夢追い人


「たしかに鏡の中に『影』が映っています。でも、ぼくはこのとき照明付きのカメラを目の前に構えていたので、鏡にはまず反射光が映るはずです。『光』ではなく『影』があるということは……鏡と照明の間に、なんらかの障害物があったということでしょう」


「ここにスタッフさんとか、いらっしゃったんですか?」


「……いいえ」


 あのときのことが鮮明に脳裏に蘇った。

 誰かいる。

 咄嗟にそう思ったのだ。

 奥に置かれている鏡に映った自分を見て、勘違いだと納得したが――直感のほうが正しかったのかもしれない。


「すみません、こんなこと掘り返されても気分が良くないですよね。でも、わたしの話は信じてもらえそうでしょうか? 脅かしたいわけでも、お金とかお仕事とか、そういったものが欲しいわけではありません。ただ……心配で……」


 そう言われて、ぼくはどきりとした。

 彼女の力が霊感というよりもエスパー――テレパシーめいたものだとすれば、彼女に対する疑念も筒抜けだったに違いない。


「で、その気味の悪い話、終わった? ほれ、話きいてもらって気ぃ済んだでしょ。カメラマンさんも気にしないでくださいね、この子いつもこう……いいこちゃんムーブなんで。データ消すとかマジで無しでお願いしますよ。あたしはヨゴレでも呪われたアイドルでもいいんで。燈子、もう迷惑だからさ、いこう」


 うんざりした美和の言いように、眼球運動さえままならないせいか視線ごと頷く燈子。本心では納得いっていないのか、ややぎこちなく見えた。


「あの……はい。お騒がせしてしまってすみません。美和さんも、退院してきたその足なのに」


「あたしはいいのよ、むしろ付き合ってもらってんのはこっちだし……あ、いやっ、やっぱ割に合わない! 今日は夕飯作んなさい。この間のさ」


「鶏肉のみぞれ煮ですね。わかりました。お買い物して帰りましょう」


 了解だか喜びだかを表しているのか、燈子は無表情で顔の横で両手を開いた。

 こんな女友達同士の会話の中に挟まっているのが場違いな気がしてならない。


 助けを求めるように腕時計を見れば、あれから一時間が経とうとしている。そろそろ中西がやってくる頃合いだ。

 ぼくは詳しい調査をしてみると有耶無耶な形で忠告を聞き入れた。データを消すわけにはいかないが、燈子と繋がっておくのは有益だ。

 連絡先として燈子に名刺を渡す。燈子は卒業証書授与式のように恭しく受け取った。いわゆる『天然』でもあるのだろう。彼女の連絡先を直接聞かなかったのはぼくなりの配慮と心の壁だったが、燈子はすぐに携帯電話を操作して履歴を残した。


「吉瀬さん。何かできることがあればご連絡ください」


 何を考えているのかわからないが、彼女には不思議な力が備わっていて、ぼくらに警告する動機が善意であると考えていいようだ。

 かといってデータを消す、番組作りをやめることなんてできるわけがない。ようするに、余計なお節介というやつだ。


「お気遣いありがとうございます」


 この場は、ぼくが逃げるように退席する形でお開きとなった。


 小走りで会社の入っているフロアに戻る。談笑を交えながらの作業音に胸を撫でおろした。中西がいるとフロアの空気が張り詰め、どんよりとしているのが常である。まだ出社していないようだ。

 代わりに、先ほどと同じように芹沢がにやにやとふやけた笑顔で登場した。そうなったら嫌だとは思っていたが、どうやら喫茶店で会話しているところを見られていたらしい。

 気づかぬふりで倉庫の定位置に逃げ込んだものの、その横に座り込んでからはの彼の態度は露骨だった。


「ちょっと見せてよ。俺、こう見えてホラー映画好きなんだ」

「あの二人、出演者? 片方、落ちぶれたグラビアアイドルだろ。なんつったっけ。もう片方は占い師とか? いい子アサインするじゃん」

「今度さ、中西さんいないとき打合せ入れてよ。名刺交換だけでいいから」


 彼の仕事がどうなっているのかは定かではないが、ずいぶんとギラついている。

 のらりくらりとかわしていたが、いささか面倒になってきてぼくは覗き込んでくる芹沢を無視してテロップ作りに着手しはじめた。


「おい、吉瀬。その態度なんだよ。俺、先輩だろ」

「ケチくせえな。せっかく相手してやってんのによ」

「中西様の言うことしかきかねえってか。ほんといい奴隷根性してんよな。いや、褒めてんだよ」


 雑音に耐えかね、ぼくはとうとう魔法の言葉を唱える。


「そろそろ中西さん来ますよ」


「うげぇっ」


 効果てきめん、芹沢はあっさりと倉庫から出ていった。


 社内の評価を察するに、ぼくが気軽に虐めていい珍獣なら、中西は関わるとロクなことにならない害獣といったところだろう。

 えてして、ぼくと中西は除け者同士で仲良くせざるをえないのだ。美和と燈子とは違って。


 そんな中西だが、遅刻の連絡からおおよそ二時間後に悪びれもせずに出社。ぼくの顔を見るなり「車くらい用意しとけや」とあいさつ代わりの蹴りである。


 *


 ワゴン車の運転席から、ぼんやりと知性的な白亜の建物を眺めていた。


 合流して早々、中西は行先を変更。ぼくらは都内にある大学の研究室にやってきた。

 またしてもスケジュールにない撮影かと思いきやカメラマンであるぼくを置いていき、中西は一人で研究所に突入していった。ぼくはタクシー替わりに使われただけだったのだ。


 それでもぼくは行きがけに、こんな男でも大学博士にパイプがあるのかと感心していた。蓋を開けてみれば、実に中西らしい繋がりだった。


 中西は以前、ここの教授をヤラセ番組に起用したことがあり、それをネタに脅しかけ、今回もまた「科学的に説明ができない」などと言わせて箔をつけようと考えていたらしい。

 昨日の今日だ、アポイトメントなどあるはずもない。いつも通り、粗暴で横柄で行き当たりばったりだった。無計画ともいう。

 結果はわかりきっているのでぼくは大人しく、中西が悪態をつきながら出てくるのを待っていた。


 燈子が話したこと――それこそ美和が訪ねてきたことを、中西には言っていない。


 彼女たちが嘘をついているとは思っていない。

 燈子が見つけた心霊現象も番組に組み込むつもりだ。

 しかし、いざ燈子本人を巻き込むとなると都合が悪い。なにせ、すでに霊能力者枠には赤城が入っているのだ。ついでに、ぼくというクズの後ろにはクズの大先輩方が控えている。とくに芹沢に関しては、ややこしいことになりそうだ。

 事情の兼ね合いから、角守燈子の存在は次のネタとして懐に隠し持っておくことにした。


 そうなれば何事も順調だ。

 美和は無事。思いがけない映像も撮影できた。

 燈子が恐れている『何か』について、たしかに不穏ではあるが、裏を返せばまだまだネタになることが起きるかもしれない。それはぼくにとって朗報だ。

 たとえなにも起きなかったとしても、中西の暴力に怯えながらどうにか素材を集め、真実と虚構を混ぜて練り上げた映像でなんとか尺を埋めることになる。これもまたいつも通りだった。


 キャンパスの活気にあふれた光景と無気力な自分を比較して自嘲などしていると、やがて白亜の研究棟前が騒がしくなる。

 遠目から見て察するに、当の教授は騒ぐ中西を見かねて顔を出したが、すぐに警備員を呼び、見事なまでの門前払い……というシナリオだろう。


「おい、詐欺教授! おまえの悪事、全部マスコミに売ったるからな!」


 警備員に突き飛ばされコンクリートに叩きつけられながらも負け犬の遠吠えを吐く中西に、ぼくは車の窓からカメラを向けていた。ドキュメンタリーとしては良い画である。

 舌打ちをしながら中西は戻ってくる。顔は怒りと恥に真っ赤で、まるでテングザルだ。


「おまえなに撮ってんねん。上司ひとりに行かせて恥ずかしくないんか」


「ここの駐車場料金高いから残れって中西さんが」


「やかましいわ」


 ぼくが言い終わる前に、中西はぼくの頭をはたいた。醜態を見せたこと、醜態をぼくのせいにできないことに腹を立てているのだろう。

 たしかに無茶苦茶すぎる段取りに、ぼくはうまくいくはずがないとはじめから諦めていた。そして、うまくいかなかった。

 だが、それと同じくらい、どうせ無理だろうという諦めに目もくれない彼の情熱、愚かしいほどのバイタリティーに舌を巻いているのも事実だ。


 これまでに中西が起こしたトラブルは、ぼくが知っているだけでも片手に収まらない。

 もう一方で、その無茶苦茶が状況打破してきたことも、同じくらいあった。


 社内では、悪い話だけが尾ひれをつけて歩いている。それが人間社会の性質なのだろう。

 中西は彼らを「噂だの怪談だの、都市伝説ちゅうのはこうやって生まれんのやぞ」と鼻で笑った。

 ぼくとしても、ありもしない噂を信じて恨みつらみを唱える連中よりも、直情的に挑戦――というか暴走する中西のほうがまだいくばくか共感しうる相手に思えた。

 もっとも、共感するかは時と場合によるが。


 残念ながら、本日の暴走は空振りに終わり、本社にとんぼ帰りとなった。

 中西は助手席に座るとさっそくタバコをふかす。

 口がふさがって静かになったかと思うと、見慣れた交差点にさしかかったところで神妙に口を開いた。


「幽霊だ宇宙人だなんて、おるかどうかは誰にもわからん。せやけどありもせんことを真に受けて人生狂った哀れな連中は仰山おる。それをあのハゲ散らかした学者連中は見て見ぬふりや。おかしなってる連中、どうにかしたるやつ、ひとりもおらん。そのくせふんぞり返って……腹立つわ。ああいうヤツに一泡吹かせるために、わからんモン山ほど詰め込んで撒き散らしたる。俺自身が都市伝説んなって、あいつらに自分らが間違ってましたあ、って土下座さしたるわ」


 またその話に帰着したのか。

 見返したい、名前を残したい、忘れられたくない――そんなルサンチマン的な動機は耳にタコができるほど聞いた話だった。

 なかでも『ありもせんことを真に受けて人生狂った哀れな連中』の部分は耳が痛い。中西は話を聞かせている隣人こそ哀れな一人である可能性なんて考えもしていないのだろう。

 ぼくは適当な相槌をしながら車庫入れに集中する。


「ほんで――あれ、なんの話やったっけ。『自殺アパート』な。あれ絶対成功させなあかんな! しっかりせいよ、おまえ! 次の番組、もう考えてんねん。楽しみやろ、なあ!」


 若者を説教して機嫌がよくなったのか、都市伝説作りたいおじさんは饒舌になった。

 ぼくは「はい」と「そうですね」でやりすごした。

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