第22話 反撃計画

 翌日の昼下がり、僕は急いでおじさんの家へ向かっていた。僕に話したいことがあるのだそうだ。電話の時、深刻な雰囲気だったので、とても重大なことなのだろう。


 脇に抱えていたビデオカメラを、もう一つの手で支える。長宮さんの予言日まで、あと二日だ。そのため僕は、念のために持っていくことを決めたのだ。


 曲がり角の所まで来た。車が来ていないことを確認して、右に曲がる。ここを曲がれば、おじさんの家までもう少しだ。


 少し歩いたところで、僕はふと後ろを振り返った。あの二つの事件以来、僕はかなり警戒心が強くなっていた。信夫の証拠が詰まったビデオカメラを持っているため、余計にそうなってしまうのだろう。


 後ろに人は誰もいない。閑静な住宅街が続いているのみだった。それを確認して安堵した僕は、再び歩き始めた。


 するとその時、ポケットから大きな音が鳴った。どうやら自分のスマートフォンに通知が来たようだ。


 この音は、ニュースの新着を知らせるものだ。何故かとても嫌な予感がする。僕は恐る恐るポケットからスマートフォンを取り出し、画面を開いた。


 通知の内容を見た僕は、その場で固まってしまった。頭から血の気が引いていく。見るのが耐えられなくなり、震える手でスマートフォンをポケットにしまった。


 ニュースの内容は、日光屋の経営破綻を知らせるものだった。大体こうなることは予想がついていた。建物が全焼して、巨額の損失を出したからだ。


 だがこのように突きつけられると、辛さのあまり現実を受け入れられない。一体この先どうなってしまうのだろうか? 安心したいがために色々考えるが、もちろん確実な答えは出てこない。


——それらを機に全てが変わっていくのよ。良い方向に


 その時、不意に長宮さんと電話した時のことを思い出した。重たかった気持ちが、少しだけ楽になる。きっと辛いのは今だけだ。徐々に自分の中で捉え方が変わっていった。


 とにかく今は、物事を前進させるために向かうんだ。そう確信した僕は、再びおじさんの家へ向かうための一歩を踏み出した。


        *


「小林君。いらっしゃい」


「こんにちは、おじさん。お久しぶりです」


「久しぶり」


 家のチャイムを鳴らすと、すぐにおじさんが出てきた。どうやら僕が来るのを、首を長くして待っていたようだ。


「さあ上がって」


「はい。お邪魔します」


 玄関で靴を脱ぐ。そしておじさんの後に続くように、中へ入っていった。


 おじさんの家に来るのは久しぶりだ。将太が生きていた時以来だ。家の中は、当時と全く変わっていない。


「さあ。入って」


「はい。失礼します」


 おじさんが和室の扉を開けた。畳の匂いが、僕の鼻を優しく癒してくる。この匂いも、将太と遊んでいた頃と同じだ。


 中に入り、僕とおじさんは、掘りごたつのテーブルに向かい合うようにして座った。持ってきたビデオカメラを、自分の右隣にそっと置く。


「あ、ちょっとお茶とお菓子持ってくるね」


「ありがとうございます」


 おじさんが軽く微笑んで部屋を出ていった。僕に気を遣わなくてもいいのに、何だか気の毒だ。


 おじさんが扉を閉め、一人だけになった部屋に静寂が流れる。聞こえてくるのは、時計の秒針の音のみだ。


 それにしても懐かしい。本当にあの頃と何も変わっていない。将太が今も生きていると錯覚してしまいそうだ。


 将太が扉を開けて、部屋に入ってくるのではないか? そんな事は起きないと分かっているが、何故か期待してしまう自分がいる。


「小林君。どしたん?」


 その時、おじさんが部屋に戻ってきた。おじさんに呼ばれて、僕は初めて自分が泣いていることに気づいた。


「——将太が生きていた頃の名残があるので、つい……」


 僕の言葉に、おじさんが少しだけ下を向く。そして悲しそうな表情を浮かべた。


「俺もな、将太が死んでから一か月くらいは毎日泣きよった。家の所々に、生きとった頃の名残があるけんな。でもな、ある日を境に俺は泣くことがなくなったんや。何でやろうな? 今も相当悲しいのに」


「……おじさん」


 友達だった僕も、身が引き裂かれるほど悲しかった。それを思うとおじさんは、僕の悲しさなど遥かに超えるほど辛かっただろう。


 おじさんがゆっくりと部屋に入ってくる。そして机の上に、お茶とお菓子をそっと置いた。


「ありがとうございます」


「大したものじゃなくてごめんな」


「いえ。そんな……」

 

 お茶とお菓子を出してくれた後、おじさんはおぼんの下からノートパソコンを取り出した。どうやら一緒に持ってきたようだ。


「今日はそんな将太のことで、小林君に来てもらったんよ」


「え?」


 僕は思わず聞き返してしまった。おじさんの顔が一気に真剣になる。


「将太と池野さんを巻き込んだ、轢き逃げの車が特定された」


「え? 本当ですか!?」


「あー。ちょっと待ってくれ」


 遂に車が特定された。おじさんの言葉に、僕は緊張感が増してきた。あの日将太と陽菜ちゃんは、どのような状況で巻き込まれたのだろうか?


「これや小林君」


 おじさんがノートパソコンをこちらに向ける。僕は目を凝らして画面を見た。


 どうやら防犯カメラの映像のようだ。画面は若干荒いが、事故現場の河川敷道路であることが分かる。


「二十秒くらいから、将太と池野さんが映り始める」


「そんな……」


 動画の再生時間が刻まれていく。二十秒になったその時、画面の下側から将太と陽菜ちゃんらしき人物が現れた。二人とも自転車に乗っている。


「将太。陽菜ちゃん……」


 二人は、大通りの押しボタン信号へと向かっている。すると突如、道路の横から白い車が現れた。きっとこれが影山京子だ。獲物を狙う蛇のように、ゆっくりと二人へ近づいていく。


「あ、だめ。だめや!」


 ここから先の映像は見れなかった。そのため僕は、画面から目を逸らした。ショックで、自分の全身が小刻みに震えている。


「大丈夫か? ごめん。かなりショックな動画よな」


「大丈夫です。事故の時の様子が、よく分かりました」


 おじさんがパソコンを自分の方へ戻す。そして再び、僕の方に視線を向けてきた。


「これは、事故現場から少し離れたところにある防犯カメラの映像なんよ。月極駐車場に設置されとるものでね。たまたまピンポイントに映っとった。それに加えて偶然、ここのオーナーが俺の知り合いやって。運よく入手することができたんよ」


「そうだったんですね。じゃあもうこの動画は、警察に提出したのですか?」


「もちろん。提出した時に、影山京子が疑わしいことも伝えた」


「なるほど」


 影山京子も時間の問題だ。この調子だと、長宮さんが予言した六日には逮捕されるだろう。


 この勢いで、日光屋の犯人も明らかになるのではないだろうか? その時僕は、そう思った。


 朝おじさんと電話した時にも、日光屋の話はした。だが僕は、ここでも話してみようと思った。


「実は、日光屋を放火した犯人も、影山京子ではないかと疑ってるんです」


「影山京子の可能性が高いんか?」


「そうなんです。まだ確定ではないですが……」


 僕が言うと、おじさんの表情が厳しく、険しいものになった。


「そうか。それが本当やったら、断じて許せんな」


「はい。絶対に許せないです」


 おじさんの声が怒りで震えている。その様子を見た僕も、許せない気持ちが再燃した。


「影山京子。あそこまで悪魔のような人間に出会ったのは初めてや」


「僕もです。あんな人間は初めてです。本当親子揃ってどうしようもないです」


 おじさんの言う通り、影山京子は悪魔のような人間だ。それにしても、長い経験を積んできたおじさんまで初めて遭遇するとは。僕たちと影山親子は、一体何の意味があって出会ったのだろうか?


 考えていると、おじさんが僕をじっと見てきた。まだ何か言いたそうな顔をしている。


「実はな、そんな影山京子に、俺は反撃をしようと考えとるんよ。躊躇しとったけど、先ほどの話を聞いてやはり実行したいと思った」


「反撃ですか?」


「そうや。もちろんやが、犯罪にならん仕返しや。こちらまで罪に問われたら、本末転倒やけんな」


 おじさんが、影山京子に反撃を計画していたとは、想像もつかなかった。一体どんなことを考えているのだろうか?


「具体的にどんなことを?」


「六日に、学校創立六十周年の記念式典があるやろう? その時に、先ほどの防犯カメラの映像を流そうと思っとる。学校内で起きた事実として、やはり俺はみんなに知ってもらいたい。それまでに影山京子が逮捕されるかどうかは分からんけど、奴がいたら尚のこと良いやろうな」


「僕も良いと思います。ですが、学校が許可を出してくれるでしょうか?」


「明日俺が学校に問い合わせてみる。今日は休みやけんな。それで許可を取るつもりや。記念式典っていう正式な場やけん難しいかもしれんけど、何とかお願いしようと思う」


「なるほど」


 おじさんはかなりやる気の様子だ。僕も賛成ではあるが、果たして学校側が許可を出すだろうか? そこが唯一の気がかりだった。


        *


 少しの間だけ沈黙が続いた。ふと右下を見る。持ってきたビデオカメラが視界に入ってきた。おじさんに見せる目的だったのに、僕はすっかり忘れていた。


「あの、おじさん。実は僕も、おじさんに見せたいものがあるんです」


「何? 何だ」


「これです」


 僕はビデオカメラをテーブルの真ん中に置いた。おじさんが目を見開き、驚いたような表情を浮かべる。


「これは……。前に言ってた例のビデオカメラか?」


「はい。そうです。学園祭の時、影山信夫がスープに毒物を入れていたでしょ? その行為の一部始終が映っています」


「本当か?」


「はい」


 ビデオカメラの電源を入れる。来る前に充電してきたので、スムーズに起動された。


「これを見てください」


「どれだ?」


 証拠の画面が表示されたのを確認し、おじさんに見せる。そしてそのまま、再生ボタンを押した。

 

「何なの。これ」


 ビデオカメラから、当時の陽菜ちゃんの声が聞こえてきた。画面には、手袋をして毒物を持った信夫の姿が映っている。その様子を、おじさんは呆然と見つめた。


「何かをスープの中に入れよる」


「将太……」


 陽菜ちゃんに続き、将太の声も聞こえてきた。おじさんが泣きそうな顔で、将太の名前を呼ぶ。その様子を見た僕も、涙が出そうになった。


 再び映像の方に目を向けた。画面の中の将太が、信夫に近づこうとしている。


「待って。証拠を残しとくためにも、一部始終をカメラに写してからにしましょう」


 陽菜ちゃんの声と共に、画面がアップされた。信夫が、灰色の毒物を躊躇することなく入れている。その様子は、誰が見ても分かるほど映っていた。


「これが影山信夫か?」


「はい。そうです。見ての通り、毒物を大量に入れてます……」


「あの親子!」


 おじさんの目から涙が溢れる。僕も我慢できなくなり、一粒の涙が頬を伝った。


「あいつとんでもない奴やな」


「将太……」


 再び将太の声が聞こえてきた。その声を聞いたおじさんが、机に突っ伏して泣き始める。僕も気を抜けば、声を上げて泣いてしまいそうだ。


 全てのスープに毒物を入れ終えた信夫が、画面から消える。そしてそれと同時に、再生が終了した。


「おじさん……」


 部屋が一気に静まり返る。目の前のおじさんに、何て言葉をかければ良いだろうか? 必死で考えるが、何も思いつかない。


 呆然としていると、おじさんがゆっくり顔を上げた。そして小さな声で僕に言った。


「小林君。このビデオも、記念式典の時に流そう」


「もちろんです。警察に提出して、皆の前で流しましょう」


 僕はおじさんに強く頷いた。おじさんが涙を拭き、姿勢を正す。


「この動画は、俺が警察に提出する。式典の時は、コピーを流すようにしよう」


「分かりました。そうしましょう」


「このビデオを撮りよったのは、池野さん?」


「はい。そうです」


 僕が答えると、おじさんは目を見開いた。


「当日、この動画を撮影しよった時の様子を、池野さんに説明してもらうことはできんかな?」


「僕、池野さんの連絡先知ってるんで、聞いてみましょうか?」


「ありがとう。事情は俺が説明するけん、かけてもらってもいいかな?」


「分かりました」


 僕はポケットからスマートフォンを取り出した。電話帳から、陽菜ちゃんの番号を出す。確認をしてから発信ボタンを押した。


 呼び出し音が規則的に鳴り続ける。果たして陽菜ちゃんは出るだろうか? 


「もしもし」


「もしもし。ひ、いや池野さん?」


「広樹君。どうしたん?」


 僕は陽菜ちゃんを苗字で呼んだ。おじさんを前にして、下の名前で呼ぶのは何故か恥ずかしい。


「あ、いや何でもないよ。それよりね、将太のお父さんが池野さんとお話ししたいみたいで。今から代わるね」


「藤崎君のお父さん? 分かったわ」


 陽菜ちゃんの反応を聞き、僕は自分のスマートフォンをおじさんに渡した。


「あ、もしもし。池野さんですか? 初めまして。将太の父親の藤崎正ふじさきただしです」


「初めまして。私、藤崎君の同級生の池野陽菜です。よろしくお願いします」


「こちらこそ。よろしくね」


 オンフックにしていないにもかかわらず、陽菜ちゃんの穏やかな声が聞こえてくる。先程までの重たかった雰囲気が、少しだけ明るくなった。


「ところで、今日はどうされたのですか?」


 陽菜ちゃんがおじさんに聞いた。おじさんが咳ばらいをして、受話器を耳に当て直す。


「実はな、今俺の家に小林君が来とるんよ。池野さんと将太を轢き逃げした車が、遂に特定されてな」


「私も車が特定されたことは聞きました。それにしても影山京子は、まだ捕まっていないのですか?」


「ああ。まだなんよ。でも俺が、ちゃんと警察に奴が疑わしいことは伝えてある」


「そうなんですね。ありがたいです」


 陽菜ちゃんの、若干安堵したような声が聞こえてくる。おじさんが再び咳払いをし、続けて言った。


「それに加えて、さっき小林君から学園祭の時の動画を見せてもらったんよ。影山信夫が、スープに毒物を入れよる動画や。あの動画は池野さんが撮影したんよね?」


「はい。そうです。あれは私が撮影しました」


 陽菜ちゃんが、躊躇することなくおじさんに言った。


「やはりそうか。実はな、新川高校の記念式典があるんや。その時に、この事故の動画とスープの動画を、全生徒の前で流そうと思っとるんよ。やはりこれらの事件は、学校で起きたものとして皆に知ってもらいたいけんな」


「両方の動画を、全生徒の前で流すんですね?」


「そうや。やけんプロジェクターを使って流そうと思う。そこでやな、スープの動画を流す時に、池野さんに撮影しよった時の状況を説明してもらいたいんよ」


「なるほど。スープの動画を流している時に、私が全生徒の前で当時の状況を説明するんですね?」


「そうや。池野さんも遠い所におるし、そちらの学校の事情もあるやろう。やけんできたらお願いしたい。どうかな?」


 おじさんが問いかけると、少しだけ間が空いた。どうやら引き受けるかどうか迷っているようだ。


「分かりました。お役に立てるかどうか分かりませんが、精一杯やらせていただきます」


 陽菜ちゃんの一生懸命で、元気な声が聞こえてきた。おじさんの顔が明るくなる。僕も前進できたことが嬉しくて、自然と笑みがこぼれた。


「ありがとう池野さん。また詳しいことが決まったら、電話させてもらうね。池野さんの番号、登録しといてもいいかな?」


「もちろん。いいですよ」


「分かった。本当にありがとう。じゃあ当日よろしくね」


「こちらこそよろしくお願いします」


「じゃあまたね。失礼します」


「はい。ありがとうございました。失礼します」


 電話が切れた。おじさんが微笑みながら、僕にスマートフォンを渡す。


「これで大体の準備が整った。あとは俺が、学校に問い合わせて許可を貰うだけや」


「そうですね! 前進できて良かったです!」


「そうやな。本当にありがたい」


 おじさんが晴れやかな表情を浮かべた。今まで上手くいかないことが多かったのに、トントン拍子で事が進んでいる。そのおかげか僕も、解放されたような、落ち着いたような気分になった。


 出してもらったお茶に口をつける。すっかり冷めていたため、喉が渇いていた僕は一気に飲み干した。


「ごちそうさまです。じゃあそろそろ僕も失礼します」


「小林君。今日はありがとう。帰る前に少しだけ、将太に会ってやってくれんか?」


「分かりました。僕も久々に将太の顔が見たいです」


 掘りごたつから足を出し、ゆっくりと立ち上がる。するとその時、テーブルの上のビデオカメラが目に入った。


「あ、おじさんビデオカメラお願いします」


「任せとけ。俺が責任を持って提出してくる」


「ありがとうございます」


 かつての将太のように、おじさんも頼もしい。ビデオカメラは、おじさんにお任かせして大丈夫そうだ。


「じゃあ将太がいる所に行こう」


「はい」


 僕たちは部屋を出た。おじさんが、廊下を出てすぐ隣の扉を開ける。中に入ると、右横に仏壇が見えた。将太の遺影写真が真ん中に置かれている。


「ほら将太。小林君が来たぞ」


 おじさんが将太に話しかけた。写真の中の将太は、元気の良い笑顔を浮かべていた。「よく来たな」と言っているみたいだ。


 先程みたいに、涙が溢れてきそうだ。僕は泣きたい気持ちを必死で我慢し、目を瞑った。そしてゆっくりと手を合わせる。


 ふと目を開けると、写真の左横に視線がいった。黄色い星のブローチが置かれている。


「綺麗なブローチですね」


「あ、あーこれな」


「将太の物ですか?」


「あ、いや……。まあそうやな。将太のものや」


 おじさんが挙動不審になりながら返事をする。どうやらあまり触れてほしくないようだ。僕はこれ以上聞かないでおこうと思った。


 もしかしたらおじさんの奥さん、つまり将太のお母さんのものかもしれない。将太が生きていた頃、「母さんは家から出ていった」と聞いたことがあった。きっと他の人には言えない深い事情があるのだろう。


 ふと部屋の時計を見る。時刻は三時半過ぎ。もうそろそろ帰らないといけない。僕はゆっくりとおじさんの方に体を向けた。


「おじさん。今日は将太に会えて嬉しかったです。また時々来ようと思います」


「あー。ありがとう。また時々顔を見せてやってくれ」


「はい」


「じゃあ玄関までお見送りするよ」


「ありがとうございます」


 僕とおじさんは、部屋を出て玄関に向かった。玄関で靴を履くと、おじさんが扉を開けてくれた。


「今日はありがとう。じゃあまた明後日に会おう」


「はい。ありがとうござました。失礼します」


 おじさんが手を振り、玄関の扉を閉めた。外の生暖かい風が、僕の頬を撫でる。


 今日はおじさんの家に来て良かった。思っていたよりも前進できたからだ。


 これであとは明後日を迎えるのみ。僕は大きな期待を胸に、家に向かって歩き始めた。


        *


「え? 藤崎の父さんガチでやるんか?」


「そう。学校から許可が出たら、明日決行するんよ」


 翌朝、僕は真柴君に昨日の出来事を話した。まだクラスに生徒は誰も来ていない。


「スープの動画に事故の動画か。まあ藤崎の父さんも、それくらいはやらんと気が済まんよな」


「そうやね。僕もそう思う」


 言い終えると、大きなあくびが出た。明日のことで胸が高鳴り、昨日はあまり眠れなかったのだ。


「お前眠そうやな。顔洗ってきたどうや?」


「うん。ちょっと行ってくる。明日のことが気になって、昨日はあんまり寝れんかったんよ」


「そうか。緊張しとんやろうな。まあとにかく行ってこい」


「うん」


 椅子から立ち上がる。そして僕は、目を擦りながら扉の方へ向かった。


 廊下を出て少し歩くと、前から信夫が歩いてきた。人相の悪い顔で薄笑いしている。何故こいつら親子はいつも不気味なのだろうか?


「何をニヤニヤしよんや?」


 僕が問いかけると、信夫は小さな声で笑い始めた。


「お前かわいそうにな。家政婦も刺されて、デパートも失った。もう終わりなんやないか? 何なら僕の家に来てもいいぞ。その代わり、母さんがお前らをいじめ抜くやろうな」


「は? ふざけるな。お前、よくも僕の家族を馬鹿にしたな。小林家は、お前らみたいな低能でクズじゃない!」


「ハハッ。お前本当に面白いな。もう何を言っても、負け犬の遠吠えにしか聞こえねえよ」


 言葉を吐き捨てる信夫。僕は我慢できなくなり、信夫の頬を力の限り引っ叩いた。


 家族を侮辱された。許せない。本当に許せない。余りにもの怒りで、僕は肩で息をした。


「この鬼畜野郎め。時さんを刺したのも、日光屋に火を放ったのもお前らやろうが! 例えお前らじゃなくても、お前らのせいで起きたんだよ!」


 僕は大声で怒鳴った後、信夫の胸ぐらを掴んだ。するとその時、突然脳内で映像がフラッシュバックした。


 オレンジ色の炎の中に、サングラスをかけた二人が立っている。やっと僕は思い出したようだ。日光屋に火を放ったのは、信夫と影山京子であったと。


「ギャーッ!」


 その後、突如激しい不安に襲われた。この前みたいに、頭の中が爆発しそうだ。


 握力が低下していく。そのせいで、僕は信夫の胸ぐらから手を離してしまった。


 今回のパニックは前より強烈だ。耐えられなくなり、僕はうずくまるようにして倒れた。激しい心拍音が、うるさいくらい自分の耳に響く。


「大丈夫か小林!?」


 騒ぎを聞きつけた真柴君が、教室から出てきたようだ。真柴君が僕の背中をさすってくる。すると徐々に、パニックは引いていった。


「信夫。お前何をやったんや!?」


「は!? 僕は知らんぞ」


 ゆっくり顔を上げると、信夫が慌てて教室に入っていくのが見えた。面倒事になりたくないため、逃げたのだろう。


「小林、保健室へ行こう。俺がついていってやる」


「ありがとう真柴君」


 真柴君に支えてもらいながら立ち上がった。先程のパニックのせいで、かなり体力が消耗してしまった。


 それにしても放火の犯人は、やはり影山親子だった。もう少し早く思い出していたら、今頃あの二人は逮捕されていただろうか? 僕は歯痒い気持ちを覚えながら、真柴君と保健室へ向かった。


        *


「広樹。大丈夫?」


 保健室のベッドでしばらく休んでいると、母さんが来てくれた。


「大丈夫。それよりやっと、日光屋の犯人を思い出すことができた」


「本当!?」


 母さんが後ろを向く。誰もいないことを確認して、こちらに振り返った。


「影山親子でしょ?」


 母さんが声を潜めながら僕に言う。もしかして、遂に犯人が特定されたのだろうか?


「そう。あの二人やった。サングラスをして、マスクもつけとった。もしかして遂に特定されたん?」


 母さんが無言でうなずく。驚いた僕は、思わず息を飲んだ。


「特定された。日光屋の犯人は、影山親子であることが分かった。それに加えて、時さんを襲った犯人も、指名手配中の佐川であることが分かったんよ」


「時さんのことも分かったん?」


「そう。分かったのよ。他の事件との関連性も調べて、明日の朝には三人を逮捕するみたい。もうあの親子は終わりよ」


 驚きの余り、僕は母さんの顔を茫然と見つめた。遂にあの親子の悪事が明るみになろうとしている。


「やっと終わるんか……」


 明日が待ち遠しくなってきた僕は、独り言を呟いた。これでいよいよ事態は本格化してきたようだ。


 僕はあの親子が終わる姿を、しっかりとこの目で見届けてやろうと思った。今までされてきたことに対する恨みを、精一杯込めて。

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