第 7話 <ミズハの憂鬱>

 ◇◆◇


 囚人都市に囚われたカインが脱出を強く決意したのと同じ頃、帝国軍旗をなびかせた一台の漆黒の馬車が黄昏たそがれの北の大地を走っていた。


 馬車を引くのは6頭の精悍な魔馬である。


 6頭立ての馬車というだけでこの帝国軍の馬車に乗る者がただ者ではないと知れる。


 艶やかに磨かれた黒い車体に黄金の蔦の飾りが光る。派手ではないが威厳が漂う馬車に乗っているのは高級官僚や王族であろうか、だが道を開けた人々は首を傾げる。

 普通であればこのような馬車には前後に騎兵の護衛がつくものだ。時には物々しい装甲馬車が随行して10両以上の隊列を作っていることすらある。それがどこにも見当たらない。


 「ふう、行ったか」

 「やれやれ、相変わらず貴族の馬車は俺たちがいても速度を落としもしねえ」

 過ぎ去った馬車を見ながら、荷車に商品を山積みした商人の一団が再び街道に荷車を押し戻し始めた。


 「だが、かなり遠いところから警笛を鳴らしただけマシだぜ。酷いのになると避けきれないほど接近してから警笛を鳴らす奴もいる」

 「だけどよう、今の貴族の馬車は何か変だったな、あれだけの馬車が単独行動なんて珍しいぜ」

 男が大きな荷物を背負い直した。


 「さあ、出発だ。ん?」

 ふと見ると、まだ道路の端で両手を組んで祈っている女がいる。途中の街で雇った護衛兼荷物持ちの若い冒険者だ。

 「ネマ、どうしたんだ? 早く荷物を背負え。関門で時間がかかるから、早く行かないと今日中に帝都に入れないぞ、どうかしたのか?」


 「あの馬車、あれは大魔女ミズハ様の馬車です。あの方は私の故郷を戦禍から救った英雄なんですよ」


 あの夜、恐ろしい魔族の軍が街の郊外にまで迫り、逃げ遅れた人々は家に閉じこもって息を潜めていた、あの日の事は今でも鮮明に思いだせる。

 

 街は恐ろしい地響きを上げて進んできた巨獣の重砲隊に包囲され、じきに火の海になるところだった。あの時、ミズハ様が現れなければ、私も弟もみんな殺されていただろう。


 「あれが? 帝国の魔王二天の? でも護衛の騎兵が1人もいなかったぞ」


 「ミズハ様に護衛だなんて、かえって足手まといですよ」

 「そういうものなのか?」

 「ええ」

 そう言って彼女は遠ざかる馬車に再度頭を下げた。



 ◇◆◇


 ーーーー流れる窓の外に多くの人が行き交っている。魔族、人族、亞人……その人種は様々だ。


 商人、兵、冒険者、彼らは色々な目的を持って旅をしており、その街道の賑わいは帝国の繁栄の証である。


 やがて街道に魔族の者の姿が増えていくと、ようやく本来の魔王国が近づいてきたのだと実感できる。


 中央大陸では、南に行くほど人族の割合が多くなり、北に行くほど魔族の割合が増える。これは魔王国が勃興ぼっこうしたのが北の大地だからである。


 魔王国、正式名は “魔族の王による偉大なる国” である。5年前に終結した大戦で各地の王国を併合し、大陸全土を支配下に置いたことで、正式ではないが帝国と呼ばれることが多くなり、王都は帝都、兵は帝国兵と呼ばれるようになって久しい。


 その魔王国の歴代王朝の都は、その始まりから現在まで中央大陸の北の大地、セラ大盆地に置かれている。セラ大盆地は全ての魔族の故郷なのだ。


 セラ大盆地の南にはシズル大原と呼ばれる広大な平原地帯が広がり、その境には険しい山々が連なっている。


 都に通じる唯一の大街道はその山々が作りだした長大な峡谷きょうこくの中を通っているが、そこは天然の要害になっており、魔族も人族も互いにその地に要塞を築いた。


 峡谷の南の入口にはセク北方要塞と呼ばれた人族最北に位置する要塞跡がある。それを過ぎると魔王国の領土で、峡谷が一番狭まった場所には巨大な黒鉄くろがね関門が造られている。そこはまさにセラ大盆地の玄関口である。


 黒鉄関門は、門と言うものの実質は大要塞である。


 都に行くにはこの巨大な要塞の中を通過しなければならない。圧倒的な大きさの鉄門が威圧する何重もの関門を抜けると北方の地ながら大森林に囲まれた美しい緑あふれるセラ大盆地が開け、広大な農地の果てに黒い都が見えてくる。


 黒鉄関門のある場所にはかつて岩山があり、道は通じていたものの急峻な隘路あいろで著しく人の往来を阻害していた。他の地域との交わりがほとんどなく、閉鎖的な土地であったために他の人族とは違う進化を遂げ、魔力を持つ人々として魔族と呼ばれるようになった。


 この人族と魔族を隔てていた岩山を崩し、魔族と人族が交流を持つようになったのは数百年前だ。魔族の勇者セ・ラビスとその妻で人族の勇者チサ・トルネーラが協力してその岩山を砕くことに成功した。


 この峡谷道の開通によって初めて人族と魔族の本格的な交流が始まり、後に魔族と人族の黄金時代と称されるセラビス王朝の繁栄は約300年ほど続いた。

 その後、何度か王朝が入れ替わって魔族と人族の関係も時代毎に変化し、今はゲ王朝4代暗黒王ゲ・ロンパの御代で、大戦後は魔族至上主義が徹底され、人族の地位は極めて低い。


 魔王国の美しき帝都ダ・アウロゼにも人族は暮らしているが、大概は貧民街の住人である。


 帝都に続くセク大道を走る黒い馬車の豪奢ごうしゃな金縁窓が静かに開かれ、その美しい銀色の髪が風になびいた。


 大きめの目が愛らしく、一見少し幼い印象を受ける美少女風だが、その仕草は大人びている。スリムな体つきも年齢を幼く見せている原因の一つだろう。 

 しかし、実際は彼女は立派な成人、いや少し婚期が遅いとすら言われかねない年齢だ。彼女の一族はかなりの年齢に達するまで一般には少女と呼ばれる姿が続く種族なのだ。


 そんな姿はともかく、彼女こそ帝国最強の魔法使いとうたわれ、大戦で中央戦線の指揮官を担った英雄、魔王二天のミズハである。


 多くの戦線が血みどろの殺戮の場となり一進一退を繰り返して泥沼化して行った中、彼女は、指揮を執った大陸中央部のシズル大原の戦いで多くの国々を無血降伏させ、その功績は大戦の奇跡として既に伝説になっている。

 多くの街が灰燼かいじんに帰した南郡と違い、彼女が降伏させた国々の都市は今も大いに繁栄している。


 今は占領した地域を帝都から派遣された魔王軍司令官が統治している。だが、いつまでも戦時体制ではいられない。普通の生活を取り戻すことが必要なのだ。

 それが今回ミズハに与えられた使命であった。

 かつての国々の官僚組織を再編し、新たに一定の自治権を認める。その統治改革の試行には一定の成果が認められた。

 今回はその報告のための都入りである。


 ーーしかし、広がる豊かな農地の緑を見つめる帝国一の大魔女は微かな憂いを浮かべているようだ。


 「どうかなされましたか? ミズハ様」


 正面に座っている騎士で警護役のバルガゼットが気づかうように言った。かつて大戦を共に戦ったことがあるだけにミズハが何も言わなくても、何か考え込んでいるのが分かる。


 「いや、今年も国元では実りが良いようだと思ってね。この魔族の農業技術で復興が遅れている占領地を開発すれば帝国の収入もさらに増え、人々の暮らしも向上するだろうにな」


 「魔王国の国倉には今でも溢れるほどの穀物が納められています。飢饉の心配もありませんし、十分すぎるほどではありませんか?」


 「大陸南半の国土が心配だよ。占領地の中でもかつて人族の王国があった南郡の荒廃には目を覆いたくなる……。あの荒れ果てた地にこの農作技術を伝授して農地を復活させれば、帝国の収入は増え、占領地の人心も安定に向かうというのに。5年経っても帝国の威徳を知らしめるに至っていない……。特にあの囚人都市の現状は深刻だ、人を人と見ていない。あれはひどすぎる」


 大陸南半の国々を攻め滅ぼしたのは色々な意味でミズハのライバルである美女ニロネリアである。彼女は抵抗する国を容赦なく攻め滅ぼし、戦後も復興事業に力を入れて来なかったように見える。

 それは昔の彼女を知る者としては信じられない話だ。傷ついた人々を癒す心優しき見習い白魔術士、それが今では闇の術を使う妖艶な赤い魔女と呼ばれている。何が彼女の心をそこまで狂わせたのか。


 「南郡の対応については、魔王様に何か深いお考えがあるのではありませんか?」

 ガタンと馬車が揺れた。美しく整備された帝国自慢のセク大道にも多少の凹凸はあるらしい。倒れかけたグラスをバルガゼットが慌てて押さえている。


 「魔王様というより、問題は取り巻きの魔王一天衆だろうな。彼らが、最後まで魔王様に歯向かった地ということで故意に復興を遅らせているという噂もある。いかにも男の考えそうな事だ。私から言わせればいずれ自分の首を絞めかねない愚かな行為としか思えないのだが」


 大戦で魔王の第一側近にのし上がった魔王一天衆は強大な力を持つ魔族である。


 先の戦がこれほどの大戦に発展し、大きな惨劇をもたらした揚句、人族最大の王国を滅亡にまで追いやったのは、力こそ全ての脳筋集団の魔王一天衆が競争し合って勝手に暴走したからだとも噂されている。それに一天衆にまつわる悪い噂も最近耳にした。人を凶戦士に変える薬の開発だ。真偽は不明だが、もしもそれが本当なら、そのような考えを持つ者の存在は、帝国の未来に影を落とすだろう。


 ミズハの澄んだ瞳には峡谷の中に広がる田園景色が映っている。峡谷といってもこの付近ではまだかなりの広さがある。


 「ここは以前は森だった。ここにはよく盗賊が出没したものだよ。懐かしいな」


 「このあたりは新たに開拓村もできて、最近は治安が良いとのことですよ。関門の外ですから、以前は人族の国との国境が近いせいで開拓も進まなかったそうですが、今は国境はないですからね」


 魔王国領土でありながら関門の外であったことが犯罪者や無法者のたまり場になりやすい土地だった。ここに取り締まりのために軍を配置することは人族の国を刺激することになるため、なかなか繊細な事案だった。そんなことをミズハは思い出した。


 「そうか、開拓村か。それは良い事だね」

 開拓村ができるほど治安が良いということは安定してきたということだ。のどかな田園風景もそれを表している。


 だが、安定に向かう前の多少の乱れとは、まだ未確定な部分が多いということだ。そこには “若さ” も含まれている。

 そう思うと、冒険者として彼とチームを組んで人々に害を成す盗賊団を懲らしめていたあの頃のことが懐かしく脳裏をよぎる。

 みんな無鉄砲だったが楽しかった。

 彼と魔族随一の武人クーラベ、心優しきニロネリア、私たち4人が道を違えてしまったのはいつなのか。


 あの頃は、まさか彼が大戦をさらに拡大させ、その結末がこんな結果になるとは思っていなかった。


 大戦中に前魔王様が死去され、彼が魔王の座に就くことになった。大戦では彼のために軍を率いたが、それが果たして正しかったのか。確かに帝国は大陸を統一した。だが、その結果はどうだ? 魔王国は繁栄したが、その他の地域ではどうなのか、少なくとも南郡にはかつての輝きは無い。それで良いのかと疑問に思う。


 『始まってしまった大戦を引き継ぐ。だが、全てを魔族の色に塗り替えるためではない。むしろこれを機に紛争を続けてきた多くの小国をまとめ上げ、これ以上の無益な戦乱がおきない世界にしたい』、それが魔王に就任する前に彼が語った思いだったはずなのだ。


 しかし……


 歯止めが利かなくなった軍は、抵抗を続ける人々を追撃し、その最大の庇護者となった旧王国と全面衝突に至った。その結果が彼の最愛の姉の死、そして旧王国の滅亡という未曽有の悲劇を生んだ。


 しかし、大戦が終結して5年、滅ぼした国々の戦後処理は進んでおり、姉を失った衝撃で我を見失った彼が冷静な判断力を取り戻すには十分な年月が経っている。


 今こそ、自分が彼の近くに寄り添い、彼に正しい道を諭すことが必要だ。大丈夫、きっと彼は約束を思い出す。ミズハは不安を払いのけるように拳を握って力を入れた。


 「よし、何度でもやるぞ」


 ライバルは多いが魔王様の近くに居るには、やはり自分が彼の妻、つまり正王妃になるのが一番の方法だ。

 権力のある正王妃の位につき、魔王一天衆の動きを牽制しつつ、誰もが明るい未来を思い描ける政道に戻す……。


 彼と交わした約束、そしてその思い描いた理想は今も変わっていないはず……焚き火を囲んで仲間と熱く語っていた彼を思い出し、ミズハは常に腰から下げている腕輪に似た壊れた魔法具の感触を確かめた。


 「今回、魔王二天の貴女が魔王様に直に面会を求めたのは、それだけ重要な報告だからというだけではなかったのですか? またいつものように結婚を申し込むおつもりですか?」


 「も、もちろん大事な報告だからだよ。求愛の件は、そう、ついでだよ。定時報告みたいなものだ。こういうことは魔王ともなれば、簡単にハイそうですかとはいかないものだろう。少しずつね。まあ、いずれ私を正王妃として認めさせて見せるよ」


 この方が魔王様に結婚を申し込むのは一体何度目だろうか、バルガゼットはその横顔を見つめた。かつては確かに互いの将来を誓い合った恋人同士だったとは聞いているのだが……。

 輝く銀髪が目にかかっているが、その瞳はやはりどこか遠くを見ている気がする。


 「ミズハ様が戦後処理に影で動かなければ、今の帝国の安定は無かったのですから、魔王様もそろそろその功績をお認めになるのではありませんかね? もうちょっと我々に感謝してくれても良いと思うんですが」

 バルガゼットは話を変えた。


 「感謝は別に良いが、もう少し内政面に興味を持っていただきたいとは思っているよ。どうも魔王様は武力重視というのかな。戦いで勝ったとか、城を落したとか、そういう華々しい手柄を立てた者ばかり優遇してきたきらいがある」

 

 「確かに、その……」

 バルガゼットが話を続けようとした時、馬車の警笛が2度、短い間隔で鳴らされた。


 「おっと、もうそろそろ帝都ダ・アウロゼに入るための第一ゲートですね。今、旗を掲げさせます」

 そう言ってバルガゼットが片手を上げ御者に合図をした。


 御者が馬車に魔王二天の正旗を掲げる。この旗を掲げた馬車を遮ることはできない。あらゆる関所も検問なしで素通りできる。


 ゲートの前にはたくさんの人々が都に入るための手続きの順番待ちをしているが、旗を掲げた馬車は速度を落とし、その横を追い抜いていく。


 一瞬、自分に似た銀髪の魔女が仲間に背負われて並んでいるのが目にとまった。その周囲に若い冒険者風の仲間が輪になって楽しそうに話をしている。思わず振り返るが、すぐに見えなくなった。


 あんな風に列に並んで、我もの顔で通り過ぎる貴族の馬車を羨ましく思っていたあの頃の方が幸せだったのかもしれない。


 窓から眺める少し憂いを秘めた瞳に、人々の顔が映っては消えていった……。




――――――――――――――――――――

お読み下さり、ありがとうございます。

一口メモです。

タイトルが<>でくくられているものがミズハ中心の物語になります。

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