代わりの痛み

 ある日、私のクラスの全ての苦痛が溝口君に集まるようになってしまった。

 最初は体育の時間のクラスメイトの怪我だ。

「あれ、なんともない」

 盛大に棒高跳びを失敗して地面に落ちた子が不思議そうにしていると、体が弱くて見学していたはずの溝口君が血だらけになっていた。

 最初は誰もそれが身代わりなんて思っていなかった。

 でも、そういうことは続くのだ。

 関山君がトラックにぶつかった。幸いなことに頭は打たずに済んだというけど、全身を打ったはずなのにケロっとして学校に彼はやってきた。そうしてその日、溝口君が倒れる。

 同じことが2回続くと、だんだん皆奇妙に思う。

 それでもまだ確信がないうちに3回目。

 竹中さんが階段から落ちる。盛大に足を捻ったはずなのになんともない。溝口君の足が曲がる。

 大慌てで学級会が開かれる。保護者会も開かれる。

 でも最初は溝口君の危機について話していたはずなのに、みんな大慌てで話しているうちに如何にしてその騒ぎを落ち着けるか、という話になってしまう。

「ではこう言った事態があった時にはこのような流れで対応しましょう」

「クラスでカンパして保険にでも入りますか」

「いつでも救急車を呼べるように訓練でもしますか」

 最初のうちは大騒ぎだったものが、いつの間にか溝口君の怪我に対処だけしていれば手間がかからないということに気づいて誰もが打算的なことばかり考えていく。

 クラスの活力を持て余した子は喧嘩に明け暮れる。運動部の子達がここぞとばかりに自分の体を痛めつけて鍛えていく。文化系の人たちは徹夜をして創作活動に取り組んで体を壊す。

 全部、全部溝口君に代わっていくから。

「悪いなぁ溝口」「大変だなぁ溝口」「溝口のやつ気の毒に」「溝口、いい奴なのになあ」「ほんとほんと、いい奴なのにかわいそうに」

 そう言ってマックでハンバーガーを食べて笑い合っているクラスメイトを見て、私は階段から突き落としてやりたくなる。

 でも出来ない。結局溝口君にそれが返ってしまう。


「おかしい、おかしいでしょこんなの」

 先生も、保護者も、クラスメイトもみんなどうでもいいと思っている。

 痛いのは自分じゃないから、仕方がないことだって物事を単純化しようとしている。痛みが消えたわけでもないのに平気な顔して忘れてる。

「気にしないでいいよ。今日はあんまり痛くなかったんだよ。ラッキーだよ」

 そう言って溝口君は怒らない。怒っても仕方がないと諦めているのかもしれない。

 私はそんな溝口君を見て、やりきれない気持ちになる。

 いつだって私のたわいもない愚痴を聞いていてくれた溝口君が辛い時、私は何もしてやれない。

「みんなおかしい。絶対におかしい。痛みが溝口君から消えたわけじゃないのに。いつ死んでもおかしくないのに」

 でも、どんな異常も時間が過ぎれば日常になってしまう。

 もしかしたら、私のこの憤りすらも日常になってしまって、私も何も感じなくなるかもしれない。それが怖い。

「でも、そう考えてくれるだけで嬉しいよ。本当に。平気、平気だから」

 溝口君の平気、平気だからという言葉は私が愚痴を言って慰めてくれる時のお決まりの言葉で、私はそれで溝口君に負担をかけているのだと悲しくなる。

「平気、平気」

 きっと私が感じているであろう胸の痛みもきっと今の溝口君が感じているんだろうと思って、私はせめて溝口君に笑顔を向ける。〈了〉

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