25 お出かけに危険はつきものです
旅支度をととのえたルルは、黒い騎士服で固めたノア、アンジェラと共にキルケシュタイン邸を出発した。
移動手段は、王城から借りた箱形の客車だ。中には、レース仕立ての白いドレスを身につけて、ツバの広い女優帽を被ったルルと、アンジェラが乗っている。
車の後部にはトランクなどの荷物が縄でくくり付けられている。
前方の馭者台で
客車を引くキルケゴールとは意思疎通が図れているので、手にした鞭で打つような真似はしない。
「ユーディト地区までは二日ぐらいかかる。狭いけど我慢しろよ、ルルーティカ」
「心配しないで、アンジェラ。わたしを誰だと思っているの?」
帽子を外したルルは、背中に当てていたお気に入りの毛布を引っ張り出し、読みかけの本を右手の近くに、左手側には遠出用のために詰められた水筒を配置して、くるりと丸まった。
「巣ごもり上手は狭い場所ほど活躍するのよ。どんな場所でも完璧に巣ごもり体勢をとるテクニックには、長年の信頼と実績があるんだから!」
座席のような狭い場所で、いかに無駄をはぶいて丸くなるか――つまりは、どうやって身を守るか――は、ルルの得意ジャンルだと言ってもいい。
背中を背もたれに付けられるので、広いベッドの上よりも安心感がある。
(これなら二日とはいわず、十日ぐらいはやっていけそう)
そう思ったとき、客車の戸が鞭でパンと叩かれた。
叩いたのはノアだ。危険が迫ったら、こうして合図を送る手はずになっていた。
アンジェラが後ろを伺うと、荷馬車を挟んだ二台後ろに乗合馬車が走っている。
客車の窓からチラチラと見え隠れしているのは、真っ赤な軍服だ。
「ガレアクトラ軍人たちに後を付けられてる。移動中にこっちを襲うつもりだな」
アンジェラは、前方の小窓を開けてノアに呼びかけた。
「カントを出ると、ユーディト地区に向かう街道のそばにはほとんど建物がない。周りの目がなくなったら、あいつら一気に襲撃してくるぞ。数で来られたらたまったもんじゃねえ。北北西に進路をとれ!」
ノアは、手綱を引いて走っていた道を曲がった。
アンジェラが向かえと言った場所には青果市場が見える。道幅の広い通路に、木で作られた屋台がいくつも軒を並べていて、市民が日々の食料品を買っている。
「北北西に来たけど、ここからどうするの? アンジェラ」
「つっこむんだよ」
ニーっと笑われて、ルルはきょとんとした。
「つっこむ?」
「ああ。舌噛まないように口閉じとけよ、ルルーティカ! ノア、キルケゴール、たのむぜ!!」
アンジェラがルルを抱きかかえると、キルケゴールは青リンゴが乗った屋台に突進した。
やわな木組みの屋台は倒壊して、青リンゴは道をコロコロと転がる。
「きゃー!」
「やったぜ!」
ルルが悲鳴をあげると同時に、アンジェラが拳を握りしめた。
胸をバクバク鳴らしながら後ろをうかがうと、ここまで後を突いてきた乗合馬車は、方向転換して走り去った。
「お、追っ手はまけたようね……」
客車を下りたルルは、壊れた屋台を見てぼう然としている女将さんに謝り、屋台の修理代と青リンゴ代と迷惑料を金貨で支払った。
「ノア、キルケゴールに怪我はなかった?」
「大丈夫です。加減をして突っ込みましたから」
キルケゴールに近寄ると、甘えるように鼻先を押しつけてきたので撫でる。
「無理をきいてくれてありがとう。でも、困ったわね。追っ手がこれで諦めるとは思えないわ。どうやってユーディト地区まで移動したらいいのかしら……」
「それなら簡単だ。あたしに任せときな!」
アンジェラは、客車からルルのトランクだけ下ろすと、青リンゴの屋台の隣でカーテンを掛けていた古着屋の主人に話しかけた。
知り合いだったらしく、主人は快く試着室を貸してくれた。
それから、ごそごそと着替えること十五分――。
市場を出立した『ルルーティカ王女』を乗せた馬車は、カントを取り囲む城塞を抜けて荒野に出た。
ツバの広い女優帽をかぶった王女の顔は見えないが、まっすぐ座席に座っているところを見ると、屋台に突っ込む事故で怪我はしなかったようだ。
客車の後ろには、旅行鞄のほかに大量の青リンゴが積まれている。
ガレアクトラ軍人の乗合馬車は、距離をとりながら付いてくる。
馭者がいないにもかかわらず、黒い一角獣は迷う事なく、まっすぐにマロニー地区への街道をひた走った――。
その様子を、城塞のうえから見守っていたのは、古着屋で買ったワンピースを身につけたルルと、ルルのトランクを提げたノアだった。
キルケゴールが引く客車に乗っているのは、ルルが着ていたドレスを身にまとったアンジェラだ。彼らは囮になってくれたのである。
「マロニー地区への街道ぞいは宿屋や飯屋があるので、襲撃される危険性は低いでしょう。キルケゴールには、ある程度すすんだら道を引き返して、キルケシュタイン邸に逃げ込むように伝えてあります。今のうちに、ユーディト地区へ向かいましょう」
二人で向かった駅には、長距離の汽車が止まっていた。
ノアは二人分の切符を買って、一般客がまばらに乗っている車両に入ると、二人掛けの席にルルを窓際にして座った。
トランクを開けて、中から取り出した毛布をルルの体にかける。
「一般客と同じ車両で我慢してください。一等席の個室は、追っ手に一室ずつ探されて、狙い撃ちにされる可能性がありますので」
「個室よりこっちの方がずっといいわ。賑やかで退屈しないもの。わたし、汽車には久しぶりに乗るの。前にユーディト地区へ行って以来じゃないかしら? あのときは動力に魔晶石が使われていたから、あっという間に着いてがっかりしたのよ」
ルルが楽しそうだったので、ノアは安堵の息を吐いた。
固い座席についたルルの手を上から包み込んで、赤い瞳を伏せる。
「しばらく二人きりですね」
「そ、そうね……」
手袋ごしでも冷たい手と、大人びた横顔にドキリとして、ルルも下を向いた。
(忘れてた。わたしとノアは、すれ違っていたんだったわ)
ムードメーカーたるアンジェラなしで、ギクシャクせずに過ごせるだろうか。
ルルの心配をよそに、汽笛を鳴らした車両は、ゆっくりと走り出したのだった。
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