系譜に惑う 2版

第23話 青年は、系譜に惑う。

◇◆◇◆



 また一つ天異界に輝く星がその瞬きを閉じた。

 黒き大侵攻が始まってから既に数日。対応に追われる聖霊たちを尻目に、黒魔術師達の侵攻が天異界の光を確実に奪い続けていた。

 天異界1層の最前線に砦を構えていた難攻不落の浮島が落とされた衝撃は未だ冷めやらず、様々な混乱が続いている。だが、黒魔術師との戦いは今に始まったことではない。何万年と続いているのだ。その連綿と続く黒魔術師との主戦場は常に天異界第3層『骸の冠』で行われるはずであった。だからこそ、第一層に黒魔術師の主戦力がくるなどとは根耳に水。子どもの絵空事でも書かれることのない出来事に、驚倒してしまうのも無理からぬことだ。


 天異界1層の周辺地区。そこに浮かぶ小島で難しそうなため息をつく20歳前後の青年の姿があった。青年は手元の情報閲覧魔動器を起動させる。


境寧きょうねいの都アダンが陥落。天異界1層の主力都市が陥落したことによって、上位層のエーテル獲得作業が最優先事項となるのは当然だ。戦争をする為には、エーテルを湯水の如くに使うからな。だが、憂慮すべきは系譜上位の方々は数百年に一度のいつもの侵攻と見ている点だ。だが、今回の侵攻はそれ以上の思惑がありそうに思えるが、果たしてどうだろうな?」


 自問しながら情報閲覧魔動器を再び最初から再生させていく。都市アダンが消滅するまでの仔細は既に多くの者達の共有するところとなっている。その情報を元に聖霊の各系譜原典は対黒魔術師戦のためにエーテルをかき集めていたのだった。


「ツチダ守護識殿っ! 焙煎茶でありますっ」


 思考が深く沈んでいく青年の視界に表れたのは見事な上腕二頭筋。その躍動する分厚い筋肉からは想像できないほどの繊細な動きが焙煎茶を青年の指揮卓に調えていく。一瞬、何が起こったのか分からず呆けそうになったが、入れたての茶の香りが青年を現実のひっ迫感のなかに無理矢理に連れ戻してくれた。


「‥‥‥ああ、ミハイロフ。焙煎茶とは気が利く」

「はっ。ツチダ守護識殿は、何やら思案中のご様子。幾らかでも力沿いに成ればと思いまして」

「気遣いに感謝する。だが、俺はそんなにも難しい顔をしていたか?」


 そう言って茶を口にする。部下の手前、眉間にしわを寄せるのもほどほどにしなくてはなと、人差し指で眉間の皺を伸ばす。その指の隙間からミハイロフを見やれば、彼は筋肉舞踏マッスル・ダンスを始めようとしていた。やはり戦いの気配を感じ取って部下も緊張の度合いを高めているのだ。ツチダは苦笑いをしながら手で制し、


「ミハイロフ。自慢の筋肉舞踏マッスル・ダンスは黒魔術師どもに泡を吹かせてからでも遅くはないぞ。それよりも、系譜原典からの連絡はきているか?」

「僭越ながら筋肉たちが守護識殿を応援したいといっていたもので。いえ、申し訳ございません。原典系譜からは馬鹿の一つ覚えの如く『エーテルを上位層に送れ』の指示だけであります。っと! 思わず本音が漏れましたかな。めんご、めんご」


 ミハイロフがサイドチェストポーズを決めているのを横目に、ツチダは続ける。


「下々から吸い上げられるだけ吸い上げる腹づもりか。全くこちらの現状を一切無視するとは、系譜上位者様には困ったものだよ。ただ、これ以上エーテルを収めることは今後の計画に影響する。本音を言えば浮島の住民のためエーテルは一切出したくはない」


 そう言って、ツチダは椅子に背中を預けて深く息を吐いた。黒魔術師の侵攻速度から考えて、少なくともあと5日以内には必ず黒魔術師がこの浮島を攻め滅ぼしにやって来ると予測し得る。しかし、天異界1層の、それも周辺に位置する小さな浮島では黒魔術師に対抗する力がないことは明白であり、防ぎきるなど到底不可能だ。だから、ツチダははなから撤退戦をすると決めていた。そのためにも、住民を避難させるためのエーテルは最低限必要になる。いくら系譜原典の指示とはいえ、住民を見捨て軍人だけが上位次元に避難するなど受け入れられようはずがない。「戦える者だけを掻き集め、戦えぬ者なぞ最初から存在しなかったかのように切り捨てる。そんな事をかす指示書など破棄してしまえ」と、吐き捨てたのが1週間前。明かに軍命に対する抗命であったのだが、現在でも自分が守護識の椅子に座っていられるところを考えれば系譜上位者にはさほど刺さることでもなかったのだろうか? ただ、それでもその無反応さには不気味なざらつきを覚えずにはいられない。だが、たとえ守護識の任を解かれても、ツチダは浮島の住民も軍人も避難させるつもりでいた。


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