あの夏に

七夕奈々

君と出会う

 夏休み、学校の図書室の受付で1人の少女が読み終わった本を閉じる。特に他に誰がいるわけでもなく時計の針が動く音とクーラー音だけが響き、外からは野球部やサッカー部、テニス部などの声に夏を知らせる蝉の声が聞こえる。司書の先生は奥の部屋で淡々と作業をしているが、ドアを閉め切っているためそれの音も特に聞こえない。ふと少女は窓に目を向ける。カーテンがしめられていて外は見えないが隙間から空が見え隠れする。


「(眩しいくらいの青…。あんな日差しの下で運動できる人の気がしれない)」


 運動部の熱心な練習の声を耳にしながら少女は外よりも涼しい図書室で机に伏す。図書室はクーラーがついていて、快適な温度に保たれている。少女はこの部屋が好きだった。昔からいろんな世界に入り込める本が好きで、空想をよくしていた。そんなたくさんの好きな本に囲まれ、人があまり来なくて快適なこの部屋を好きになるのは必然だった。


「(みんなもっと図書室を利用すればいいのに…あぁ、でも騒がしくなるのは嫌だな…。それに忙しくなっても嫌だ。当番制だし、利用者もいるから毎日1人で利用できるわけでもないし。それに、この秘密基地のような感覚も大切にしたいかも…特別みたいでいい。でもここの魅力を知らないのももったいないよね。あぁ…でも、本に入り込むなら、人が来るのは邪魔だ)」


 そこまで考えた時、少女はふとある1人の少年を思い出した。

 あれは、夏休み前の試験週間の時だった。





 試験週間前の自習時間の教室では試験のことで持ちきりであり、部活やバイト、遊びにばかり励んでいる者は悲鳴をあげていた。そんなことなど気にせず少女は小説を読んで、その世界観に浸っていた。周りのことなど見えていないかのように…実際、彼女は周りへの興味は薄い方である。そして少女は成績優秀者だが生真面目ではなかった。よって、配られたプリントを解き終わると自習するのではなく読みかけの小説を読み始めた。監視の先生もいないし他の人がしているように自由に過ごすことにしたのだ。そしてそんな様子の少女に気付いた1人の男子生徒が少女に聞こえる声で言った。


「あーあ、万年学年首席の人は余裕でいいよな〜」


 その声に一緒にいる他の生徒や周りの生徒も少女に目を向けた。それには少女も気付いたし声も聞こえていたが、特に気にすることなく目の前の文字を追う。小説を読むにあたってその視線や言動は少し煩わしくはあるが、教室にいる限りは仕方ない程度だ。


「まじじゃん」「俺も本読めば賢くなっかな?」「お高くとまっててうざくない?」「無視かよ」「俺たち下級の人間の言葉聞こえないとか?」「感じ悪いよなぁ」「ていうかいつも無表情で気味悪いよねぇ」「ロボットなんじゃん?」


 ガヤガヤと教室が少女の悪口で溢れ出すが、少女はそんな言葉を気にせず右から左に流して目の前の美しい言葉だけに集中をする。それが余計に他の人をイラつかせることも気にせずに。いや、少女はそこまでの考えに至ってはいない。興味がないし何かを言われても自分が気にしなければそこでこの話は終わるものだと思っている。それゆえの行動であった。しかし少女に文句を言っている人の中にそんなことを理解している人などいないため、余計に周りが攻撃的になる。一瞬で教室がピリついた。


「そ…!」

「?」

「その本面白いの!?」


 本に影が落ち、少女は何事かと顔を上げる。そこには少し髪が跳ねている黒髪の好青年といった感じの少年が立っていた。すると少年は勢いのままにといった様子で声をあげた。それに少女は驚き、他の者もあのような状態で少女に話しかけた少年に呆然としてその成り行きを見つめる。声の大きさに怯んだが、自分に聞かれていると理解した少女は邪魔が入ったと思いつつも口を開く。


「いや、そんなに」

「ええ!? お、面白くて、続きが気になるから読んでるとかじゃないの…?」

「別に…淡々としていて、今中盤まで読んでるはずなのにないし物語の盛り上がりはないし、キャラクターも個性がそんなになくてありきたりだし」

「そ、そうなんだ…」

「でも、主人公の価値観が素敵なの。現代に主人公である魔女が生きている話でその周りにいる人を巻き込んでの話なんだけど…興味あるなら貸すよ」


 もちろん私が読み終わった後だけどと最後に言って少年を見た少女は目を見開いた。少年の目はキラキラと輝いており、嬉しそうに、そして少し照れくさそうに顔を綻ばせていたからだ。まさかそんな反応をされると思わなかったため、少女は驚いてしまった。輝く瞳を見ていられなくてパッと目を逸らすと同時に授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。少年は読み終わったら声をかけてと照れた様子で言った後、自分の席に戻った。それまで黙って2人を見守っていた教室に騒がしさが戻ってくる。


「何してんだよお前〜」「本当、青野あおのくんって優しいよね」「あんな中に飛び込むからひやひやしたわ」「てか浅井あさいもあんなに話すんだな」「青野くんやっぱり素敵〜」「それな、びっくり」


 少年、青野あおのけいは友人たちに囲まれ、肩を組まれながら茶化すように声をかけられた。それに笑って返答する彼は、女子からも好意的に見られている。

 一方少女…浅井あさい文香ふみかは小説に栞を挟んで教室を出た。クーラーの効いた教室と違い、廊下ではぬるい空気が纏わりつく。文香は初めての感覚に戸惑いを隠せなかった、なんなんだと混乱していた。なぜなら顔がいつもより熱く感じるし、心臓のドキドキとした音が聞こえるし、世界がいつもより煌めいて見えるからだ。


「(あの男のせいだ…あの男の目がキラキラしてたから…それがうつったんだ)」


 まるで魔法のように。やがて人気のない廊下にたどり着いた文香は、しゃがみこみ大きなため息をつく。ミーンミンと鳴く蝉の声が耳に入る。この火照る感覚も夏のせいだと思い込み、あっつ…と文香は額に浮き出た汗を拭った。





 あれから文香は圭に言われた通りに読み終わった後に声をかけて本を貸した。ぶっきらぼうな文香を気にすることもなく、圭はとても嬉しそうに本を受け取った。それが試験期間中のことだ。返すのはいつでもいいとは言ったため、本を返されることなく夏休みに突入したことは気にすることではないのに、ふとした時に思い出してしまう。


「(どうして友人でもないのに思い出すのか…正直あの本が帰ってこなかったらそれはそれでまた好きなタイミングで購入するからいいのに…)」


 文香にも少ないが一応友人はいる。本の登場人物や服を見た時にふと思い浮かべることがあるほどの友人だが、それは友人であるからこそのことだった。他人を思い出すことは今までなかった。知らない人にノートを貸した時も、教科書を貸した時だって、貸してる間にその人を思い出すことなどなかったのだ。ノートをまとめなおしたものは家にあったし教科書はまた買えばいいもので代替品があるものだ、返ってこなくたって今回貸した小説のように困らないものだ。だからこそ、あまり会話もしたことがないようなあの少年を思い出す自分自身に疑問しかない。文香は圭の名前すら覚えていない。なんなら顔を認識したのだってあの瞬間だ。文香にとって彼と出会ったのはあの時だったのだ。別にクラスメイトに興味はなかったしそれで困ったことなど特になかった。あんな少ししか話してない圭をなぜふとした時に思い出すのか、その理由をまだ文香は分からずにいた。

 しばらくして、考えるのをやめようと読んでいた本を戻すために立ち上がる。それと同時に奥の部屋のドアが開いた。中から司書の先生…宮沢みやさわが出てきて文香にお疲れ様と声をかけた。


「夏休みなのにこんなお仕事お願いしちゃって悪いわねぇ」

「いえ…利用する人がいるのなら開けるべきですし」

「そうねぇ…毎日ではないけど、受験勉強に使ってくれる子もいるし…避暑地に使う子もいるのよ」

「部活が早上がりの子たちが宿題するために利用することもありますね」

「えぇ。あら、その本読んだの?どうだった?」


 そのまま宮沢と文香は雑談を始める。宮沢は司書なだけあって本に詳しいし、今回読んでいた本は彼女が選んで入荷したもののため感想を聞きたかったのだろう。会話は弾み、新入荷コーナーに置かれた本について話していると、宮沢がそういえばと何かを思い出した口調で言った。


「浅井さんは花火大会に行くの?」

「花火大会?…あぁ、もうそんな時期ですか…」

「えぇ。ほら、去年話した時は行きたいけど行く友だちがいないと言っていたでしょう?今年はどうなのかしら?」

「地元の友人たちを呼んでもいいのですが…そな友人たちとは地元の花火大会に行くので誘いづらくて…今年もなしかもしれません」

「あら…残念ねぇ」


 文香は電車通学で地元と学校とは少し距離がある。学校の地域の花火大会の方が文香の地元より豪華なようなので気になってはいるが1人で行くとなると腰が上がらない。今年もなしだということに対し、花火大会を勧めた宮沢は本当に残念に思っていた。せっかく気になっているのだったらぜひ見てきてほしいし、そうやって文香が本だけでなく外の世界を気にすることは喜ばしいことだと考えているからだ。

 そしてしばらく話した後宮沢は仕事に戻り、文香は夏休みの宿題に手をかけることにした。エアコンの風を受け、帰りの暑さを想像しながら。

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