第19話 不自然な洞穴

「ここ、か」


 ひろしは目の前に広がる洞穴に、どこか胸が高鳴るのを感じていた。鍾乳洞といった類のものではなかったが、かなり奥深くまで続いているだろう洞窟が、ぽっかりと山壁の縁に開いていた。


 洋はこの山には何度か登った事がある。今までも、なんどか同じ風景をみたような気もしていた。半分は既視感という奴かもしれないが、残りの半分は実際にみた風景なのだろう。夏場であれば確かに軽いピクニック程度には良い場所だった。


 しかしこの冬のさかりにこの山に登ろうだなんて物好きはいない。ゆえに洋達以外にはこの場所には誰一人いない。


 だとしたら、この穴は誰が開けたのか。とても自然に開くようなものとは思えない。洋は今までこの場所でこんな洞穴をみた覚えはない。もしかしたら綾音あやね冴人さいとの二人も近くまできているかもしれないが、彼女達がこの洞窟を開けたという訳でもないだろう。


天送珠てんそうじゅといったか。これはそいつの仕業か」


 洋の問いに、結愛がこくりと頷く。どこか神妙な顔をしているところをみると、少しばかり危険な状況なのかもしれない。


 洋は洞窟の奥をじっと目を凝らしてみるが、完全な闇が包み何も見通す事は出来ない。


「まいったな。明かりとかは何も用意してなかったな」


 せめて懐中電灯の一つでも持ってくるべきだったかとも思う。この山は険しい場所でもないし、洋にとってみれば幼い頃から何度も遊びにきている場所だ。それゆえにこんな事態は全く想定していなかった。


「ふぇ、明かりですか。大丈夫ですよっ、えっと離を使います。けんだり、しんそん、かんごんこん。八卦はっけより選ばれしもの、我は汝を使役せさす、! 白灯火しろともしび


 結愛の声に答えるように、かっと光が辺りを照らしていた。よくみると結愛の目の前でちらちらと白い炎が灯されているのがわかる。


「これで大丈夫です。平気ですっ」


 結愛は満面の笑みを浮かべて、白い炎を連れて歩く。ほんのりと暖かく、やはり多少は寒さに凍えていた身体を優しく包み込んだ。


「ああ。そうだな」


 軽くうなづいて、それから洋は洞窟の奥を覗き込む。光が届く範囲だけでもかなりの距離が続いているようだった。


 中へと進んでみると意外と暖かい。空気の流れがあまりないのだろう。だとすればこの先が、どこか違う場所に続いているという事は考えにくい。すなわち結愛が探知したものが間違っていない限りは、この奥に天送珠があるという事だ。


 ごくりと息を飲み込む。いまだにその珠がどんなものなのかは洋にはよくわからなかったが、うまくすれば結愛の試練はこれで終わる。


「みゅぅ」


 しばらく進んでいると、不意に肩の上にいるみゅうが鳴き声を上げた。そしてぴょんと洋の肩から飛び降りて、ファーッと目の前の空間に向けて威嚇の構えを見せる。


「きたかっ。結愛、準備はいいなっ」


「はいっ」


 結愛が髪飾りの一つ、赤色の紐を取り出す。目の前の歪み始めた空間に目を向けて、そして大きく見開いていた。


「洋さんっ。下がってくださいっ。あぶないです危険です。今回のはぷちおにじゃない。これは」


 だが結愛が皆まで告げる前に、目の前の空間はきしみを見せる。ピシィっと大きな音を立てて鬼は現れる。


「グォォォォン」


 響いた叫び声は強く高く。その体躯は小鬼とは比べものにならないほどに大きい。


「でかおにっ。ふぇぇ、十点ですよっ、強敵ですよ」


 結愛がでかおにと呼んだ鬼は二メートルはくだらないだろう。どちらかといえば背が高い方である洋よりも、さらに一回りはでかい。


 まだその鬼は状況を把握していないのか、じろりと二人を観察するように眺めているだけだった。


「先手必勝ですっ、いきますいきますっ。けんだり、しんそん、かんごんこん。八卦より選ばれし……」


 結愛が呪文を唱えようとして、印を組み始める。その瞬間。


「危ない」


 洋は結愛目指して飛び込んでいた。結愛を抱え込むようにして地面を転がる。


 頭の上を鬼の丸太のような腕が通り過ぎていく。あの腕に触れられたら、それだけで骨の一本や二本は軽く砕けそうだ。


「ちぃっ。結愛っ、また俺が時間を稼ぐ。その間に術を唱えるんだ。いいな」


 洋は立ち上がり、大鬼との間合いを詰める。結愛から出来るだけ意識を奪うように、左右にステップしながら少しずつ。


「ほら、こいよ。俺はただの一般人だぞ」


「グォォォッ!」


 洋の呼び声に答えるように、大鬼が再びその太い腕を振るった。ぶぅんと空気を引き裂く音が洞窟の中に響き渡る。


 しかし大鬼の攻撃は当りはしない。大きな図体をしている分、やや攻撃も緩慢なところがあった。洋にしてみれば、この程度の攻撃ならば避ける事はどうという事はない。


 だが洋が攻撃をしかける事は難しい。そもそも体躯が違えばリーチも違うし、普通に攻撃してもダメージを与えられそうにはない。


 かといって実際に急所を狙うのは無謀だった。急所は急所ゆえに、そう簡単には攻撃させてはもらえないものだ。


「ち、何食ってこんなに大きくなりやがったんだよ」


 大鬼の攻撃をかわしざま、くるりと振り返って大鬼のすねへと蹴りを入れる。


 いわゆる弁慶の泣き所である。普通の相手ならば、これで立てなくなるところではあったが大鬼は平然とした顔をして、その足を蹴り出した。


 後ろへ飛びすざってかわす。しかし大鬼の攻撃はそれでは止まらない。


 大鬼が、すぅ、と口を開いた。


 その瞬間、強く嫌な予感が頭によぎり、そのまま大鬼へと向かって飛び込んでいた。大鬼の股の間を転がるようにくぐり抜ける。


 それと同時に大鬼の口から黒い液体が飛び散っていた。さっきまで洋がいた位置で、ジュウ、という嫌な音が響く。大鬼が吐き出した液体が地面を焦がしている。


「図体がでかいだけじゃないってか」


 背筋に冷たいものが走った。あんなものがもしも直撃したら洋など溶け去ってしまうか、よくても大火傷は避けられないだろう。


 今回は運良く避ける事が出来たが、広範囲に吐き出す液体を避け続ける事は不可能に近い。しかも一度でも避け損なったなら、それで終わりだ。


「ち、えらく分の悪い賭だな」


 唇をぎゅっと噛みしめると、大鬼へ向かって立ち上がる。大鬼が口元に笑みを浮かべたような気がした。


 ぐっと手を握りしめて、やや前傾姿勢をとる。その瞬間、再び大鬼が腕が振るう。


 それを見透かしていたように洋は左手へと転がるようにして距離を開ける。そして勢いを利用して立ち上がった。


 その時、大鬼の口が開く。


「くるか」


 洋の叫びと同時に、大鬼の口から黒い液体が再び吐き出される。しかし予想していた攻撃だ。後ろへと飛んで避ける。足元に液体が飛び散り、ジュウ、と再び地面が焦げた。


 そこで間髪入れずに大鬼へと飛び込んでいく。さすがの大鬼もそれは予想していないようだった。一瞬、対応が遅れる。


「くらえっ」


 拳がじわっと鈍い光を放っていた。がすっと鈍い音が響き、大鬼の身体を捉える。


「グォォォォ」


 大鬼の咆吼が辺りを包む。小鬼ですらダメージを受けなかった洋の拳によって。


 だがあの時とは違う。洋の拳にはうっすらと伝わる光。霊力をにじませた力がある。


 これがうつつの術。霊力をただ手から漏らすだけの術だ。しかしそれゆえに鬼のような霊体に対しても威力を発揮する。

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