三章

第9話 お食事処『パレット』

 いったい寝て起きてを何回繰り返せばいいのだろうか。

 目を覚ました僕は、知らない建物の中にいた。窓の外が真っ暗になっている。痛む腹部を抑えながら、ゆっくりと身体を起こした。横になっていたベッドを離れて窓際まで進み、外の様子を窺う。どうやら建物の二階にいるみたいだ。視線の先に、唯一灯りに照らされている時計塔が映る。


「城下街だ……でも、どうしてこんな場所に……」

「あ、起きたんだね」


 後方から女の子の声が聞こえ、僕は咄嗟に振り向いた。そこにいたのは、エプロン姿の女の子だった。


「あの、ここは……」

「ここは城下街にあるお食事処、パレット」

「パレット……」


 笑みを見せた女の子は僕に近づく。茶色の長髪が歩くたびになびいている。


「あのさ、僕ってどれくらい寝てたの?」

「うーん。三時間くらいかな」

「そっか」


 何日も寝たきりかと思っていたから、正直ほっとした。そんな僕の目の前に手が差し伸べられる。


「私、コレット。このパレットでお母さんのお手伝いをしてるの」

「ぼ、僕は光」

「ヒカル……良い名前だね」

「あ、ありがとう」


 握手を交わした僕は、コレットに聞く。


「あのさ、どうして僕はここにいるの?」

「どうしてって、タリスさんが連れてきたのよ」


 コレットの発言は僕には信じられないことだった。口をポカンと開けていると、コレットが急に笑い出した。


「何で笑ってるのさ?」

「ごめんなさい。だってお腹を空かして倒れたって、タリスさんが言ってたから」

「そ、それは違うよ。僕はアリアス城にいて、それで――」


 実際に起こったことを伝えようと思ったその時。部屋中にお腹の音が鳴り響いた。そういえばアリアスに来てから、まともに食べ物を食べていなかったっけ。


「やっぱりお腹空いてるんじゃん。ほら、私についてきて。ヒカルの分の食べ物も用意してあるから」

「で、でも。僕、お金なくて……」

「そんな心配いらないわ。タリスさんがあなたの宿泊代を払っていったから」

「た、タリスが!」

「とりあえず一日だけ泊めてやってくれって。別に宿屋じゃないから、払わなくてもいいですよって言ったんだけど」


 その時、下の階からコレットを呼ぶ女性の声が聞こえた。


「あ、お母さんが呼んでる。先に行くから、早く下りてきてね」

「うん。ありがとう」


 コレットはそのまま階段を駆け下りていった。

 一人になった僕はとりあえずベッドに腰をおろした。コレットが言っていたことが気になって仕方がない。何度考えてみても、タリスがしてくれた行動が僕には理解できなかった。

 そもそもタリスは僕をスパイだと疑っていたはず。それなのに気を失っていた僕を王様に差し出すことをしなかった。それに加え、パレットの宿泊代まで払ってくれているなんて。

 おかしい。絶対に何かあるはずだ。

 腰をあげた僕は、疑念が晴れないまま部屋を出て、階段をおりていく。


「ありがとうございました」


 コレットの明るく元気な声が聞こえてきた。丁度、最後のお客様を見送ったところらしい。


「あ、ヒカル。こっちこっち」


 コレットに手を引かれ、僕は店のカウンター席に案内された。


「あなたがヒカル?」

「はい」


 目の前には笑顔が素敵なふくよかな女性がいた。


「私はバレッタ。このパレットの店長であり、コレットの母親。よろしくね」

「よろしくお願いします」


 握手を交わして席に着くと、バレッタは僕の前にスープとパンに加え、ふかし芋が盛られた皿を並べてくれた。


「こんなものしか用意できなくて、本当にごめんね」

「いいえ。むしろお礼を言うのはこちらの方なので」


 手を合わせ、僕はパンにかじりつく。サクッとした食感に加え、ニンニクのような風味が鼻を抜けていく。


「美味しい」

「そりゃよかった」


 バレッタはコップに牛乳を注ぐと、僕に渡してくれた。


「タリスさんがいつも持ってきてくれる牛乳だよ」

「タリスさんの牛乳、本当に美味しいんだ」


 コレットもコップに注いだ牛乳に口をつけて、笑みを見せている。


「知ってます。僕がアリアスで初めて飲んだのが、タリスからもらった牛乳だったので」


 牛乳を喉に流し込む。先程食べたニンニクの臭みが一気になくなり、さっぱりした後味が口内に広がる。


「あのさ、ヒカル」

「ん?」


 ふかし芋を口に含みつつ、コレットに視線を向ける。


「ヒカルはどうしてお城にいたの? タリスさん言ってた。城内で荷物を降ろしてたら、倒れていたヒカルを見つけたって」


 どう答えるのが正しいのか。僕はよくわからなかった。タリスはコレットに真実を話していない。城に入ったのはイリスに会うためなのに。

 そもそも僕は、別の世界から来たことを誰にも話していないのだ。僕のことを知っているのはイリスだけ。でも、そのイリスは僕のことを知らないと言っていた。

 口に含んでいたふかし芋を飲み込んで熟考する。目の前のコレットは僕が口を開くのを待っている。その純真な眼差しを見た僕は、一歩踏み込んでも良いのではないかと思った。

 今まで散々逃げてきたんだ。そんな自分を変えるには、多少のリスクを背負っていかないといけない。イリスに繋がるヒントが出てくるかもしれないから。


「……僕がここではない別の世界から来たって言ったら、コレットは信じてくれる?」

「別の世界って……アリアスじゃないところ?」

「うん。もっと遠い、遥か遠くの世界。最初は……夢の中だったんだ」

「夢?」

「うん。僕はイリスと夢の中でずっと会っていて。夢だけだと思っていたことが、最近現実にも起こったんだ。イリスが僕の世界に会いに来てくれて。しかも僕と同じ夢をイリスも見ていたらしくて。だから僕とイリスは約束したんだ。夢の中の出来事を起こさないように、一緒にアリアスを守ろう。アリアス城で会おうって」

「だからヒカルはアリアス城にいたんだね」


 コレットは僕の手を握ると、満面の笑みを浮かべた。


「素敵な話。同じ夢を見ていただけじゃなく、それが現実になって。さらに同じ目標に向かって歩もうとしてるんだよね。すごいよ、ヒカル!」


 コレットはキラキラと目を輝かせて、ぴょんぴょんその場ではねた。でもそんなコレットとの様子とは反対に、バレッタから鋭い指摘が飛ぶ。


「コレット落ち着きな。ヒカル君の話が本当なら、アリアスに危機が訪れるってことじゃないか」

「本当だ……お母さんの言う通り。ヒカル、本当なの?」

「……うん。いつかはわからないけど、ダーゲンが――」


 瞬間、急に胸元の勲章が光を放った。僕達三人はたまらず手で光を遮る。


 ――ヒカル、聞こえますか?


 耳に入ってきたのは、聞き間違えるはずがない声だった。


「イリス……イリスだよね?」


 ――はい。私は今、城下街にある時計塔の中にいます。今から一人でそこに来てくれませんか。大事なお話があります。


「話って……それより、どうしてイリスは――」


 ――必ず一人で来てください。では、お待ち……し……。


 途中で途切れたイリスの言葉を最後に、勲章の光は消滅した。

 僕にはもっと聞きたいことがあった。

 どうして僕を殴ったのか。どうして僕のことを忘れているのか。


「眩しかったね。ヒカルは大丈夫?」

「うん。大丈夫。それよりコレットは今の話聞いてた?」

「えっと……話って?」

「いや……なんでもないや」


 どうやら僕以外の人に、イリスの声は聞こえていなかったみたいだ。


「それより、今から外に出てもいいかな?」

「うーん。あまりオススメしないけど……どうして?」

「僕はまだここに来たばかりでさ。夜の街を散歩でもしようかなって」

「そっか……なら、私も行くよ」

「えっ」


 一人で抜け出そうと思っていた僕は、思わず声を上げた。


「もしかして……遠慮してるの?」

「いや、別にそういうわけじゃないけど」


 コレットはポンッと胸を叩いた。


「なら、私に任せといて。ヒカルにとっておきの場所を紹介してあげる。少し離れたところに丘があるんだけど、そこから見える星空がとても綺麗で――」

「やめときな。コレット」


 饒舌に話すコレットを止めたのは、母親のバレッタだった。


「お母さん……」

「ヒカル君が、一人で行きたそうにしてるのがわからないのかい。前にも言ったよね。接客業はお客様のことを第一に考えて、常に親身に接するようにって」


 ぴしゃりとコレットに雷を落としたバレッタ。流石、母親であり店長だ。まるで、僕の考えをわかってくれているみたい。


「……ゴメンなさい。ヒカル」

「いや、こっちこそゴメン。今日はちょっと無理なんだけど、今度機会があったらその丘に連れて行ってよ。コレットが勧めてくれる場所なら、絶対に良い場所な気がするから」

「……うん。そうするね!」


 明るい笑みを見せたコレットに頷き、僕はゆっくりと腰を上げた。


「バレッタさん。美味しかったです。本当にありがとうございます」

「いいってもんよ。でもなるべく早く帰って来るんだよ。帰りは裏口から入って来なさい」

「はい。ありがとうございます」

「ヒカル、これを」


 コレットが差し出したのはランタンだった。


「外は灯りがなくて、ほとんど真っ暗だから。貸してあげるね」

「ありがとう。コレット」

「帰って来たら、色々とヒカルの話を聞かせてね。ヒカルの世界のこととか」

「わかった。それじゃ、行ってきます」


 二人にお辞儀をした僕はパレットを後にした。

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