第3話 どれくらい怖いかというとハリネズミが

 あれから数日。


 少女の事はどこか気になりながらも、やって来る日々に追われ、次第に頭の隅の方へと追いやられていた。


「ただいま」


 家の扉を開け声をかける。しかし返事が返ってきたりはしない。この家にはひろし一人で住んでいるも同然なのだから。


 洋には母親はいない。父親と二人ここで暮らしていたが、しかし洋の父親は滅多に家に帰ってくる事が無かった。


 洋の父親はその道では高名な考古学者であり、いつも世界各国を飛び回っている。その為、家に戻ってくる事の方が稀だからだ。


 しかし実質的に一人で暮らしていると大変な事も多い。掃除や洗濯に関しては、週に一度ホームヘルパーが来てくれるのでなんとか事足りていたが、食事だけは自分で準備しなくてはならない。面倒でも親から渡されている金額は、そう多くはない。弁当ばかりを食べている訳にもいかなかった。


「はー、かったるいけど買い物いくか」


 確か茄子と葱が余っていたから麻婆茄子にでもするか、と口の中で呟きながら着替えを済まし家を後にする。それからふと思考が主婦化している自分に気付いて溜息をついた。


「学校終わってから、まず夕食の買物にいく男子高校生なんて滅多にいないんだろーな」


「そうですね。滅多にいないと思いますよ」


「だよな。一人暮らしで羨ましいなんていう奴は、絶対この大変さをわかってないって」


「そうですねっ。一人はやっぱり大変ですよね。やっぱり一人より二人ですよっ」


「……って、お前いつのまに!?」


 ふと気がつくと、あの時の少女がいつの間にか隣に並んで歩いている。初めて出会った時と違い、髪に色とりどりの紐のような飾りがいくつも付けられていたのが目を引いた。


 奇抜なファッションだな、と洋は思う。それとも最近はこういうのが流行っているのだろうか。流行にうとい洋には判断がつかないが、街中を歩けば目立つ事間違いなしだ。


「さっきからずーっといましたよ。ずーっとですよ、ずーっと。なのに洋さんぜんぜん気付いてくれないし。私、無視されてるのかと思いましたよ。無視は悲しいです。いじめはダメですよ、洋さん」


 少女は両手を拳にして目の前でぐすぐすと泣き真似をしてみせているが、あまり悲しんでいるようには見えなかった。

 しかし洋はそれには気が付かなかった事にして、すたすたとその足を速める。


「ああっ、無視はダメっていったのにっ。ひどいですひどいです。怒っちゃいますよ。私、怒ると怖いんですよ。どれくらい怖いかというとハリネズミが……」


 なおも抗議を続けようとする少女の言葉を遮るかのように、洋は足を止め振り返った。


「なんでお前がここにいるんだ!」


 力の限り叫ぶと少女を強く睨みつける。周囲で賑やかに話し続ける少女に、ついに我慢の限界が来たらしい。


「えっと。私、一人でやってみました。でも、やっぱり一人では出来なくて。そしたら洋さんも一人より二人がいいっていうから、私も一人より二人がいいなー、って思ったのでやっぱり気が合うなって事で、洋さんは私のパートナーで決定という訳です」


「諦めたんじゃなかったのか!?」


「ふぇ?」


 少女はいつもの口癖を呟くと、頬に人差し指を当てる。どうやら何か考えているらしい。


「あ、いい。余計な事は考えるな。それよりだ、なんでお前は俺の名前だけじゃなくて家まで知ってるんだ! いま流行りのストーカーか、お前は」


 洋は一気に言い放つ。言っても無駄だろうなとは思っていたが、言わずにはいられなかった。もしかすると根っからのつっこみ体質なのかもしれない。


「ふぇ。えっと、そのストーカーって何ですか?」


 少女は言うと同時にその首を傾ける。そのまま身体ごと右へと傾けていったかと思うと、限界まで倒したところで、今度は身体を戻して左側に寄せていく。


「なんだよ。お前、ストーカーも知らないのか? ストーカーってのは狙った相手に執拗につきまとったり、待ち伏せしたりする奴の事だ」


 ちょうどお前みたいにな、と続けようとしたその瞬間。


「そうなんですねっ。勉強になりましたっ。でも今はそんなのが流行ってるんですね。あ、じゃあ私もやらなきゃ! 流行乗り遅れちゃうし。わわわ。一大事だっ。ど、どうしよう」


「んな流行にのるな!」


 慌てた声を上げる少女に、今日何度目かわからない怒鳴り声で返す。


「ふぇ?」


 しかし少女はただきょとんした不思議そうな瞳で洋をみつめるだけだった。


「いや、そんなことよりもだ。ストーカーじゃないっていうなら、なんで俺の事をつけ」


 と言いかけた時には、すでに少女の姿は目の前にはない。え? と、一瞬あっけに取られて辺りを見回す。


「洋さん。このみかん、美味しそうですよー」


 ふと聞こえた声に向き直ると、スーパーの軒先で一生懸命、みかんを選別している彼女の姿が見えて、洋は再び溜息をつくことしか出来なかった。

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