生まれてきてくれてありがとう、君は私の蝉の死体
ちーりんちーりん。暗渠の夜に反響する、官能的な鈴の音と青蛙の水遊び。
私はゆっくりと懐中電灯を取り出し、前方を黄色い光で照らした。
足元の浅瀬に、波の揺らぎを感じる。せんせんたる波紋の源は、放射状の光が明らかにした数歩先の水辺。そこには一匹の川魚が戯れている。
私の胸にちょうど抱えられる程の大きさの魚が、眼下を間欠的に飛び跳ね、無数の鱗に光を反射させながら体面に幾つもの色合いの筋を纏っている。着水の際、筋の各色の境界線がぼやけ、水面に不気味な虹が現れる。その中の黄色だけが、私には、いやに鮮やかに見えた。
輪郭の定まらない川魚を黙殺し、私は更に前方へと足を進めた。
水面の月影はもう随分と後背にある。自然光が頼りにならなくなって、いよいよ本質的な闇への進歩である。
おぎゃー。おぎゃー。
私にはただその音だけが気掛かりだったのだ。
いつも同じ夢を見る。私の股ぐらに細長い陰茎が生えてくる。亀頭に千年の生命があり、自立した意識を持っている。重力に抗いながら勃起する。欠けた月のように宙を剃り、私の膣を向く。そして、
その度に私は産まれるのだ。私は私を産んでいる。赤子ではなく、私の認知する何もかもを知悉した三十路の生命「私」を産むのだ。そして、元の私は死ぬ。どれだけ抵抗したって、亀は藤色の血管を怒張させながら私に迫ってくる。
生命の永久機関。亀が私を犯し、私を千年の歴史に幽閉する。おぎゃー。おぎゃー。私は泣いて産まれた大人なのさ。
みーんみんみんみん。おやおや、クリトリスが泣いてること。クリトリスが勃起して、蝉の声を上げてるだわね。そうそう、もうそろそろ生えてくるからなんだよねえ、あの千年の猛き爬虫類がさあ。
亀に犯されるとき、私は入れ子の夢を見る。私の全身が泡立ち、鳥肌の一つ一つを破って蜂が飛び出てくる
私は産まれるたびに産声を上げる。私に次の亀頭が生えてくるまでね。要するに私の頭の中は常にその不快な音で満たされまくってますクリスマスってな話なのよ。ナノイオン。
ある日、私は産声には「位置」があると知った。ある場所から遠ざかれば遠ざかるほどその音が消えて、近づけばその逆ということだ。
そして、その場所とは、ここだった。
眼下に転がる私の蝉の死体。死してなお羽ばたき、その羽軋りで産声を奏でていた。
私はそれを踏み潰し、川面におしっこをぶち撒けた。
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