《DAY5 7月19日》 暗中

除霊バトル-(1)


「つまり、このアパートに行ってから怪奇現象が次々に起こって、役者さんの妙な自殺もその直後だった……と」


 東雲最明先生はぼくの説明を一度聞くなり、すっかり話をまとめた。慣れた手つきで上等そうな万年筆を走らせる姿も、医者がカルテを書くようだった。

 初老に見えるが襟元に遊び心のあるスーツを着こなし、手首からはちらちらと黄金色の時計が見え隠れしている。おのずと番組予算から捻りだした安くない費用が頭をよぎった。


 反面、レンタルスペースは教室ほどの広さで、ぼくたちはフロア端の会議机に固まって座っていた。中西、美和、そしてぼくが座り、対面に東雲先生だ。

 中央では弟子かアシスタントかわからないが、装束姿の若い男女がせっせと除霊の準備を進めている。灰色の味気ないカーペットの上に紫色の敷物を広げ、小さな祭壇をくみ上げているので、除霊もこの会議用スペースで行うらしい。

 祭壇には榊と円形の鏡が供えられていた。鏡は誰もが良く知っている現代的なガラス加工のそれである。御神鏡にしてはありがたみがない。ぼくの作ったアンティークの丸鏡のほうがまだいく因縁がありそうだ。

 その手前に薄紙に包まれたお札が置かれ、目につく装具はそれだけだった。


「君たちを見た感じだと、まあそれなりにタチの悪そうなのに目をつけられてるみたいだけど。燈子くんにああ言われちゃうと断れないからね」


 どこか彼女を重鎮扱いするニュアンスが感じられた。

 ぼくは空気が読めない風を装い、ぬけぬけと聞く。


「彼女は何者なんですか?」


 東雲先生は嫌な顔をしながら、答えてくれた。


「知らなかったの? 彼女というより角守がね、厄介なんだよ。なんせ、の――とにかくあの子は私らの間でも取り扱い注意なの。それに干渉しやすいってことは、干渉されやすいということでもあるから。あとは察して」


 東雲先生が燈子を遠ざけた本当の理由はこの点なのかもしれない。

 『つのこり』は耳になじみのない言葉だが、例えば角が鬼のことだとすれば、鬼を守る、あるいは鬼に守られる一族。

 現実的なところでは古い日本の官職でも『かみ』という言葉もある。世の表には出ないが、裏で鬼にまつわる重要な役目を仕った家系……そんな意味合いだろうか。

 とはいえ、東雲先生が口を閉ざしてしまった以上、根拠もなくオカルト知識をこねくり回して想像を膨らませるほかなかった。


 東雲先生は今の話はすっかり無かったことにして、


「ま、なんでもやってみないとわからないから。ぼくもプロだし、どうにかしましょう」


 とトレンディ俳優顔負けな笑いジワを見せたあと、


「でもねえ。若い子ならまだしも、いい歳の大人が揃いも揃ってこういうところに遊びでいくのは――」


 一般的な社会的道徳を浴びせかけた。

 ごもっともの正論に耳が痛むのだが、遊びと言われるのにはぼくですら納得がいかない。中西も視線を泳がせつつ口を一文字に結んでいた。

 そんな中、美和はうつむきながらも「わたしは呪われたアイドルでいい、アイドルでいなきゃいけない。燈子にヘタな姿なんて見せたくない」と口の中でぶつぶつと呟く。目のくまや充血が目立ち、顔色が悪い。あれだけ仲の良かった燈子との縁切りを条件にされたのが堪えているだろう。


「ほら、そこ静かに! 指示に従ってもらわないと困るよ」


 東雲先生にピシャリと言われて、唇を噛みしめながら美和も口を結んだ。


 黙ったぼくらは助手に促され、紫の敷物の上に並んで着座する。

 美和が中央、左が中西、右側がぼくだ。さらに紫の敷物の左右に男女のアシスタントが鈴を構えて立っている。

 なお、撮影は断られた挙句、隠し撮りが見つかったら罰金との誓約書を書かされ、カメラを持ち込めなかった。当然、中西は「話ちゃうやんけ、意味ないやんけ」とぼくに八つ当たりをしたが、それも「すみません」での一点張りで強引に丸め込んだ。

 何としても除霊を終えて不気味な現象から解放されたい、それから番組に打ち込みたい。その一心だった。燈子の気遣いを無碍にはできない。その点は美和だけでなく、ぼくだって同じだ。


 いわゆる神道系装束の狩衣姿でぼくたちの前に立つ東雲先生。

 再三、言われた通りにしないと身の保証はないと釘を刺したあと、祓いの儀の開始を告げた。

 流れとしては、まずぼくたちは腹いっぱいに塩水を飲まされ、最後の一口は儀式が終わるまで口に含んだままでいろと指示された。


 これはどこぞのオカルト雑誌の記述であったが、水を口に含ませるのは単に被術者に喋らせないためであるという。被術者が水を飲み込み口を挟もうものなら、そのせいで儀式が失敗に終わったと言い訳しやすくするためだ、と。

 まさか燈子が偽霊能力者をつかまされたのではないか、そもそも彼女ですら偽霊能力者だったのではないか。

 一瞬、疑念が過るが、自身に首を振り、大人しく座りながら東雲先生の祝詞のりとだか呪文だかを聞いていた。

 ここまできて引き返す理由もない。ぼくは燈子を信じ、彼女が信じている東雲先生を信じるほかないのだ。


 次第に、大幣おおぬさの白い紙が揺れる音と、弟子たちが鈴を鳴らす音も加わって盛大になる。

 一分ほどしたころだろう。口の中が塩気と唾液の粘り気で気持ち悪くなってきた頃だった。

 ボッ――という音と共に室内が真っ暗になった。続いて、ウゥーンと回っていたモーターが停まる音。エアコンまで落ちたようだ。まさかこの建物全体の電気に異常が起きたというのだろうか。


 ともかく――来たのだ。

 ぼくは臭いを嗅いだ。


 東雲先生の声、鈴の音がいっそう力強く、乱雑になる。

 ぼくのすぐ隣でシャーン、と鈴が床に落ちる音が響いた。さらに、大きな塊が床に打ち付けられる振動。

 やがて左側の鈴もテンポが合わなくなり、同じように陥落する。東雲先生の声はほとんど声だった。異常事態であることはぼくらにも明白だった。


 全身が総毛立っている。全神経が警戒し、暗闇の向こう側に何者かを捉えようとしている。

 喉もからからだ、口の中のねばつく水分さえ飲み落とし、悲鳴をあげて走り出したい。

 しかし、逃げてどうこうなる相手でないのは明白だ。

 ぼくは指一本動かさぬよう、目を閉じ呼吸さえひそめた。


 とうとう東雲先生の祝詞が止まり、歯ぎしりと荒い呼吸の中、「鏡、鏡……!」とうわ言めいた声が聞こえた。

 彼が暴れているのか、祭壇の上のものが転げ落ち陶器が割れる音が響く。


「来るな、とまれ! 姿を、見せろ……!」


 御神鏡を見つけたのか、東雲先生は芯のある声を取り戻した。


 応じるように、ぼくらの頭上から絞り出すような、しわがれた声が落ちてくる。

 間もなく、声は……止まった。


 ――だが。


「おまえ――いや、おまえは!」


 東雲先生はヒュッと言葉を飲み込み、咳き込み、えずくような音のあと急に静かになる。


 静寂。

 嗅覚、聴覚、そして触覚に意識が集中する。

 次第に気配の輪郭がはっきりしてきた。

 鼻につく異臭が濃度を増す。口呼吸ができず、その臭いを肺にとりこむ他なかった。

 ぼくと美和の間、その後ろ辺りでゆっくりと息を吐き出すような声、空気の流れが漂っている。生暖かい呼吸が、刺すような死臭が、耳の後ろを撫でていた。

 もし、それが肉食獣であれば、一瞬で頭を齧られて即死してしまうかもしれない、そんな距離だった。


 もはや、不安や恐怖ではない。いつ危害を加えられてもおかしくない危機感、緊張に体中の器官が悲鳴を上げる。ぼくの理性は逃げ出そうとする本能を押さえつけるのに必死だった。

 冴えわたった神経のせいか、時間が長く感じられる。


 突然、淡い光が灯った。

 中西の手前あたり。スマートフォンの液晶画面の光だ。

 あの男のことだ、どうにか隠し撮りしようと画策していたに違いない。


 光の中のものを目で追った。

 一瞬、理解ができなかったが、理解した瞬間にぼくは見たことを後悔した。


 下からの光に照らし出されていたのは、宙に浮いた誰のものとも知れない足先だった。

 闇からぶらさがる足は腐り、皮膚は灰色、血管は黒く浮いている。

 揃った親指から黒い液体が落ち、ぼた、ぼた、と床を叩く音が遠く響いていた。


 それが、いる。

 いっぱい、いる。


 まるで合わせ鏡でもしたかのように等間隔に、祭壇から美和の頭上、その後ろへと、灰色の足がずらりと中空に並んでいた。

 少女だけのものではない。

 男の足、もっと幼い足、しわだらけの足。たくさんの死体が暗闇の中にぶらさがっていた。


 感情がすーっと深い闇の底に落ちる。


 ぎちぎちと、骨と関節が軋むような音を立てながら、足先たちが蠢き、いずれかが声を発した。

 老婆のような声だった。


「し……に、ます……か……いつ、し……にま、すか……」



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