第9話

「Hey、マッチョ」


 カールの体をまさぐるように手を動かしているマッチョ以外にも、わざわざ手を上げて挨拶してくるマッチョ。


 己の肉体美を見せつけるかのようにポージングを取って静止しているマッチョなど、大量のマッチョがそこにいた。


 地平線の彼方まで続いていた黄金の麦は、いつの間にか太陽の黒光りに反射するマッチョ軍団へと変貌しており、あまりの光景に絶句。


 無限にいるのではないかと思わせる彼等だが、パッと見た限り同じポーズを取っている者はいないようだ。


 空を舞う可愛らしい赤子のような天使も、気が付けば黒い羽根を背中に付けたマッチョと入れ変わっている。


 空に浮いているからこそ出来るポージングは、大地にそびえ立つマッチョ達とはまた違った雰囲気を作っていた。


「……うぅ」


 マッチョマッチョマッチョ。前後左右、遥か上空を見てもいるのはマッチョのみ。


 まるでこの世の地獄を体現したかのようなおぞましい光景に、先ほどまでの爽やかな気持ちは一転し、吐き気がこみ上げてくる。


 思わず口に手を添え、視界からマッチョを消そうと顔を地面に向けると――


「ニパァ」


 何故かカールの足元で寝転がっているマッチョと目が合った。キランと真っ白な歯が光、最高の笑顔をこちらに向けてくる。


 逃げ場などどこにもなかった。


『マッチョ、マッチョ、マッチョ、マッチョ……マッチョ!』


 マッチョ達が一斉に気合の入った声を放つと、規律に忠実な兵士たちのように一糸乱れぬ動きでポーズを変える。


 その動きは機敏で鋭く、彼らの内側から迸る大量の汗がまるで豪雨のように降り注いだ。


 ツンと鼻孔を刺激する匂いは痛みさえ感じ、清流とは程遠い濁った汗の雨は体の奥底から腐らせるのではないかと思わせるほど息苦しい。


 あまりの気持ち悪さに、ただそこに立っているだけで意識が朦朧とし始めた。


「もう……勘弁してください……」


 普段ならば絶対に使わない言葉遣い。カールは力ない声と共に天を仰ぎ空を見る。そしてその行動をしたことを更に後悔する羽目になった。


 世界を優しく包んでくれている筈の青空でさえ、今はマッチョに征服され曇天のような黒きマッチョに覆われていたのだ。


『マッチョ! マッチョ! マッチョマッチョマッチョ!』


 世界を覆い尽くしたマッチョ達は、カールの脳を直接浸食するかのような大合唱をし始める。


 まるで呪いの宴である。


 全身の血流が巡りを悪くなり、カールはついに膝から崩れ落ち、その瞳は死人のように光が失われていた。


 そして、ぶつぶつと小声でマッチョ、マッチョ、と洗脳されてしまったかのように繰り返し始める。


『マッチョ! マッチョ!』

「私は、マッチョ……偉大なる、マッチョ……」

『マッチョ、マッチョ!』

「錬金術師の、マッチョ……カール・ユングス・マッチョ!」


 もはや完全に正気を失ったカールは、周囲のマッチョ達と呼応するように立ち上がる。


 そして様々なポージングを取りながら、まるで転職を見つけた青年のように全身で喜びを露わにしていた。


 すると、カールの体に異変が起き始める。元々特別鍛えているわけではないカールの腕は細めだ。


 身長がそこそこある分余計に細く見える。腰も足も筋肉らしいものは服の上からでは見受けられず、典型的な細型の体型をしていた。


「はっはっはっはっは! ブワァッハッハッハハハ!」


 だが今はどうだろう。急激に膨れ上がった腕や足、そして腰は見る者を魅了する圧倒的な筋肉。


 肉体美、という言葉が存在するが、ここまで膨れ上がるともはや異形の魔物そのものだ。


 だが頭が可笑しくなったカールは気付かない。


 そして誰も突っ込まない。それどころか周りにいるマッチョ達に至っては、新たな仲間の誕生に祝福のポージングを取り始める始末だ。 


「これがマッチョの肉体か! 素晴らしい、今なら世界を掴みとる事が出来るかもしれん! 錬金術師のカールは死んだ! ここにいるのはマッチョで世界を支配する筋肉師、カール・ユングス・マッチョだ! マッチョサイコー! ワハハハハハハハハ! ワハハハハハハハハハハハハハ!」

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