秋・第19話 ゆしかは真心の前で泣く①ゆしかの身体は、最新のハイエンドPCで動かす3DグラフィックCGのような滑らかさへ進化していった

 真心の家に無理矢理居座り、泊まるようになってゆしかは気付いた。

 夜中、真心はいつもうなされている。


『俺、寝付きはいいほうだな。夜中起きたりもしねーし、ストレスで眠れなかったとか、経験ないわ。まあ、寝覚めは悪くて朝は弱いんだが……』


 以前なんとなくつけていたテレビ番組で睡眠特集をやってたときには、そう言っていた。だからきっと、真心自身が気付いていない。


 だがゆしかが知っている限り、真心は廊下まで聞こえるほど、毎晩寝苦しそうに呻っている。

 寝覚めが悪くて当然だ。目の下の隈が常に濃いのも、同じ理由だろう。


 だからゆしかは真心より早く客間に入って眠り、夜中に耳元で小音量のアラームが鳴るようにセットする。そして真っ暗な中布団から出て、隣の、真心の寝室に入る。

 度合いは日によって違うが、ナイトランプを点けると顔には皺が寄って苦しげに歪み、うわごとのようになにかを繰り返している。多くは言葉にならず聞き取れないが、あるときは、


「ごめん……ごめんな……」


 と耐えるように吐き出していた。ゆしかはベッドの上の真心の手を握り、


「大丈夫だよ」


 と、背中を撫で続ける。

 それで真心の呼吸が落ち着き、表情が安らぎを取り戻すかというと、全くそんなことはない。むしろなにひとつ変わることはなく、苦しみ続ける真心の隣で、ただ無力さを噛み締める。


 やがてゆしかの行為とは一切関係なく、睡眠サイクルの関係か、深い眠りに入った真心が落ち着くと、ゆしかは客間に戻る。ただ、悔しさでまともに眠れたためしはない。


(わたしは真心を苦しめるものがなんなのかすら、知らない)


 そしてきっとそこに立ち入ることを、真心は許さないだろう。

 予感というより、確信に近かった。

 自分の不甲斐なさに、気を抜けば涙がこぼれそうになる。


(泣いてたまるか。わたしは強くなる、なれるんだ……)


 心の中に気味の悪い笑顔を思い出し、語りかける。


(そうだろ、クソ爺)


          △


 小さいころ、ゆしかは毎日のように泣いていた。

 何故泣くの? と訊かれてもきっとまともに答えられなかっただろう。だけど当時のゆしかには必要な行為だった。まるで呼吸をするのと同じように。


 だけど家の中に泣くための場所はなく、近所の半分竹林と雑木林みたいな薄暗い公園の、目立たないベンチが定番の場所だった。昼でもやや不気味な雰囲気のするそこには遊具もなく、遊ぶ子どももほぼ皆無だったので、良くも悪くもひとりで泣くのには最適だった。


 その公園の竹林に面していたのが、『ラオシー』の拳法道場だった。

 国籍も年齢も不詳な道場主は、物語に出てくるような白髭と白眉で顔の大半を覆っており、仙人のような浮き世離れした空気を纏っていた。

 本名は誰も呼ばす、近所の子どもたちは、老師を中国語読みして『ラオシー』と呼んでいた。


 あるときそのラオシーが、泣くゆしかの隣にいつの間にか座っていた。

 声を掛けられたわけではない。泣き疲れ、しゃくり上げ、また泣いて……夕暮れ時になってようやく顔を上げたゆしかが存在に気付き、人生で初めて腰を抜かしそうなほどびっくりした。


(いつからいたの!?)


 ベンチから転げ落ち、呆然と見上げるゆしかに、それでもラオシーは声を掛けなかった。

 その代わり、杖を使って立ち上がると、おもむろに杖をベンチに置き、構えた。

 足を開き、まるで見えないヌンチャクを持つような手の形をしていた。

 そして唖然とするゆしかの前で、舞い始めた。


 数分のことだった。しかしゆしかには短いのか長いのかも解らず、意識を奪われた。舞いが美しかったから、かもしれないし、「この爺頭おかしいのか?」と呆れたからかもしれない。

 ラオシーは結局ゆしかになんの声も掛けないまま、「自分の健康のためにやってんだよ」と言わんばかりのシカトぶりで、演舞を終えると杖をついて去って行った。


 なんとそんな日々が、半年以上続いた。

 さすがに慣れて驚くことはなくなっていたが、ゆしかもなんとなく声を掛けたら負け、みたいな気になった。そしていつからか、ラオシーの舞いを見様見真似でやるようになっていた。


 それはまるで勝負だった。

 端から見れば子どもがただ老人の真似をしようとしてできていない、という姿だったし、誰かが通りかかれば「あら可愛い」と思ったかもしれない。


 だがゆしかにとっては真剣勝負だった。

 できなかった動きができるようになったときはラオシーにドヤ顔を向けた。

 ラオシーは無表情のままだったが、「ならばこれはできるか?」と言わんばかりに新しい動きを取り込んでくる。挑戦を繰り返すうちに、ぎこちなかったゆしかの身体は、最新のハイエンドPCで動かす3DグラフィックCGのような滑らかさへ進化していった。


 そして一年が経ったころ、とうとう完全にラオシーの動きをトレースし、子どもの真似事ではないレベルまで成熟したとき、ラオシーが初めて口を開いた。


「なんなんじゃおめーは! いっつも真似しやがって!」

「ええええええっ」


 とうとうここまで達したか、みたいな褒め言葉を期待してたゆしかは顎が外れるほど驚いた。


「えええ、じゃねーよ。大体な、いっつもひとんちの裏でわんわん泣きやがって。うるせーんだよクソガキが! ビビらせて追い払おうと思ったのにしつこく真似しやがって」

「追い払うために踊ってたの!?」


 幼いながらそれまでも、世の中のままならさについては繰り返し体験してきたゆしかだったが、よもやこんなところまで予想外とは思わなかった。だが、これまでの年月を思い返すと、裏切られて悲しいと言うよりは妙な滑稽さを感じて、思わず笑った。


「なんじゃ気持ち悪りい。怒鳴られて笑うか」

「だって、すっごいズレてたんだなってさ……あははははっ」


 一度笑い始めると、しばらく働いていなかった横隔膜がそれまで休んでいた分を一気に取り戻すかのように機能し始め、早い話、ゆしかはツボった。

 あまりに笑い続けるのでラオシーは呆れ顔になったが、ゆしかを置いて立ち去ろうとはしなかった。むしろベンチに座り直し、立っているゆしかと目線を合わせ、


「まあ、聞かされるんなら泣くよりそっちのがいいわな」


 と、微かに口の端を上げた。

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