第14話 ただひとたびの奇跡

 六回を無失点で投げ切って、岩崎は降板する。

 マウンドには直史が立ち、空いた外野には奥田が入る。

 七回の裏の一二年生チームの攻撃は、四番に入った鬼塚から。

 しかしあっさりと内野ゴロに打ち取られた。


 続く倉田はショートフライで、六番の武史に回ってくる。

 おそらく打順的に、これが最初で最後の兄弟対決である。


 直史と武史は、ピッチャーとしてのスペックはともかく、成績は隔絶している。

 しかしバッターとしての成績ではそれが逆転する。

 基本的に直史は、本職はピッチャーなのだ。打率はいいが配球の読みで打つタイプで、長打はなかなか打てない。

 大して武史は全身のバネを使って打つタイプなので、長打も多い。それでいて変化球にもついていける。


 だがやはり、向いているのはピッチャーであろう。

 七回が終わって、打者21人に対して20奪三振。

 三年は打力はあまりないと言っても、ミートの上手いシーナが三連続三振なのである。

 そしてこの回の直史との対決。

 変化球で追い込まれた後は、スルーをどうにか当てるだけ当ててサードゴロ。

 直史からは、まともにヒットも打てない。




 投手戦と言えるのだろうか。

 岩崎はヒット三本の無四球で抑え、武史は四球二つのノーヒットノーランを直史にヒットを打たれるまでは続けていた。

 三年生チームはボール球は振らないのだが、武史もほとんどボール球を投げない。

 しかしある程度バッティングピッチャーをやってくれていた経験はあるが、武史のギアの上がったストレートは打てない。

「なんか神宮の決勝よりいいピッチングだよな?」

「神宮の決勝は女の応援が少なかったからな」

「……」

 ジンの疑問に対して、簡潔に答える直史である。


 直史もたいがい他人のことは言えないが、武史も女が絡むと強い。

 イリヤの音楽でメンタルが安定するのは、部内でもイリヤドーピングとかイリヤブーストなどと囁かれていたが、今日は西東京からわざわざ紅白戦を見に来てくれている少女たちがいる。

「あいつの鈍感チーレムムーブってどこまで続くの?」

「兄としては刺される前にはどうにかしてほしいかな」

 そして八回の表となる。


 白富東の三年生は、確かにバッターとしては全国に傑出したのは大介だけである。

 だが超高校級のピッチャー相手でも、バントで揺さぶる程度のことは出来たのだ。

 追い出し試合という側面があるとは言え、ここまで下級生に封じられるのはまずい。

 だがバントヒットを狙ったバットの上を、ストレートが通り過ぎるのである。


 24個のアウトを、23の三振で奪った。

 遠慮のないやつだなとは思えるが、これぐらいはしないと今の下級生は、全国制覇をした三年生に並ぶことは出来ないのだろう。

 八回の裏は一二年生チームも下位打線だが、バッティングセンスはある淳と、当たると大きなトニーがいる。

 そしてあっさりと雑魚のように片付けられる二人。

 九番の佐伯は打撃は求められていないが、一度も振らずに三振したのはいただけない。




 そして最終回、九回の表の攻撃となる。

 先頭打者沢口が三振し、これで24三振。

 椎名が女の意地を見せて当てたボールは、キャッチャーフライでアウトになった。


 白富東の、栄光の三番打者、白石大介。

 最後の打者となるかどうか、ものすごく楽しそうな顔でバッターボックスに入る。

 一発しか狙っていない顔である。


 一度は抑えた。

 もう一度抑えられたら本物だろう。


 武史は振りかぶって、全力で投げる。

 小手先のムービングはおそらく通用しない。ストレートとナックルカーブのみで押し切る。

 初球のストレートはファウルチップで後ろに飛んだ。

 この時、球団関係者数人がスピードガンを持っていたが、数字は自己最速の158kmが出ていた。


 公式戦で対戦した、これまでの全ての強打者。

 西郷よりも後藤よりも恐ろしい、リトル・ジャイアント。

 熱くならない武史でも、アドレナリンが分泌されている。


 二球目はナックルカーブで、三球目はストレートと組み立てる。

 分かっていても打たれないボールがほしい。

 そう念じて二球目のナックルカーブ。

「あ」

 誰の口から発せられたものか、すっぽ抜けたボールは、チェンジアップ気味に大介のゾーンに入ってくるスローボール。

(いや、これならむしろ打てない!)

 そう思った倉田の目の前で、大介のバットがボールを弾き返していた。

 センターのネットに突き刺さるライナーホームラン。

 しまらない形だが、これで勝負は決まった。




 九回の裏である。

 アレクに引っ掛けさせてショートゴロ。哲平はスルーで三振と、あっさりとツーアウトになった。

 三番の孝司が打席に入るが、おそらくこれで終わる。


 だがベンチから出てきた秦野が告げる。

「代打」

 孝司より優れたバッターは、ベンチには残っていない。

「特別に、白石」

 そしてショートに入っている大介を指名した。

「そんで諸角はショートに入って、菱本、サードに入っておけ」

 それだけを告げて反論も許さず、ベンチの中に戻っていく。


 顔を見合わせたのは、マウンドの直史と、守備に入っていた大介。

 送別のための試合なのに、最後にこの対決を持って来るのか。

 いや秦野の考えも分からないでもない。今後直史と大介が対決することがあったとしても、直史が今以上のレベルに達している可能性は低い。

 大介はそれで食べていくためのプロへと進むが、直史は大学へ進む。


 プロと大学の交流試合というのはあるが、おそらく直史は大学のリーグ戦とは無関係の試合には、登板してこないだろう。

 わずかに鈍っているとは言え、ここが直史の野球能力の最大値かもしれない。

 そこで大介と戦わせる。


 部内の紅白戦で、直史と大介は何度も対決している。

 基本的に直史が勝ったと言える場合が多い。そもそもバッターは三割打てば上出来なのだ。

 だが詳しいスコアを知っている秦野は、何よりも明確な勝敗の記録を知っている。

 大介は直史から、勝利打点となるホームランを打ったことがない。


 見詰め合った視線を切った大介は、ベンチに戻る。

「菱本、頼むわ」

「俺んとこ打つなよ~」

「打たねえよ」

 自分用の木製バットを持った大介は、どっかりと座った秦野に会釈する。

「粋なことするんすね」

「だってこりゃ送別試合だろ?」

 アマチュアに残る者と、そしてプロへ行く者の。

 ここが分岐点だったのか。


 佐藤直史と白石大介。

 高校最後、あるいは生涯最後の対決が始まる。




 大介がショートから下がり、バットを持って打席に立つ。

 もちろんありえないことであるが、これは練習試合ですらない。

「正気かよ」

 直史は口の中で呟き、ベンチの中の秦野を見る。


 大介はプロへ行く。直史はアマチュアだ。

 これから野球で食っていく相手と、わざわざ競わせるのか。

 大介に気持ちよく打たせて、プロへ行かせたいのか。

 これまでの直史だったら、大介にわざとホームランを打たせても良かった。自軍の主砲をわざわざ完封して、調子を落とさせるわけにもいかなかったので。


 だが、分かっているのだろうか。

 これは高校最後の試合で、これから大介がいくら調子を落とそうと、直史の投げる試合で迷惑はかからない。

 それにもう利害関係がなくなるなら、直史はいくらでも負けず嫌いになれる。

(なるほど……)

 全ての縛りをなくしてしまえば、明らかだ。

 直史のピッチャーとしての本能が、大介に勝ちたがっている。


 一打席勝負。常識的に考えて、ピッチャーが圧倒的に有利。

 打ち取れば直史の勝ち。大介の勝利条件はなんだ?

 ホームラン。ヒットではすっきりとしない。

 ただ直史にしても、外野フライなどでは勝った気がしない。


 三振か。


 三振か、ホームランか。それなら分かりやすい。

 かといってそのどちらかが出るまで、延々と打席を繰り返すのは何か違う。

 この一打席で、どちらかに決める。

 決まらなければどうなるか? 知らん。

 だがどの道、大介も似たようなことを考えているのは分かった。

 野球の勝負というよりは、まるで決闘だ。

 間違いなくこれまでで最強のバッター相手に、直史は三振を取りに行く。




 ここが物語の結末か。

 ラスボスの後には裏ボスがいた。


 観客たちはこの対決が、よりにもよってここで実現することに感謝する。

 瑞希はレコーダーを操作して、自分はひたすらその対決を見守ることにした。

 ツインズは息を殺して、拳を握り締めて勝負の行方を見つめる。


 イリヤは願う。この勝負は直史に勝ってほしい。

 あまりにも破壊的で、芸術性に欠ける大介が勝っては、自分の音楽性の基準がおかしくなる。

 明日美や恵美理は、ただひたすらに見つめ続ける。

 ベンチの中だけではなく、グラウンドのプレーヤーも、一人を除いては傍観者だ。


 これは伝説の生き証人だ。

 マスコミも放送しない、単なる紅白戦の中の、一打席の勝負。

 確率的なことを言えば、ピッチャーが勝って当たり前。

 だが何かが起こるかもしれない。そんな期待がある。


(さあどうリードしたもんやら)

 ジンは少しだけ困惑したが、ただミットを構えた。

 何を投げてこようが取る。ノーサインだ。

 直史が考えて投げてくればいい。この場合に限っては、キャッチャーはただの置物だ。

 二人だけの世界なのだから、ジンですらも傍観者なのかもしれない。そもそも振り逃げもないのだからキャッチャーはいらない。


 スルーか、スルーチェンジか。

 他の球種では打たれる。あるいは初球にボールに逃げていく球を使えば別だが。

(ストレートかな)

 大介にとって嫌なのは、スルーかスルーチェンジのどちらかの二択だ。

 スルーはタイミングを取っていないと打てないが、スルーをホームランにするタイミングで待っていると、スルーチェンジでは凡退になる。

 三振は明らかな自分の敗北だが、ピッチャーゴロやピッチャーフライでも、自分の敗北だと大介は考えている。


 スルーチェンジを待つタイミングで、スルーが来たら反応で打つ。

 あるいは三球ストライクを取られるまでに、どちらかに絞る。

 三球の中の一球だけに賭けるのもありなのだろうが、それで他の球種が来たらどうする。

(う~ん、今までのバッターは公式戦でこんな気分になってたのか)

 そりゃ打てんな、と大介は笑みが洩れてくる。肉食獣の笑みだ。


 何をやっても打たせないぞ、という絶望的な空気を直史は発散する。

 だがマウンドからバッターボックスまでの気配。そしてグラウンドからその先までの領域が、全て大介の体の中に入ってくる。

(何がきても打てる)

 迷いなくそう思った大介に投じられる第一球。

 この軌道はスライダー……ではない。

 速いスピードで大きく斜めに落ちてきたこれは、ナックルカーブ。

 お前これ初めて投げるだろ、というボールを大介は見送った。


 コース、球種、球速、角度などを大まかに分別しても、直史の投げるボールは60以上。

 その中でわざわざ、今まで一度も投げたことのないボールを投げた。

 確かに大介は驚いたが、ここで投げるようなボールなのか。いや確かに結果的には効果が大きかったが。


 リスクを取って、勝ちにきている。

 それが大介には嬉しい。


 二球目はスルーが使える。そこからスルーチェンジも使えるだろう。

(最後はストレートか?)

 直史のストレートは伸びる。

 だが武史のさらに伸びるストレートを体感した後だと、必殺の威力はない。

 スルーでストライクを取りたいだろうが、真ん中までに変化するスルーなら、ついていって打つことは出来る。ホームランになるかは微妙だが。

 低めに落ちるスルーなら打てないがボール球だ。


 セットから直史が投げたボールは、その低めへのスルー。

 二球外れてボール。バッティングカウントになる。

 そして三球目は高めのスルー。大介の反応よりも遅い。スルーチェンジだ。

 素直に振って空振りし、これで並行カウント。


 あとストライク一つで終わる。

 そしてここまで、大介はバットにボールを当ててない。

(やべえな。こいつ……)

 大介は高校野球生活を全く後悔していない。

 自分の人生を変えてしまったが、それはおそらく良い変化だったからだ。

 だが一つだけ、心残りでもないが、疑問がある。

 自分と直史が違うチームにいて対決したら、どういう結果が待っていたのか。


 二人がいたからこそ、高め合うことが出来た。

 二人がいたからこそ、最後まで勝ち続けることが出来た。それは間違いない。

 しかしその、魅力的な「if」は引退してからは特に強く思うことだ。

(何がきても打つ)

 大介は気配を探る。

 ここで平気でボールになる変化球を振らせようとするのが佐藤直史なのだろうが、大介ならばそのボール球をホームランに出来る。


 常にセットポジションから投げる直史が、大きく振りかぶった。

 背中を見せるトルネード投法。

 こんな極限状態で、そんな引き出しを持っている。

 投じられたボールは、高めに少し外れたストレート!




 ――カン――




 木製バットの打球音は鈍い。

 マスクを外したジンであるが、それよりも直史が軽く駆け寄ってくる。

「俺が捕る」

 掲げた直史のグラブの中に、キャッチャーフライが収まる。

 スリーアウト。ゲームセットであった。


 三振にはならなかった。

 一応は完全に打ち取っていたが、実力差を確実に示す終わり方ではなかった。

 初見のナックルカーブを投げ、トルネードで球威を上げたストレートで、それでも空振りは取れなかった。

 それでもやはり勝負としては、直史の勝ちなのだろうか。

 どちらにしろ、二人の高校野球生活最後の勝負は終わった。


 1-0であくまでも参考ながら、三年生チームの勝ち。

 この年の最後の真剣勝負は、これが最後であった。

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