1-4 犯人が犯人たる証拠は僕の中にしかない。

 姉は恋に殺された。


 好きな人がいた。勇気を出して告白をした。しかし、気味悪がられ、拒絶され、その結果として、永遠に消えてしまった。


 姉は僕と同じく高校一年生だった。

 ……『若いから失恋の痛手が重々しく、それは命を絶つほどに激しく姉を打ちつけたのだ』だなんて述べるつもりはさらさらない。


 姉は、この先もずっとそうなのだということを理解してしまっただけだ。


 今、目の前の失恋は、これから先も誰かに恋するたびにずっと付き纏うもので、それは永劫に変わることがないというふうに確信してしまったのだ。


 そうして姉が気味悪いと言われない健全な肉体と健全な精神を得るには、もう、来世にでも期待するしかなかった。

 だから姉が消えたのはむしろ前向きだった結果なのだ。

 この人生にあっさりと見切りをつけ、その魂が次こそ真の肉体に宿ることを期待して、来世へ向かった、というのが姉の心境なのだった。


 だが、残された僕としてはたまったものではない。


 ずっと一緒だった姉が、そんなわけのわからない理由で消えてしまった。


 ……僕たちはつらい幼少期を支え合いながら歩んできた、一心同体の姉弟だった。

 親しい人が死んだ時に『半身がなくなったような』と比喩することがあるが、僕らの場合、それは比喩とは呼べない痛手だった。


「君のお姉さんは、強くて綺麗な人だったんだね」


 歩みを再開しながら、魔女はこぼすように述べた。

 大通りを横目に、向こう側の歩道にいる学生の団体の中にクラスメイトがいないかはらはらしながら、僕はどこか上の空で応じる。


「……どうしてそう思う……いや、僕が、そう思っているからですか? あなたは僕の思考まで知っていますものね」


「まあ、それもある。あと、君を見ていればわかるよ」


「……それもそうか」


 強くて綺麗な姉は、しかし、恋を打ち明けて、気味が悪いとみなされて、これから先もずっとそういうふうに見られるのだと確信して、消えた。


 僕を残して、消えた。


「君が『姉を殺した人』ともくしているのは」魔女は優しい笑みを浮かべていた。あるいは、僕がその笑みに優しさを含ませて欲しいと祈っただけかもしれない。「お姉さんに『これからずっと、もうダメだ』と気付かせた男の子だね」


「……そうですね。そいつは僕らの事情も知っていた。聞くに堪えない幼少期の出来事も含め……いえ、もちろん、知っていたから姉を受け入れるべきだなんて、そんなふざけたことは思っていません。でも、僕は、そいつのせいで姉が死んだのだと、そいつにわからせる必要性を感じている。だって、そうじゃなきゃ、僕の姉は誰にも弔われない」


「君以外の誰にも、ね」


「いえ。僕も、弔わない」


「おや」


 魔女は初めて意外そうな顔を見せた。

 それはきっと、先ほどまでの僕がたしかに姉への弔いの気持ちを抱いていたからだろう。それを知っているからこそ、僕の発言には魔女をおどろかせる意外性が宿ったのだ。


「姉は消えてしまったけれど、弔わず――消えていないものと扱っていれば、ひょっこり帰ってくるかもしれない」


 死者はよみがえらないだなんて、常識的なことを魔女は口走らない。

 だから僕は、現実の話ではなく、夢の話を続ける。


「鏡を見れば、僕はそこに姉を感じます。じっと見続けていれば、鏡の中の姉が語りかけてくるような気がするんです。だからきっと、姉はまだ戻れる。……魔女なんていうものがいるんだ。そのぐらいの夢を見たっていいでしょう?」


「夢を見るのは素敵なことさ。実現を望まない限りにおいてね。ただまあ――君の身には、あるいはそういった奇跡も実現するかもしれない。なにせ君は、私の事務所にたどり着くぐらいの素質があるのだから」


「……そろそろ依頼料についてスマホで検索したくなってきたんですけど、いいですか? 僕はどんな資格を有し、どんな素質があり、なにを支払わされるんですか?」


「…………」


 魔女は『これから指を一本ずつ潰す』と言われた人でさえしないだろうというほど悲痛な表情を浮かべた。


「わかりました。わかりました。調べません。……けれど、ことがうまく運べば、もう僕はあなたに依頼料をお支払いできる状態ではなくなると思うんですけど」


 なにせこれから、人を殺すのだ。


 しかし魔女は力強くうなずいて、


「そこは大丈夫」


 ……こんなに不安を煽る『大丈夫』が、いまだかつてあっただろうか?

 それは僕がどんな状態になっても必ず依頼料を徴収してみせるのだという強い自信があった。

 冗談でもなんでもなく、僕が死んでもなにかしらとっていきそうだ……こう、魂的なものを。

 判断を誤ったよな、やっぱり。魔女だと確信できた時点で逃げるべきだった。でも、もう遅い。


「そろそろ下校中の犯人と合流しそうなタイミングでしょ? どうする?」


 ……気付けばもう、そんなところにいた。


 僕らは駅にたどり着こうとしていた。

 駅前ロータリーにはたくさんのタクシーが常駐し、駅から吐き出される人々の中には見慣れた制服を着た一団の姿もある。


 僕らはその駅を大通り一本向こうからながめられる位置にいた。

 すぐそこの信号を渡ればもう駅で、横断歩道を渡ったところには、喫煙所と公衆トイレと交番があった。


「あの中でいきなりカッターを抜くのも狂気っぽいし、呼び出して人気のないところに連れ込むのもいい。まあ、君のしたいことを思えば、人気ひとけはない方がいいかな」


 魔女はどうにも、真剣にこれから僕が及ぶ凶行について考えているようだった。

 止めろよ、とは今さら言わないし、止められたところで止まる気もないのだが、それでも『止めるとかしないのか』という感想がわいてしまうのは禁じ得ない。


「呼び出す場所はさっきのコインパーキングとかいいんじゃない? 背の高い雑草で姿が隠れるし、都会のエアポケットって感じだよね」


 いや、あの……

 どうして当事者より熱心なんだ?


 僕は狂気に陥っていると思われることを目指してはいるけれど、実際はそこから遠い場所にいるので、つい、問いかけてしまう。


「あの、僕の動機について疑問とかないんですか? 『姉が死んだとわからせるために殺す』っていうのは、第三者に聞かれたら補足が必要だろうなと自分でも思うんですけど」


「残念ながら、自分が当事者でもない事件についてすべてを知り、納得せねばならないのだと思い込むパラノイアにはかかっていないんだ」


「……共犯者になるじゃないですか」


「君の思想に協力するんじゃなくて、君の行為に協力するだけだからね。君は、犯人を殺す。見せしめとして殺す。私は、そこまでのお膳立てを整える。君が内心でなにを思っていようが、私はさしたる興味がないよ。でも、あとで血はもらうけど」


「めちゃめちゃ興味あるじゃないですか」


 魔女は血をもらうと、血の持ち主のことがだいたいわかる。


 僕の指摘に、なぜか魔女はドヤ顔をした。


「知れたらそのほうが気持ちいいのは否定しないよ。根掘り葉掘り聞いて自分が納得できるかたちに処理しないと気が済まないなんていう『納得したがり病』にかかっていないだけで」


「……なにかこう、『納得したがり』の人たちに対するそこはかとない憎悪を感じますが」


「そりゃあ、魔女を殺してきたのがそういう人たちだもの。……で、どうする?」


「…………呼び出しましょう」


 きっと、人ごみの中でいきなり刃物を振りかざした方が、狂気に陥っている感は出るのだろうけれど……


 あれだけの人混みの中では、関係ない人を傷つける恐れもあったし、なによりそばには交番もある。邪魔が入る可能性も高そうだった。


 スマホで連絡をしながら、コインパーキングの方へと戻ることにする。


「事務所を出た時点で呼び出しておいてもらえたら、色々準備もできたのにね」


 なんでしなかったんだろうね、と魔女が首をかしげた。

 あなたがさっさと行動してしまって、僕は意表を突かれっぱなしだったからだ、とは言わないことにした。

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