何を言われたというわけでもなく、キミタカは背のうを降ろした。


「俺は、お前の教育を一任されてる。だから、お前をどうしようと、俺の勝手だ。誰にも咎められない。……さて、俺は今、突然、貴様に実技の抜き打ちテストをしたくなった。……問題はあるか? なければわかれ、復唱!」

「はっ。自分は今より、島田無行一士と実技の試験を行います」

「よし」


 キミタカは腰のナイフも地面に置く。

 暗闇にはもう目を慣らしてあるから、島田の姿は完全に捉えられている。視界も悪くない。数メートル四方は遮蔽物もなく、月の光が差し込んでいる。


 ようやくわかった。島田一士の言いたいことが。実に単純なことだ。

 「未熟者には任せられない」、そういうことである。


「一士。申し訳ありませんが、一つ質問よろしいですか」

「良い。なんだ」

「試験の合格条件を」

「手段は問わん。俺を地につけることが出来たら合格とする」

「了解しました」


 キミタカは訓練通りに構えて、島田の全身に注意を配る。島田は構えることさえせずに、手を腰に当てたままだ。


 どこからでも調理できそうで、どの部分にも手が出せなそうな気がする。


(落ち着け。これは試験なのだ)


 相手が腰に手を当てているということは、顔への防御が遅いということ。

 つまり、ここは頭部への打撃が良さそうだが……。


(顔へ掌底して目くらましの後、関節技へ持っていく。これだ)


 そう思考を巡らせて、……右手を目標へ狙いをつけた、次の瞬間。


「――ッ?!」


 ふいにキミタカの視界が、がくんっと下降した。

 一瞬後、軽いローキックが膝関節の裏側に当たっていることを自覚する。

 

「お…………っ」


 その、次の瞬間。

 島田の太い右腕が蛇のように巻き付いたかと思うと、――がっちりと首を絞められていた。


「ぐ……ぅ……」


 ほとんど力業で、絞め技を決められたらしい。

 キミタカは必死にたばこ臭い腕を外しにかかったが、びくともしない。


「ガキが。特攻するなら、策を練るより前に鍛錬を怠るな」


 本気だ。島田無行一士は、本気で自分を気絶させようとしている。


――まずい。


 頭が働かなくなって、視界が暗く、深いところへ沈んでいくのがわかる。


「せん……ぱい……」

「あん?」

「俺……じつは、人形だって、話したじゃない……ですか……」


 少し、拘束が緩んだ。話を聞いてくれるらしい。

 脳に血液が行き届き、五感が戻ってくる。だが、また少し力を入れれば、今度こそ意識は吹き飛ぶ。そういう、微妙な力加減だった。


「そうだな。だが、……それがどうした?」


 なお、キミタカが人形だという事実は、隊員であれば周知の事実である。


「実は先輩に、一つ、嘘を吐きました」

「嘘?」

「はい。俺、擬似的な金属病があるって言ったじゃないですか。あれです」


 喉の奥から絞り出すように、一息で言った。


「それで……俺、胸ポケットにいつも金属製のお守りがありまして……」


 その言葉で、十分だった。

 首を圧迫する腕から、信じられない量の汗が噴き出る。


「先輩、


 ダメ押しの一言。


 金属病は、――実際にそれが存在しているかどうかは問題ではない。

 「ある」という可能性だけあれば、十分なのである。


 この世界の全ての人間は、足場が悪く、酷く脆い橋に必死でしがみついているに過ぎない。

 人間は、弱い。

 ひょっとすると、この地球上で最も弱い生物かもしれない。


「ぐ………う……!」


 腕の拘束が、さらに緩んだ。

 入隊二ヶ月目の新米といえど、その隙を見逃すほど甘くない。


「失礼ッ! しまっす……!」


 前に思い切りお辞儀するような形で、島田一士を投げ飛ばす。

 一本背負い。実技で成功したのは初めてだ。

 ばたん、と、癖になりそうな心地で、見事に技が決まる。


 それから一拍遅れて、


「嘘です。俺、本当に人間と何も変わらないんですよ」


 ほとんど謝るような口調で言う。

 その証拠とばかりに、胸ポケットに入れたお守りを見せた。

 布製の、下手なわんこの絵が刺繍された可愛らしいお守りが、キミタカの指先で揺れてる。


「……てめぇ」


 だが、試験は合格だろう。


「鍛錬の件、前向きに考えときます。でも、今だけは行かせてください。俺、いま動かないと、きっと一生後悔します」


 むくりと半身を起こして、島田は見上げる形でキミタカを睨みつけた。

 やがて、諦めたようにため息をつく。


「これは、もう少し後になってから話そうと思ってたんだがな」


 起き上がるのかと思ったら、また仰向けになった。

 ついでにたばこをくわえて、火をつける。


「俺たちには、命の値段がある。意味、わかるか?」

「……教えてください。師匠」


 キミタカが大仰に言うと、


「うむ」


 島田も大仰に頷く。


「俺たちは、一度戦うと、数字だ。数字に換算される。

 勇者の価値も、負け犬の価値も、一定ではない。

 じゃあ、キミタカ。?」


 島田は一息で言い切ると、死んだように目を瞑って、タバコをふかした。


「お前、二階級特進になっても、俺と同じ一等陸士だ。三士から二士なんて、サボってても上がれるんだから、死ぬならせめてその後にしろ。わかったな?」


 ぶっきらぼうな口調と裏腹に、何故かキミタカは、今の教えがとても、――優しい言葉に聞こえた。


「わかったら、行け。いっちまえ」


 キミタカは、入隊式以来一度もしなかった、挙手礼を行う。

 なんとなくそれが、この場に最も相応しい敬礼である気がしたからだ。


「了解。小早川キミタカ三等陸士、これより国民保護任務に就きます」


 しばらくの間があって、先輩が何か言い忘れていることがあるように唸った。

 その後、


「キミタカ。何度も言ったことだが……俺たちの仕事に……」

「――不可能なことはない。

 ただ、限りなく不可能に見えることがあるだけだ。……ですよね」


 キミタカはにっこり笑う。先輩は鼻で笑った。


「良し。さあいけ、俺の可愛い、坊やちゃん」



 それから、数分後。

 一人残された島田は、ぼそりと、


「――あ。ちなみに、君は駄目だから」


 と、虚空に向かって言った。

 すると、おずおずとシズが木陰から姿を現す。


「……。どうしても?」

「髪の毛の匂いを嫌と言うほど嗅がれたいの?」


 島田が屈託のない笑顔のままいうので、シズは顔を引きつらせたまま、がっくりと項垂れた。


「安心しな。君には君の仕事がある。それに……」


 そして、シズの頭にそっと手を乗せる。


「君の頼りになるおじさん、――神園隊長は、かならず間に合う。

 そういう男だ」

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