第4話

「ファミレス? どこの?」

「私らが通ってた高校の近くの。たぶん私が高一で未華子と、彼の名前、怜雄くんだっけ? が中三のときの話だわ」

「あー、あのときか。いつのまに怜雄くんとお姉ちゃん喋ってたの。同じ場所にいたのに私全然知らなかった」


 夜、晩ごはんを外で食べて帰ってきた未華子は私が沸かしたお風呂にさっさと入って出てきた。準備したのはこっちなのに一番風呂はお前かい、と言いたいところだが、面倒だから黙っておく。

 私が入れ替わるように入浴してリビングに戻ると、未華子はさっそく今日撮った動画を編集していた。そのままなんとなく今朝の話になったのだけど、未華子はすぐに興味をなくしてパソコン画面に集中し始める。


「……それ、難しい?」

「編集? まーね。最初はすっごい時間かかったよ。でも最近は慣れたかなあ。なんで?」

「いや、別に。仕事して動画も作って、大変だなあって思って」


 自分なら仕事から帰ってきたら即寝るかゲームして寝るかだ。実際、働いているときはそんな生活をしていた。

 しかも未華子は日によっては生配信をしたり、SNSの配信機能を使ったりして、視聴者と会話している。よくやるなと正直思う。私なら上手く喋る自身もないし、そんなの無理だ。


「大変と言われれば大変だけど……やりがいあって楽しいよ。今は収益も結構上がってるし」

「え。収益あんの? すごい」

「でも趣味だけどね。本業じゃないし」


 涼しい顔でそう言う未華子を見ていると、胸のあたりが締めつけられる感覚が私を襲う。


「お姉ちゃんも一緒にやる?」

「は? 変なこと言わないでよ」

「えー、半分本気なのに。ま、いいや。そういえば、怜雄くんがお姉ちゃんと会いたいって言ってたよ。なんか返すものがあるって。連絡先教えていい?」

「なんか貸してたっけ。会うのめんどくさ」

「そんなあ。怜雄くんかわいそうー」

「冗談だって。いいよ、教えても」


 未華子がパソコン画面から目を離さないまま、からからと笑う。つられて私も少しだけ笑う。てか、本当になんか貸してたっけ。



 高任さんから返ってきたのは、ただのティーン向けファッション誌だった。高校生の頃、毎月なんとなく買っていただけの。


「確かに貸した……ていうか。あげた覚えがあるけど、すっかり忘れてたよ」


 家からわりと近い喫茶店で、小さな丸テーブルを挟んで向かい側に座る怜雄くんが、肩をすくめる。こうして間近で見てみると、そうそう、こんな顔だったなと記憶が蘇ってきた。昔に比べると日焼けしていない分色白になって、茶色かった髪も黒になって落ち着いた雰囲気になっている・


「確かにあげるって言われましたけど、俺はそのうち返すつもりでいたんです。理加子さんが買ったものだし、中高生のお小遣いなんて微々たるものだろうから、もらっちゃ悪いなって当時の俺は思ってたわけで」


 手元に戻ってきた懐かしい冊子をまじまじと見つめる。十年ほど前はこの雑誌で人気トップのモデルだった女の子が、お手本のような笑顔で表紙を飾っている。彼女はこの後、もう少し大人向けのファッション誌の専属モデルになって、一時期テレビにも出ていたけれど、いつの間にか見なくなった。私よりも二つほど年上の彼女は今、どこで何をしているのだろう。この雑誌でモデルをやっていた十代の頃よりも、幸せにやっているのかな。



 私は、今と高校生の頃とどっちが幸せかと問われても、正直よくわからない。いつだって嫌な事はあるし、たまにいいことだってある。

 この雑誌を買っていたのは、当時、未華子が読者モデルをやっていたからだ。

 あの頃の私は、どんどん垢ぬけていく未華子に対してなんとなくいらいらしている一方で、なんとなく自慢の妹だとも思っていた。

 この号にも未華子が載っていて、確か私は夏休み中に学校であった希望者だけの補習に参加した帰りだったはず。駅前の書店で雑誌を購入して、そのまま近くのファミレスに一人で入ったのだ。高校生の頃、私はときどきファミレスで勉強するのが習慣だった。

 少しページを捲って未華子の姿を確認して、自分が同じ服装とメイクをすれば、全くそっくりになるだろうか、いや無理だろうな、なんてことを考えて。それから他のページもぱらぱらと見て。飽きたからテーブルにそのまま放置して、英語の予習を始める。

 次の授業でやる予定のプリントに書かれた英文をノートに訳していく。周囲のざわざわとした騒音が、心地よく耳を通り抜けていく。


「あれ? お姉ちゃん?」


 いい感じに集中しているところに邪魔が入って、むっとしながら顔をあげると、中学校の制服姿の未華子がテーブルの横に立っていた。

 数メートル先のドリンクバーに、未華子の友人らしき同じ制服の男女が数人固まっているのが見えた。


「何やってるのー?」

「勉強。そっちこそ何やってんの」

「高校のオープンキャンパスの帰り。てか、知らなかった? お姉ちゃんの学校だよ?」

「は? うちの? 全然気づかなかった」


 先生、そんなこと言ってたっけ。普通に補習を受けていただけで、そんな気配は全然感じなかった。

 未華子はそういえば、私と同じ高校を志望していたはず。県内一の進学校。多分彼女は、私よりも頭が良い。余裕で高校に合格して、入学後の勉強もついていけるだろう。私とは違って。


「一緒にいる友だち待たせてるから、もう行くね? 勉強頑張れ」

「あ、うん」


 小さく手を振り、ポニーテールを揺らして未華子はドリンクバーのほうへ引き返していった。

 こんなところで遭遇して少しだけ、げっ……て思った。

 家族に一人で勉強してるところを発見されるのは、なんか気まずい。特に未華子には。あの子ならこんなに頑張らなくても適当にやれば、私が今苦しんでいる英文法もさっさと理解してしまうのだろう。

 出来損ないの姉ですまんな。なんて心の中でつぶやきながら、私は再び参考書に目を落とした。

 誰かがまた私の目の前に座ったのは、そろそろ英語は中断して数学をやろうかな、なんて考えていたときだった。


「どしたの、みか……」


 未華子だと思って顔をあげると、小柄な男の子がいた。中学校の制服を着ているから、未華子の友人の一人には間違いないと思う。

 えらく日焼けした顔と、整え過ぎた眉、男子にしては少し長めの髪が印象的だ。不良やヤンキーではなさそうだけど、ちょっとチャラそうというか、お調子者という雰囲気。同級生にいたら私とはそんなに仲良くなっていなかったと思う。でも、優しそうな目をしているから、根っこはいい人なんだと思う。気に入らない奴のことをいじめたりとかは絶対にしなさそう。

 彼は私と目が合うと、緊張感なく口を開いた。


「未華子ちゃんのお姉さんって聞いたんですけど」

「ああ、はい。姉です。未華子の友だち? 今日、オープンキャンパスだったって?」

「はい」


 彼はこくん、と頷いて、私の手元にある参考書を凝視した。


「高校、どうですか。楽しいですか」

「え……うん、まあ。そこそこ」


 やばい、中途半端な返事の仕方をしてしまった。めっちゃ楽しいよ! と笑顔で言えるほど、本当は楽しいわけではないのだ。本音を言うと勉強で疲弊している。

 彼は私の曖昧な答えに目ざとく気づいたのか、ちょっとだけ目を細めた。


「そんなにって感じですか」

「や、楽しいときもあるよ? ただ、勉強だるいときもあるっていうか、ね」


 ごまかすように笑うと、同じ種類の笑みを返される。彼は妙に明るい口調で言った。


「迷ってるんです、志望校」

「……そうなの?」


 オープンキャンパスに来ているくらいだから、うちの高校を志望しているのかなと思っていたけれど、まだ中三の夏だし。迷っている受験生なんてたくさんいるだろう。私も第一志望を決定したのはもう少し後の時期、秋だった。


「未華子ちゃんやみんなと一緒に高校行くのもいいなって思うけど、俺、サッカーもやりたいんです。県外の私立ですげー強豪校があって、志望するならスポーツ推薦があるって先生に言われて。どっちに行けばいいんだろうって」


 言われてみれば、日焼けした彼の姿は、ばりばりスポーツやってますって感じの風貌だ。中学でサッカーを頑張っていたんだろう。私は、あんなに中学時代に楽しかった文芸部の活動を、高校でも続けてはいるけれど半分幽霊部員かっていうくらい活動率は低い。彼にためになるアドバイスはできない気がする。


「関係ないのに相談して、なんかすみません」

「ううん。サッカー頑張るのも、いいかもね。部活頑張るのってかっこいいなって思う。うちのサッカー部は弱小だけど」


 薄っぺらいありがちな答えを述べながら、なんとなく脇に置いていたティーン誌に目をやる。未華子は高校生になったら、何をするのだろう。読者モデルは続けるのだろうか。


「それは……?」

「ああ、これ。未華子が載ってるの。読者モデルやってるんだよ、あの子」


 ほら、と未華子が載っているページを開けて彼に手渡す。


「あ、ほんとだ。何か雑誌に載ってるって聞いたことああったけど、初めて見ました」


 彼がページをじっと見つめる。そんなに真面目な目で雑誌を読む人を見たことがなくて、少し笑いそうになってしまう。

 そのうち彼は、未華子が載っている以外の他のページを食い入るように読み始めた。そんなに面白いこと、書いてあるかな。女子向けの雑誌が単に珍しいのか。


「おーい、何やってんのー? パフェ来たぞー」


 未華子たちがいる席のほうから、誰かが呼びかける声がした。慌てたように彼が雑誌から顔をあげる。


「あ、すぐ戻る! あの、ありがとうございました。これ、面白かったです」

「うん……あげるよ、それ」


 唐突に気まぐれな気分が湧き上がり、私はそう答えていた。


「なんか楽しそうに読んでたし、あげる。私はもう捨てるだけだから」


 迷うように彼の目線が私とティーン誌のあいだをさまよう。


「じゃ、じゃあ……もらうのは悪いんで、貸してもらいます。今度未華子ちゃんに経由してもらって、返します」


 彼はそう言って、大事そうに雑誌を抱えて未華子たちのところへ戻っていった。

 返すと言って返してくれないやつは結構いる。

 特に今の彼は、今後会うこともないだろうし、そのうち借りているということも忘れてしまうんじゃないだろうか。というか、私自身も貸していることなど忘れてしまう気がする。

 特に、そんなに真面目そうじゃない子だったし。物の管理とか適当そう、と思うのは偏見だろうか。

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