第二章 トキキザミ

第9話 神園シズ

『拝啓 若葉の緑も清々しいこの頃、いかがお過ごしでしょうか。

 あれから二週間ばかり経ちましたが、なんとか元気にやっております。


 前回の手紙でしきりに心配してらっしゃいましたが、怪我などはありません。むしろ、美鈴が数ヶ月前に鍋をひっくりかえしてできた火傷の具合が気にかかるくらいです。あれから怪我はよくなりましたか? 人形から買った火傷薬を同封します。この薬は良く効くというので、悪くなることはないと思いますが。


 そういえば、こちらではまた、少し変わったことがありました。

 神園隊長の姪御さんの、シズちゃんという娘についてです。

 彼女は、幼いながらも国民保護隊の食事に関する一切を任されている立派な娘なのですが、今回、彼女がちょっとした事件を起こしたのです。

 ――妙な縁というべきか。また、”物の怪”が関係しています。

 といっても、前回みたく、俺が直接目の当たりにした訳じゃないんですけどね。


 今日は、その話を書こうと思います。』



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―――――――




 神園シズの一日は、保護隊員たちのそれより少しだけ早く始まる。


「くあ……」


 少女は、人前では決して見せない大あくびをして、薪をくべた。

 着火剤にマッチを投げ入れると、まだ空が白む前の、当たり一面の黒に、やさしく赤色が灯される。

 シズは、この時間が好きだった。

 誰にでもやさしくなれそうな、この時間が。


「――よぉし」


 気合を入れて。

 シズはポケットの中から、お守り代わりの”例のもの”を取り出す。

 これを使うかどうかで、勉強の捗り方が違うのだ。


「ふんふんふ~ん♪」


 そして、鼻歌混じりに、シズはいつものように手帳を広げて。

 朝は自習の時間と決めていた。

 学校に通っていない彼女は、こうして空き時間に漢字の書き取りをする習慣がある。

 この時間だけ、……シズは、素顔の自分を取り戻すことができた。


――はずだったのに。


「ありゃま」


 いつの間にか、食堂の入り口に赤髪の《人形》がいて。


「――ッ!」


 慌てて机の上のものを片付けるが、もう遅い。

 《人形》は少しだけぽかんとした表情を見せた後、シズの顔をじっと眺めて、


「へーえ。……そーいうことかぁ」


 と、したり顔で納得する。

 シズは凍りついたまま、赤髪の《人形》を見上げた。

 一瞬、そのまま背を向けて逃げてしまおうかとも思う。

 だが、すでに手遅れなことははっきりしていた。この基地に出入りしている子供は自分しかいない。人違いでは済まされないだろう。観念するしかなかった。


 それでも、――シズは諦めるつもりはない。


「あ……の、アカネさんですよね」


 少女は、もじもじと指を弄びながら、精一杯下手に出た。


「そのぉ……う、ウチのこと、黙っててもらえませんか?」


 アカネと呼ばれた赤髪の《人形》は、ふふんと鼻をならした後、


「うーん、どうしよっかなー?」


 と、獲物をいたぶる猫のような笑みを向ける。

 シズは、彼女が今読んでいるどの少女漫画のヒロインよりも、自分は不幸だと思った。


 実を言うと、シズはアカネが苦手だ。


 なにせこの《人形》、常軌を逸してものを食うのである。彼女がこの基地に訪れてからというもの、シズの仕事がかなり増えてしまっていた。


「あたしもちょうど、小間使いが欲しいと思ってたところなのよねー」

「こま……こまッ……使いって……」


 震える声で言う。ただでさえ、火の点くような忙しさだというのに。


「そんじゃ、さしあたって今日の朝ご飯を倍にして頂戴」


 倍って……あんた、普段から普通の隊員の三倍は食べるじゃないか。


(っていうか、こんなに小さい女の子を脅すか、普通?)


 その時シズは、アカネの口調が他の保護隊員に使うものと違っていることに気づく。

 要するに、格下に見られているのだ。

 もうそれだけで、自分の心の中がどす黒く変色していくのがわかる。


(だが、それでも)


 奥歯を噛みしめて、こいつの言うことを甘んじて受け入れるしかない。

 すると、


「なんてね。冗談よ、じょーだん」


 アカネはにっこり笑って、そう言った。


「ほ、ほんまですか? ウチのこと、黙っててくれる?」


 差し込まれた希望の光に、一瞬だけ表情を輝かせたシズ。

そんな彼女を、赤髪の《人形》はどん底まで突き落とす。


「でもさ。こういうことは早くみんなに伝えなきゃ」

「……は?」

「明日あたり、なんかの集会があるんだっけ? そん時、おねーさんが一緒に言ってあげるから」

「……え?」

「そんじゃーねー♪」


 言うだけ言って、赤髪の《人形》はさっさと食堂を去っていく。


 止める暇もなかった。

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