英雄のいない夏

乃南羽緒

序章

はじめに

 ──そうだ 嬉しいんだ 生きるよろこび

   たとえ 胸の傷が 痛んでも──


 国民的アニメ『アンパンマン』のテーマソングに、このような歌詞がある。コミカルなイントロから始まる明るい曲調ながら、その詞は聴くほどに胸を打つ。作詞をしたのは同作者のやなせたかし氏である。


「アンパンマンは英雄ヒーローよ」


 と、三歳になる娘はよく言う。

 パン生地フェイスの彼にいまさら説明もなにもないが──あんパンにいのちの星が宿ったことで生まれた『アンパンマン』。彼はいつも優しく、困っている仲間に手、ではなく頭を差し出す正義のヒーロー。

 頭にはあんこがぎっしり詰まっていて、腹をすかせた子を見つけるや、彼は躊躇なく頭をちぎって差し出すのである──という、設定だ。


 ──幼いころ、私はこの英雄ヒーローに憧れていた。


 何故って、そのブレない信条である。

 ことばで諭すのではなく、拳を使うのでもなく、真っ先におのれの頭をちぎって分け与えるなんてヒーロー、後にも先にも聞いたことがない。この『アンパンマン』が持つ正義のヒーロー像は、勧善懲悪を体現する英雄ヒーローとすこし違う。

 彼は、悪を懲らしめることを目的としていない。

 宿命のライバルである『ばいきんまん』に対しても愛がある。彼がもつ"正義"とは、なによりもまず『腹をすかせた者に食べ物を与える』ことなのである。


 さて。

 前置きに長々と名作を引き合いに出させていただいたのにはワケがある。

 これから記す物語。

 私がまだ尻の青い若造であったころ、たったひと夏のあいだに、出逢い、別れた英雄たちがいた。アンパンマンは、彼らによく似ている。

 夏が来るたび思い出す。

 彼らは、当時若かった私に教えてくれた。

 『正義』とはなにか。『生きる』とは、なにか──。

 

 たどたどしくても未熟でも、私は彼らの想いを継ぐため、僭越ながら今日、筆を執る。

 この本を、あの夏に還った英雄たちに捧げたい。


 二〇三十年八月十五日

 倉田和真


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