第25話 復讐の意味

ひろしさんっ? なんで、どうしてここに。わわわ。だめですっ、だめですよ。洋さん、危険が危ないです。だめですっ、きちゃっ」


 結愛ゆあは思わぬ来客に、慌てた声を漏らす。あたふたとあからさまに落ち着きを無くして、しかしどうしたらいいかもわからずに、その場を動く事すら出来ないようだった。


「結愛。訊きたい事があったんだ。あの時の話をまだ聞いていなかったから」


 洋は少しずつ結愛へと歩み寄っていく。奇妙な幻の中にいる結愛は、どこか別世界の住人のようにも見えた。

 それでも確かに結愛はここにいる。それだけははっきりと感じ取れていた。結愛は幻なんかじゃない。本当にここにいるのだと。


「だめですっ。洋さん、だめっ」


 結愛がさらに大きく声を張り上げた瞬間。

 洋の身体を電撃のようなものが包み込んでいた。


「ぐぅ」


 とっさに全身をうつつの術で包みこむ。同時に襲っていた痛みがすぅと和らぎ、その隙に一歩後に下がる。


「いま……のは」


 ぜいぜいと荒い息を漏らしながら、洋は何とか結愛を見上げる。まだ身体は半ば抱え込むように縮こまっていた。


天捨てんしゃの結界です。ごめんなさい。ここに近付こうとすれば、みんなこうなります。これは遠くからあって近くにはないものなんです」


 結愛はすまなそうに静かに言葉をつむぐ。


 結愛の言葉の意味は全くわからなかったが、とにかく結愛のそばには近付けない事。それは結愛が望んで行った結果だと言う事だけは理解する事が出来た。


「洋さんにはまだ天正てんしょうの門が、天送珠てんそうじゅがどんなものなのか、話していませんでしたね。いま話しておこうと思います。いいですか? だめですか? そんなことないですよね。いいですよね。いいっていってください。はい、いいって決めました」


 いつも通り一人勝手に話を進める結愛に、洋はわずかに苦笑する。どこか寂しそうな瞳をしている以外は、やっぱりいつも通りの結愛だなと思う。


「天正の門は、天津国あまつくに。神とか天使とか精霊とかの住んでいる世界とつながる扉の一つです。この扉が開くと彼等はこの世界に姿を現す事が出来ます」


 結愛は身振り手振りを交えながら、やや早口に話し続けていた。


「簡単にいってしまえば、それを防ぐのが私達、天守てんもりの役目です。そして天正の門が開こうとした時に生まれるのが天送珠。世界の歪みです」


「まてよ、結愛。神様や天使が現れて、それの何が悪いんだ」


 ふと浮かんだ疑問を口にしてみる。洋はもともと世界に神などいないと考えてはいたが、それでも現実に現れるのならば歓迎出来るような気もしていた。


「洋さん。ぷちおにの姿を見ましたよね。あれをみてどう思いますか。ああいうのが山ほどあらわれたら。あわわ、大変です。ひどいです、大慌てです。阿波踊りです」


 結愛の説明の中に何か変な台詞がひとつ混じっていたが、それはいつものことなので気にしないでおく。それよりもいまは結愛の話に耳を傾けていたかった。


「あれは天送珠に引かれて地から現れたものですから、少し様相は違いますけど、変わってますけど、でも本質としては同じです。人とは共に有れないものです」


「なるほどな。呼び方が違うだけで化け物には違いないって事だ」


 洋はうなづいて、それから結愛をじっと見つめる。わからないことが多すぎた結愛達のことも少しだけ理解できたような気もする。


「それでどうして結界なんだよ。俺を近づけさせない為って訳じゃないんだろ」


「あ。はい、話がそれましたね。私、すぐ話がずれちゃって。反省しないとですね。あ、でも反省だけなら猿でも出来るって、わわわ、どうしたらいいんでしょう」


 結愛はさっきよりもよほど大慌てできょろきょろと辺りを見回していた。なんだかそんな様子をみていると、張りつめるような決意を固めてきた自分が馬鹿のように思えたが、それでも悪い気持ちはしなかった。


「その台詞は前にもいったろ」


「ふぇ。そうでしたっけ?」


 首をかしげてつぶやくと、そのまま少しずつ身体ごと傾斜させていく。もうすっかりいつも通りの結愛に、どこか安心して息を吐き出した。


「ああ、それより先に進めてくれ」


「あ、そうでしたね。えっと結界ですが、これ以上、天正の門が開かないようにここに封じ込めています。もう天送珠は崩壊寸前にあります。完全に力を吸い取られて失っているから。でも天正の門が開いてはこまりますから。ここで壊れないように見張っているんです。そして万が一壊れた時に、なんとか対処できるように」


 結愛は寂しげに笑うと、えへへと小さく声をもらした。


 力を失っている。その言葉が洋の胸の中で繰り返された。綾音の言っていた結愛は天送珠の力を奪い取って、天守に復讐するつもりだという推測は本当の事だったのだろうか。


「結愛。お前がやったのか。お前が」


 洋はやや口調を荒げながら訊ねていた。どこか問いつめるように、結愛へと詰め寄っていく。もちろん結界よりも向こう側にはいけなかったが、それでもいますぐにでも問い詰めたかった。


「あ、はい。そうですよー。えへへ、すごいでしょう。すごいでしょう。洋さん、誉めてくれますか」


 結愛ののんきな台詞に、思わずかっとしていた。洋は手を大きく振るって結愛へと畳みかけるように叫ぶ。


「馬鹿をいうな。もうやめるんだ。なんでそんな事をするんだ。そんな事をしても何の意味もないだろう」


 復讐なんて、何も意味がない。馬鹿にされていて悔しい気持ちはわからなくもない。だけどその為に勝手な事をやってもいいという理由にはならない。


 だが洋の台詞に、結愛は浮かびかけた笑顔を再び沈めて、そしてぼそりとつぶやくように告げていた。


「洋さんも、落ちこぼれの私には無理だっていうんですね。寂しいです。悲しいです。でも、私だってがんばればこれくらいの事は出来るですよ」


 力無い声で、微かな笑みを浮かべていた。えへへ、と声をもらして、その顔をわずかばかりうつむけていた。


「結愛。馬鹿な真似はやめろ。悔しいのはわかるけど、だからって復讐なんてしても意味がないだろ」


 洋がもういちど強い口調で呼びかけると、結愛はその瞬間、目を大きく見開いて洋へと視線を合わせた。


「ふぇ。洋さん、何の話ですか。私、復讐なんて……きゃぁ」


 皆まで言い終える前に、結愛の側面から風が吹き荒れていた。

 結愛は突風に押されて、何歩かたたらを踏む。そして風に追われるように、そのまま幻の向こうへと追いやられていた。

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