2-2 彼女は罪の立証を求めていた。

「それで君、血も爪も髪ももらわずに依頼者を帰してしまったのかい⁉︎」


 外出から戻るなり、『先生』はそんなことを言った。


 ここは魔女の探偵事務所だ。


 しかしここの主人は気まぐれで、目を離した隙によく消えている。

 だから僕が接客をし、依頼者から話を聞くしかなかったわけだが……


「あのすいません、すでに何度も申し上げているので恐縮なんですが、二つほど指摘をいいでしょうか」


 魔法陣のような紋様が油性マジックにより描かれた広いテーブルに視線を落としながら述べる。

 先生の方を直視しないのは、僕がこれから述べることもきっとまたなんの変化もこの女性にもたらさないのだろうなと思ってしまっていて、少しでも『話の通じない上司』というストレス源を直視したくないとい心の働きがあるからに違いなかった。


 まともなことをいちいち言うというのも、大変なのだ。


 なにせ先生は魔女であらせられる。


 魔女の探偵事務所というふざけた看板を掲げるこの女性は、なんの間違いか令和に発生してしまった魔女なのだった。

 外食しかしていない家に発生したゴキブリとか、あるいはなにもしていないパソコンに発生したバグとか、そういう位置付けの生き物なのである。


 ひどいストレスと徒労感にさいなまれながら、先生の方を直視する。


 まずはありえない虹色の瞳が真っ直ぐに僕をとらえ……とらえてねぇ!


 僕の指摘をまじめに受け止める気がいっさいない魔女がなにをしているかというと、触手を思わせる長い長い黒髪をゆさゆさ揺らしながら、エコバックの中身を漁っていた。


 しばらくすると中身をテーブルの上に載せる。


 紙パックのコーヒー牛乳。

 それから、ケーキ。

 おおよそ一人分のおやつ。


「ん? これ? 世間はクリスマスだからね」


「……まあ、僕のぶんがないのはいいんですけどね」


 なにせ先生は魔女なので、人らしい気遣いとかができない。

 業務中にふらっといなくなってコンビニに寄るなど日常茶飯事だし、そのたびに買ってくるおやつに僕のぶんがふくまれていたことは一度もない。


 実に今さらだ。


 恩がなければかかわりたくない人種であることは間違いがない。

 感謝があっても目にあまる人物であることも間違いがない。


 だから今さら、なにも言わない。


 さっさと本題に入ってしまうのが、魔女を相手にする時に精神の健康をたもつ秘訣なのだった。


「……指摘は二つです。まず一つ。僕のこの服装は、仕事上、本当に必要ですか?」


 ゴシックなドレス。

 スカートルックとストッキング。


 すると魔女はケーキのパックを開けながら、


「……ああ、なるほどね。君の言いたいことを当ててみせよう」


 なにせ私は探偵だからね、とドヤァな笑いをしてから、


「君はサンタコスがしたかった。クリスマスだからね」


「そういう話をしてるんじゃねぇんだよ! 探偵助手として必要な服装なのかって聞いてるの!」


「君は『必要』で服を着る方?」


「そういう話でもなくて……!」


「むしろ業務云々言うなら、私は今すぐ出かけて、サンタクロースのコスプレ衣装を買ってくるべきだよ。なにせ世間はクリスマスだ。聖ニコライの逸話についてなにも知らなそうな人たちでも、とにかくモコモコのついた赤い服を着ないといけないんだろう? 大変だよね、商売って」


 長袖シャツにジーンズというクリスマス感ゼロ存在は、プラスチックのフォークでケーキを切りながら首をかしげて、


「思うにね、どこの店でもあのモコモコのついた赤い服を着ているのは、そうしないと糾弾されるからなんじゃないかなと推理するよ。なにせ、人間は迎合しないと滅ぼされるからね。両隣の人が赤い服を着ていれば、あいだの人は黒い服を着てもいられない。服を赤くしないと焼かれたり吊られたりする」


「魔女が言うと身につまされますね」


 僕は僕の服装の必要性について、まともな回答がくるのを早々にあきらめた。

 二つ目の本題。


「そして先生、これも毎回述べていることなのですが、初対面のお客さんにいきなり爪や髪や血を求めても、まずもらえません。怖がらせるだけです」


「でも君の話じゃあ、今回のお客さん、君と同じ学校の生徒だったんだろう?」


 ……そうなのだ。


 その人は僕の着慣れたのと同じブレザーを着ていた。


「だったらさ」魔女はケーキを口に放り込んで、「いけるのでは?」


 僕らは『常識』という大きな文脈の中に生きていて、それを無意識のうちに前提として会話や行動をしている。

 常識に沿った言動をする限りにおいて、僕らは自分の言動についての解説や説明をサボっても許されるという特権を享受できるのだ。


 だから、常識をいちいち言語化するというのは、非常に疲れる。


「まず、そうですね……状況を整理しましょうか」


「お、いいね。探偵っぽくなってきた」


 ……こんなところで探偵感を出したくはないし、僕はアルバイトの助手であって探偵ではないのだが……

 そのあたりを補足し出すと依頼の説明に入る前に今日が終わってしまう。そう、クリスマスが。

 サンタクロースから魔女に常識をプレゼントしてもらえるなら、いくらでもでっかい靴下を購入するのだけれど、魔女と聖人は相性が悪そうだし、なにより先方は『良い子のところにしか行きません』と公言している。期待するだけ無駄だろう。


 僕は地球温暖化の加速を感じるほどでっかいため息をついてから、


「まずですね、僕は、学校およびその関係者に、このバイトをしてることを知られたくないんですよ」


「なぜ?」


「そうですね、理由は複数ありますが、今回、僕の頭によぎったのは、『こんな服装で働いていることが知られると恥ずかしい』というのがあります」


「君ね、ゴシック調の服を差別するような発言はいただけないよ」


「服に罪はありません。僕が着たくない服を無理やり着せるあなたの罪です」


「無理やりとは言うけど、私は別に、君をおさえつけて服をはぎとり、抵抗をねじふせてその服を着せたというわけじゃあないんだよ?」


「最後に袖を通したのは僕ですが、あなたは『君、私への依頼料の支払いの一部だよ、これは』と述べましたよね。僕はそれに強く逆らえないんですよ」


 そう、今やカラオケ代ぐらいの金銭を徴収することになっているこの探偵事務所も、依頼料が労役だった時代があって、僕はその当時に魔女へ依頼をしてしまったのだ。

 おかげで魔女の趣味の衣服を着せられ、薄給で無益な労働を強いられている。


 労基や警察を頼らないのは、僕がこの魔女に恩義を感じているからであり、感謝があるからという、なんていうか、やりがい搾取とほとんど同じような理由からなのだった。


 そんな人間らしい心情をまったく理解していなさそうな魔女は、


「それはしょうがないねえ」


 と、へらへら笑った。


 ……これ以上このトピックスを続けても僕のストレスがたまるだけだろうと察したので、次のトピックスに移ろう。


「次に、たとえ同じ年齢で、もしも同じ性別だったとしても、初対面の相手から『じゃあ、髪か爪か血をください』と言われたら、まず断りますよ。よって、そんな要求はできません」


「しかしね君、それは挑戦しない理由にはならないよ」


「月に一人来るかどうかというお客さんに逃げられてもかまわないと?」


「だって君、むしろお客さんを逃がしたがってるじゃないか。その君が『逃げられそうなこと』を提案しないのは、どちらかと言えば不自然だよ」


「それはそうなんですが……」


 僕はお客さんを逃がしたがっている――これは本当だ。


 魔女の収入を潰してやろうとかそこまでの意図はなく、ただただ単純に、この格好で接客しないといけないのが嫌だからだ。


 特に『言葉を交わす』なんていうのは避けたいので、できる限りあらかじめ用意しておいた定型文のみを用いて、無音声での会話のみにできるように心掛けている。


 他の理由があるとすれば、いちおう、親切心のつもりだ。


 ここは、世界のどん詰まりだから。


 こんな場所を頼るぐらいなら、もっと先に頼っておくべき場所がいくらでもあるのだと思う。

 少なくとも、僕以外の人には、もっともっと、他にすがるべきわらがあるだろうと、僕は予測しているのだった。


「……まあ、しかし、結果的に、どうにも彼女は、ここを頼る以外にない依頼者だったようで」


「ああ、そういえばまだ依頼の内容を詳しくは聞いてないね。なんだっけ?」


 聞いてないだろうが、魔女はその内容を知っていると思う。


 けれど声に出して、言葉を交わして、意思確認をするのは、大事だ。

 その儀式を経ないと結ばれない契約もある。


 だから僕は、魔女に遭遇する前に帰した依頼者の代わりに、コーヒー牛乳をすする魔女へと、ため息と一緒に依頼内容を吐き出した。


「彼女は自分の犯した殺人を立証してほしいそうですよ。二年前に犯した親友殺しを」

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