28 マリッジブルー

 十年前のあの夏、純恋すみれと過ごしたあの八丈島の別荘で、七戸しちのへ青南せなとという名の"男"と婚約した。

 入籍は二ヶ月後。

 日和ひよりたまきから、七戸しちのへたまきになる


 * * *


「タマ、めっちゃ浮かない顔してんじゃん。マリッジブルーってやつ?」

「うーん、そうかもしれない」

「いったい、何がどう不安になるわけ? ラブラブでしょ?」

「本当に、この人でいいのかなって」


 逗子海岸沿岸。海岸沿いに向けられたカウンターは約四席。中にテーブル席三セット。小さいけれど、居心地の良いバーテラス『ツナ・キャニング』、通称『ツナ缶』はうちのお気に入りだ。

 スクリュードライバーをストローですすりながら、遠くのあおを見つめた。今日は潮がパキッと分かれていて、手前は濁っていて波の色は黒いが、湾が終わる所から碧くなっている。

 今日は天気も良好で、カラフルなウィンドサーファーの羽は、見ているだけで気持ちがハイになる。——いつもだったら。


 隣に座っているのは、見慣れたショートカットにオン眉前髪、キリリとした目が印象的な逢子ほうこだ。高校二年で出会ったあの時からほとんど変わっていない。

 スミレの件で一悶着あったものの、二人は和解し、高校生活はハッピーエンドに終わった。けれど、高校卒業して九年、逢子とは今でも年に二、三度は会っているけど、スミレとは一度も会っていない。

 大学生の頃はSNSでたまにやりとりをしていたけれど、今ではどこで何をしているのかもわからないという始末だ。


「もっといい人がいるかもって? 海狂いのタマには七戸しちのへ以上の好条件の男なんて現れないよー」

「うーん、分かってはいるんだけどね。なんかたまに、わからなくなる」

「え、どういうこと?」

「うち、セナに言ってないことがあるんだよね。それを打ち明けるか迷ってるし、セナは、きっとそれを受け入れられないと思う」


 セナは受けれ入れられない。けれど、きっとスミレなら受け入れてくれる。

 セナの婚約を受けてからそんなことばかりが頭の中をぐるぐるとしていた。


「何、プチ整形したとか?」

「それくらいなら受け入れてくれるよ」

「ええ、何? あたしも知らないコト?」

「うん」

「なんなの、それ」


 逢子は、言葉はキツイけど、頑張り屋で、まっすぐないい子だ。

 でも、やっぱりスミレと比べてしまう。

 スミレならこういう時、絶対に聞かない。


「うーーん、性癖?」

「うわ、なんか、大丈夫です。七戸しちのへと話し合うべき案件だねそれは」


 嘘だ。本当は性癖じゃない。

 けれど逢子はその言葉を信じたようで、特に言及してくることはなかった。

 スミレなら、きっとこの嘘に気づいた。「環ちゃんも、トンガリ鼻だ」って言って、打ち鳴らしたクラッカーを、うちの鼻に被せたかもしれない。


 スミレのことばかり考えてしまう。

 九年の歳月が、スミレを美化しているのだろうか。


 スミレはメンヘラで、あの夏のスミレは特におかしかった。

 うちのことを、恋愛対象として好きだと言いながらもキスは嫌がるし、うちを理解するためだと監禁までしてきたのだ。

 普段はオドオドしているくせに、変なところで大胆で……。

 スミレは面白い。


 大胆で、そしてとんでもない嘘つきだ。


 高校二年の夏、うちは事実上スミレをフった。けれど、前述したとおりうちらの高校生活はハッピーエンドで終わったのだ。ハッピー・友情・エンド。

 けれど、二十歳でお酒を知って、オンラインでスミレと飲んだ時、たった一度だけだけれど、スミレは今でもうちのことが好きだと、ずっと待っていると言っていた。それなのに、九年もあったくせに一度も会いに来ない。

 その飲み会だって、うちが声をかけたのだ。スミレから誘ってきたことなど一度もなかった。それがなんだか悔しくて、スミレが誘って来るまでこちらからは誘わないと決めて、そうしてもう何年も経ってしまった。


 スミレと会わないうちに、うちは結婚してしまうかもしれないというのに。

 スミレは嘘つきだ。


「ねえ、逢子は今スミレがどうしているか知ってる?」

「いや、知らない。けど、久々に会いたいね」

「ちょっと探してみない? ほら、逢子は顔が広いし」

「顔が広いって、ただのスポーツインストラクターだよ」

「逢子ならできるって、うちも探すからさ!」

「えー、まあ、当たってはみるけど期待しないでよね」

「ありがとう!」


 会いたい、スミレ。

 今、どこで誰と、何をしてるの?


 →

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