創造主


 待ち合わせに指定されたバーの店内は、飴色の光と静かなジャズミュージックに満たされていた。

 半地下ということもあり、外界の騒音からは切り離され落ち着いた雰囲気だ。


「この男、なに?」


 しかし、カウンターで待つ田邊に声をかけるなりこの返答である。


 田邊という記者は四十路半ばにして遊び人といった風体の男だった。長い茶髪に顎髭、ヒョウ柄のシャツとずいぶんと洒落込んでいた。羽振りが良いというよりも、精一杯の背伸びに見える。ダンディーではなく年甲斐もないといったほうがしっくりくるかもしれない。

 いまは芸能人の浮気追いかけていることもあって利便性のためこんな服装を――と勝手に解釈したが、どうやら本人の趣味のようだ。


 ぼくらが答える前に、田邊は馴れ馴れしく燈子の肩に手を置いて覗き込むように言った。


「燈子ちゃん、困るよ。この人には帰ってもらっていいかな。そしたら場所を変えよう。そこでお話、聞いてあげるから」


 どうやら霊能力者の角守燈子ではなく、美人女子大生に用事があるらしい。

 急なアポイトメントの受諾も、道中で目立っていたピンク色の看板にも合点がいった。

 中西の知り合いという点をもっと加味しておくべきだった。


「あの、吉瀬さん」


「だめです」


「わたしは危険も承知でここにいます。なんでもします」


「だめです。帰りましょう。手がかりは他にあるかもしれません」


「吉瀬さん、命がかかってるんですよ!」


「それは二の次でいいです」


 店内の空気が濁るのを感じた。

 バーテンダーの視線が刺さっている。燈子は声のトーンを下げて呟いた。


「ひとの心配なんてしてる場合じゃないんです。わたしだってできることがあるのなら――」


 さらに言葉が続いたが、ぼくは燈子の腕を掴んで店のドアを開いた。

 こんな形を求めてで共犯者になったわけではない。田邊から有益な情報が得られたとしても、真実かどうかもわからないし、手がかりが見つかる保証なんてないのだ。


 店のドアを閉めたところで燈子は手を振り払い、無言かつ無表情でぼくの背中をぽかぽかと無遠慮に殴った。

 彼女の気が済むまで甘んじて受けるつもりだったが、数発もらったところで声がかかる。


「命かかってるってどゆこと?」


 見れば、店のドアから顔だけをだして白い歯を見せて笑っている田邊がいた。

 唖然としていると、田邊は先回りして「おまえら、中西と知り合い?」と聞く。頷くなり、田邊はさらにご機嫌になった。


「死んだ? ねね、どんなふうに死んだ?」


 先ほどの軽薄な印象はすっかり気味悪さに上書きされる。


「まだ死んでないと思いますけど……」


 ありのままを答えたぼくに田邊は「ンなんだよぉ!」と大袈裟に天を仰ぎながら、ドアをくぐり今度はぼくの肩を馴れ馴れしく叩いて覗き込む。


「もしかしてさ、君たちもあのアパートいっちゃったんだ? 気持ち悪いことが身の回りでおきてる。それで、詳しいことを知りたくて俺を呼び出した、と。俺は一杯食わされたわけだ!」


 まったくもってその通りだ。

 首肯すると田邊は楽しげに「ご愁傷さまでした」と言ってぼくに両手を合わせた。


「では、ぼくたちはこれで」


 地上への階段を上がる。


「吉瀬くん? だっけ? ちょっと待ちなよ」


 背中に軽薄な声が降りかかる。

 肩越しに振り替えると、田邊が咥えたタバコに火をつけているところだった。


「タバコ一本分ならお話ししてあげてもいっかなーって」


 紫煙とともにそう言った。

 上った階段を再び下ると、田邊は「吸う?」とタバコの箱を突き出してきた。


「金欠でやめました」


「あー、わかる。コレ税金のカタマリだからね。燈子ちゃんは?」


「未成年です」


「マジ?」


 ぼくにとっても衝撃的な告白だったが、今はそんな与太話をしている場合ではない。

 時間にしてタバコ一本分の短さは重々わかっている。

 ぼくは田邊にアパートで起きたことと、それにまつわる推測――田邊の罠だったのではないかと考えていることを手短に話した。


「田邊さん。十五年前のことを教えてもらえますか?」


「十五年前……二〇〇五年。懐かしいね、嫌な時代だ。その前に、なんだな――ちょっと前の一九九九年のオカルトブーム、知ってる? いまでも余波は残ってるけどさ」


 苦い記憶が蘇る。

 子どもだったぼくはオカルトを真に受けて、近く世界が滅びるのだから何をしても無駄だと思い込んでいた。

 いまではすっかりオカルトオタクでホラー番組のカメラマンなどやっている。どれだけの余波があったのかは、身をもって知っていた。

 熱した苦汁でも飲まされた気分だが、ぼくは懸命にポーカーフェイスを取り繕う。田邊は怪しくニヤリと笑った。


「あの頃はよかった。『ノストラダムス』『マヤ歴』『呪いのなんとか』『UFO』なんて見出しつけりゃ、なんでも金になった。だけどブームが冷めて、あっという間に食えなくなったんだ。俺は必死に種をまいた。『自殺アパート』もその一つだった……わけだが! どういうわけかこいつが本物になっちまった。ありがてぇこった。俺は都市伝説の産みの親になったんだよ。話を独占してありとあらゆるメディア展開すれば、オカルト好きな馬鹿が食いついてまた『自殺アパート』に行ってくれる。そしたらまた噂は広まって大儲け。アイ・アム・レジェンドってことよ! 中西はいまごろ悔しがってんだろなあ」


 悔しがっているどころか、死に怯えている。

 それをこの男にわざわざ教えてやるつもりはないが。


 田邊は一層にやにやと笑い、歯の隙間から紫煙をあげた。


「あとは吉瀬くんの考えている通りだよ。ま、捕捉するとしたら、自殺志願者のネット掲示板であのアパートのこと教えてやってたのも、この俺。『自殺アパート』は、俺が生んで、俺がエサ送り込んで育てたモノホンの都市伝説よ。十五年もかかっちまったけどな。さながら、可愛い一人娘ってところだ。ああ、保坂のジジイはあそこが心霊スポットになって取材費で金儲けすんのが目的なんだ。どうぞどうぞっつって、話に乗ってきやがったよ」


 想定はしていたが、やはり保坂さんもグルだったか。

 ぼくたちが黙っているのを見て肩を揺らし、田邊はさらに饒舌になった。


「そんな簡単に人が死ぬかってか? 面白れーくらい簡単なんだよ。誰かに寄生して思考停止した連中なんて、操作するの簡単なんだ。"すばらしいあなた様を認めない社会に、神様は報復してくれますよ"、"選ばれたあなた様にだけ特別に教えてあげます"って言ってやりゃ、あとは勝手に肥やしになってくれんだよ。死んだら悪魔とか神になって仕返しができるとか、選ばれた救世主様になれるとかさ、いかにも現実逃避したアホの考えそうなことだよな、ハハハっ」


 寄生して思考停止した連中。

 現実逃避したアホ。

 その罵倒に、動揺した。まさしく、ぼくだ。

 違といえば、肉体が生きているか死んでいるかくらいだ。


 耳障りな田邊の話はまだ続く。


「あー、いっこだけ訂正しておくわ。俺の作戦ではもっと早く死体が見つかって警察沙汰になって、今頃誰もが知ってるオカルト話として広がってる予定だったんだよ。だけど、死体が出ねぇし、アパート知った人間はいなくなってるしで、いつまで経っても噂が広がらねえから、もーいいやーって、最近までほっといてたわけ。で、ご時世が世知辛いもんだからヒマになっちまったしよ、ふと思い出して死体かなんかねえか探しに行ってみたわけ。そしたらよ……」


 たっぷりと溜めて、田邊はぼくに顔をよせた。

 タバコの煙と話のオチが顔に吹きかけられる。


「知らねぇ鏡が置いてあったんだよ」


「――え? あれは、田邊さんが置いたんじゃないですか?」


「と、思うじゃん? こればっかりは俺もゾー……ッとしてさ。気持ち悪ぃからぶっ壊そうとしたんだけど、ヒビ一つ入らなくて。本当は別のモン殴ってるっつうか。余計気持ち悪いのなんの」


「壊れないって……?」


「そのまんまの意味だよ。この世のモンじゃないのかもね。あるいは幻でも見せられてんのかも。で、そっからよ。妙なことが起きはじめたの。保坂のジジイは膝の皿粉々にしても知らねえっつうからマジで知らないんだろうし、神社のお祓いも意味ねーし、呪いを解く方法もいっこうにわからんし。かといって泣き寝入りすんのもガラじゃねえから。まー、利用することにしたわけ。賢いねえ、俺」


「……それで、中西を?」


「そ! あいつぁ、死んでいいクズだろ?」


 予想はしていた。

 彼の恨みは、中西の妻――田邊の妹への暴力だ。

 田邊は妹に暴力をふるう中西が許せなかった。ぼくたちはその復讐に巻き込まれた。いらぬ犠牲だった。

 あのアパートで伝説を作ろうと喜び勇んでいた中西は……。

 赤城と美和の死は……。


 最悪な動機を知ってか、燈子は視線を落としたまま、ぼくのシャツの裾をぐっと掴んだ。


 にやにやと笑う田邊。咥えたタバコの先端が赤々と光る。鼻から煙を噴き出すと、足元で踏み消した。


「搾取されるばかりじゃ損だ。こっちも利用したらいいんだよ。法に触れずに人を殺す権利を得た。あそこ連れてくの、ちょっと大変だけどね。俺は誰にも共感も同調も期待もしてねぇから、あの化け物は鬱陶しいだけだし。俺にとってはラッキーだったんだよ」


「田邊さん、あなたの報復のために無関係な人間が二人も死んでいます」


「あ、そう。かわいそうだね。でも無関係だからね。無関係な他人がいくら死んだところで痛くもかゆくもないな。毎日どっかで死んでんだし」


「妹さんが巻き込まれても同じことを言えますか?」


「言えないねえ、だって無関係じゃないもん。知ってる人間のが可愛いに決まってんじゃん。てかね、吉瀬くん。俺に偉そうなこと言っちゃうとあとで辛くなるよ? 化け物に付きまとわれるマイナスを取り戻すには、あいつを利用してプラスにするしかねえんだから。ほらあ、やめときなよ。きみも俺も一緒。仲間だ。おまえは俺と同類なんだよ」


「…………」


「さ、この話はオシマイにしよ。呑む? おじさんと仲直りしようよ。女の子に優しくできる紳士同士さあ、三人でってのもオツなもんだよ」


「結構なお話でした。感謝いたします」


 燈子は涼しげにそう言って、ぼくの前に出るなり田邊に顔を向けた。すると、田邊の顔から下卑た笑みが濯がれ、額に汗すら浮きはじめる。

 ぼくからはその目を窺うことはできないが、想像はできた。

 彼女には得体の知れない力がある。危険を感知するだけではなく、誰かを蝕む力にもなるだろう。


「ば、ばけもの……」


「左様です。この世であなたを呪う化け物は一つではありません。肝に銘じてください」


 いずれ燈子の気が済むと思ったが、どんどんと田邊の顔色が土器色になっていく。

 慌てて彼女の腕を引いた。


「燈子さん、行きましょう――失礼します」


 言い終わらぬうちに踵をかえして、足早にワゴン車を停めていた駐車場へ戻る。

 掴んだ腕から、全身の神経を逆なでするような痺れが伝わってきた。



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