第3話 澄川燈子

 



 澄川燈子。

 目の前の人物は、確かに自らそう名乗った。


 肩にかかる程の髪の毛。長いまつ毛に少し目尻の下った垂れ目。

 その顔に当てはまる知り合いは思い付かない。ただ……


 には覚えがあった。


 何かが胸に突き刺さる様な、痛みに襲われる。

 呼吸が上手く出来ず、息苦しくなったかと思うと……徐々に体が熱を帯びる。


 そんな遠い……思い出したくもない記憶。

 そこに存在する人物に当てはめて、もう1度澄川燈子を名乗る人物の顔を眺めてみた。


 ……あぁ……そうか。確かに……


 澄川燈子だ。


 あの頃も身長はそこまで高くなかった。

 けど、腰位までの髪の長さで二つ結びだった気がする。

 それに眼鏡掛けてたよな? 

 それなりに年月は経ってるけど、それが無いだけでここまで印象が変わるのは驚きだ。



 ……で? だからどうした。



 可愛くなったでしょとでも言いたいのか?

 過去の自分を消したつもりか?


 外見がいくら変わろうと、お前のした事は……


 なくならない。消えたりしない。


 永遠に変わらない。



 ――――――――――――――――――



 確か初めて同じクラスになったのは1年の時。けど、その時は正直あんまり印象になかった。

 そんなお前を意識するようになったのは、小学校3年位。休み時間に花壇へ水を撒いている姿を見た時だった。

 1度きりならまだしも、次の日も、その次の日も……毎日せっせと花の世話してたら気になるだろ?


 そんな時、ボールが花壇に転がって行って……そこで初めてまともに話をした気がする。


 お前は休み時間に毎日花の手入れ。

 俺は休み時間に毎日サッカーと鬼ごっこ。


 ルーティンが決まってれば、相手の印象に残るのも早い。

 自然と口数も増え、校舎の中でも行き合えば話をするようになった。


 休み時間の多くは1人で花の世話や図書室で本を読んでいる。

 自分から積極的に話す事はなくて、かなり大人しい。


 第三者から見ればそんなイメージだと思う。それでも、俺にはいろんな事を話してくれた。


 実は辛い物が好きだとか。家で料理を勉強してるとか。

 犬派で、将来はお花屋さんになりたいなんて夢も言ってくれた。

 そんな時に見せる笑顔は可愛くて……誰もやりたがらない花の世話を毎日する位優しい。


 そんな姿見てたらさ……いつの間にか……好きになってた。

 それからは、少しでも話せると嬉しくて仕方なかったよ。6年で一緒のクラスになれた時は滅茶苦茶幸せだったんだ。


 けど……お前はそうじゃなかったみたいだな。


 忘れもしない、小6の夏。あれは夏休み中の登校日だった。

 朝に学校へ行くと、下駄箱の中に手紙があった。

 あの頃はそういうのに敏感だったってのもあって、すぐにラブレターだと思ったよ。


 急いでトイレの個室に行って、そっと開けると……


 ≪日南君の事が好きです。直接言いたいので、今日授業が終わったら体育館の裏に来て下さい。 澄川燈子≫


 その文字を見た瞬間……夢かと思った。それ位嬉しくて、思わずガッツポーズしたよ。

 授業なんてそっちのけで、前に座るお前ばっか見てた。


 そしてついにその時は来た。

 俺はさ? 意気揚々と向かったよ? 体育館裏に。


 そしたら、後からお前が来た。

 いつも見せる顔じゃなくて、ちょっとソワソワした感じでさ?


『えっと……これ何?』

『あの……その……ね?』


『うっ、うん』


 この時の緊張感は計り知れなかった。それこそ嬉しさも相俟ってさ? ウキウキだったよ。

 この後、奈落の底まで突き落とされるとも知らずに。


『わっ、私……』


『私っ! 本当は日南君の事好きじゃないのっ!』


 訳が分からなかった。

 何を言ってるんだろうって思った。

 あまりの衝撃で、何も言えなかった。何も動けなかった。


 何とも言えない静寂が訪れてどれ位経った時だろう……


『キャハハハ』

『ハハッハ』

『ギャハ、ギャハ』


 汚い笑い声が聞こえたかと思うと、


『マジで言ったよ! こいつ!』

『うけるぅ』

『マジヤバいよね?』


 木の影から……現れやがった。

 一之瀬、二木、三瓶。学校で存在感を見せつけていた目立ちたがり屋軍団。


 普通なら、腹が立ったりするもんだけどさ? 当時の俺は……何も出来なかった。

 こいつらに色々と言われた気がする。でも全然耳に入らなかった。


 ただ1つ、言って欲しかった。澄川燈子の声で聞きたかった。


 嘘だって……


 けど、そんな願いは届かなかった。


 澄川燈子の周りに集まると、肩に手を乗せ俺を見る一之瀬。


『こういう事。なんかいつも話し掛けられて、嫌だったんだってぇ』


 二木の言葉に……あいつは俯いたままだった。


『前から相談受けてたんだよねー? ギャハ』


 三瓶の言葉に……あいつは目を閉じたままだった。


『まっ、そんな感じだから。二度と近付かないでくれるかなー? ねぇ? 燈子?』


 一之瀬の言葉に……あいつは……


『……はい。もっ、もう近付かないで下さい!』


 その言葉を聞いてからの記憶は……ない。

 気が付いたらベッドでうつ伏せになってた。枕が湿っていて冷たかった。


 さっき起こった事が夢なら良いのに……そう思う度に頭が痛くなって。

 心臓が握りつぶされる様に締め付けられた。


 そして……現実が……襲い掛かった。


 あの笑顔は嘘だった。

 本当は俺が鬱陶しくて仕方なかった。

 だから一ノ瀬達に頼んだんだ。


 だから……だから……


 最後の一言が本音なんだ。


 それからの夏休みは最悪だったよ。

 辛うじて、新学期が始まってからあの3人が何も俺にちょっかいを出さなかった事が救いだった。


 でも、俺はそれから澄川燈子とは一言も話をしなかった。目も合わせなかった。

 てか、そんな事出来る訳ないだろ?


 忘れたくて仕方なかった。記憶から抹消したかった。


 ただ……あの時の悲しみは小学生の俺には辛すぎた。



 ――――――――――――――――――



 今思えば、色々変な部分はある。

 でもさ? だからって何しても良いのか? 


「――――――なんだよ?」


 あぁ、なんか言ってる。全然聞いてなかった。てかさ? 話し掛けて良いの? 話し掛けて欲しくないんじゃないの? 近付きたくないんじゃないの?


「そっ、それでね? 私伝えなきゃって思って……」


 伝えなきゃいけない? なんだそれ?


「日南君! あの時は……ごめんなさい」


 ごめんなさい? 何言ってんの?


「あの時はその……一之瀬さん―――」


 あのさ? 時間が経ってれば良いと思ってんの? 


「それに二木さん――――――」


 自分のせいじゃないって? 今なら言える?



「三瓶さんも―――――」


 謝ってスッキリしたい? 清算したい?


「あのさ」

「なっ、なにかな?」


 ……ふざけんなっ!


「さっきから色々話してるみたいだけど、あなたは……」



「どちら様?」



「どっ、どちら様って……」

「あなたは俺の事知ってるみたいだけど、俺にはまるで見覚えがない。記憶がない」


「あっ……あの! あお……」

「えっと、ホント知らないんで良いですか? 急いでるんで、それじゃ」


 時間が経ったから良い? 謝りたい?

 受け入れて欲しい?

 そんなのは全部お前の都合だろ。


 なに許された気持ちになろうとしてんだよ。


「まっ、まっ……」

「あとさ? あんたがどうだったとかさ? これまでの話なんて俺には関係ないし興味もない。けど、二度と近付くな。話し掛けるな。あの時の記憶を蘇らせるな」


「そっ……そんな……」

「あと1つだけ言っとく。お前はどう思ってるか知らないけどな? お前がどうなろうと何をしようと、あの出来事は消えない。事実は変えられない」



 その通りだ。あの時の悲しみは……



「それを忘れんなよ。永遠にな」



 どれだけ経っても、体の奥底に……刻み込まれている。



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