5 日用品の買い出しはお静かに

 重なって透けるチュール。煌めくビジュー。

 繊細な刺繍に、裾を長くトレーンする優雅なデザイン――。


 試着室に押し込められて、仮縫いされた純白のドレスを着つけられたルルは、大きな鏡にうつる自分をおっかなびっくり見ていた。


「いかがですか、ルルーティカ様」


 カーテン一枚へだててノアが話しかけてくる。


「いかがもなにもないわよ。これではのんびりできないわ。ごろごろしたら毛布にあちこち引っかけてしまいそうだもの」

「ごろごろするための服ではないですからね、それ。婚礼のための衣装です」

「はい!?」


 目隠し用のカーテンを開くと、待っていたノアが目を輝かせた。表情にとぼしい人だけれど、ルルの晴れ姿には心を動かされたようだ。


「ルルーティカ様、とてもお似合いです」

「似合ってるかどうかはいいの。花嫁衣装なんて仕立てる必要はないものを、どうして試着させられてるの?」

「いずれ必要になりますから。――このドレスに見合うアクセサリーと手袋と靴を」


 ノアが注文をつけると、店員が陳列ケースをあけて、宝石がいくつも連なったアクセサリーを取り出した。

 口元が始終にっこりしているのは、ルルとノアを微笑ましく思っているからだろう。年齢的には、花嫁衣装をはずかしがる新婦と、花嫁に美しい格好をさせたい新郎に見えてもおかしくない。


(ノアとはそんな関係ではないし、買うつもりもないんだけど……)

 

 しかしルルに、試着しておいて買う気はないんです、と言う勇気はなく。

 それからしばらく、銀のティアラや宝石ピンや真珠のラリエットを付けたり外したり、着せ替え人形のように扱われるがままだった。


「――はぁー、つかれた」


 ノアが見立てたドレスとアクセサリーを注文して、ルルはようやく解放された。


 今朝方、日用品の買い出しという名目でお屋敷から連れ出されて、先ほどの婚礼洋品店で五つの店を回った。


 一軒目の仕立屋で日常着となるシンプルなワンピースをいくつか注文して、二軒目で髪をとかすブラシや肌を潤すローズウォーターといった身だしなみ用品をそろえ、三軒目ではレースのベッドカバーや一角獣ユニコーンの形をしたクッション、洗い替え用の毛布を買った。


 四軒目では食器類を見た。ルルは、お屋敷にあるものを使わせてもらえればそれでいいのに、ノアがルルの分を買い足すと言って聞かなかったのだ。

 ノアが会計している間に、ペアになったティーカップを見ていたら「これも」と買ってくれた。


 それで、あの五軒目だ。

 巣ごもり生活で、体力が限界まで落ちたルルにとっては、険しい山脈に登るようなキツい道のりである。


「はやくおうちに帰りたい……」

「ルルーティカ様は体力がなさすぎですね。昼には早いですが食事にしましょう」


 買い物袋を抱えたノアは、店を探すために立ち止まった。

 人波より頭一つぶん大きな彼を、行き交う女性がチラリと見ていく。

 チョコレート店の前でたむろする少女たちは、「あの黒い服の男の子かっこいい」と騒いでいる。


「みんな、ノアが綺麗だから見ていくのね。お屋敷についてから黒ばっかり着てるのは自分に似合うから?」

「単純に好きだからですね。私は、聖騎士団の白い団服が嫌でたまらなかったんです。あれは偽善の色ですから。ルルーティカ様が王座についた暁には、団服は黒に変えてください」

「はいはい。王座についたらね」


 適当にあしらうルルは、通りの向こうにある店に目を止めた。緑色のオーニングが通りにせり出したパン屋だ。店のまえにテラス席がある。

 とにかく一度座りたいルルには、王座より魅力的に見えた。


「あそこがいい」


 ふらふら歩み寄ったルルは、ガーデンテーブルに突っ伏す。


「歩きっぱなしで足が棒のようだわ……」

「この席は店のパンを買うと自由に使えるようですね。私が買ってきます。どんなものが食べたいですか?」

「甘くて、さくさくで、おいしいの……」


 椅子に荷物を置いたノアは、店に入るとほどなくして戻ってきた。

 買ったパンを入れたバスケットを持って。


「どうぞ、ルルーティカ様」


 差し出されたのはアップルパイだった。

 焼きたてらしく、甘くて香ばしい香りがする。


 受け取ってかぶりつくと、さっくりしたパイ生地と形がなくなるギリギリまで煮詰めたフィリングの風味がまざりあって絶品だ。


 おいしい。ほっぺたが落ちてしまいそう。

 つい幸せな顔をするルルに、ノアは向かいの席から腕を伸ばした。


「パイの欠片がくっついていますよ」


 ノアの指先が、ルルのくちびるをかすめる。

 

「パン一つ上手に食べられないなんて。子どもみたいですね」

「私は子どもじゃないわ。ノアも食べたら?」

「ルルーティカ様のお腹が満たされたら残りを食べます」


 まるでお父さんみたいな事を言いながら、ノアは運ばれてきた紅茶を飲んだ。


「ノワール?」


 突然、話しかけられた。通りの方を見れば、白い団服を着た若者が数人いた。


「お前、こんなところにいたのか。前触れもなく『聖騎士団やめます。探さないでください』って手紙を置いて寮を出たから、団長が怒りくるってたぞ」


 彼らはノアの元同僚のようだ。

 しかも、ノアは聖騎士団を置き手紙だけで出奔したらしい。


 もとより、彼の心は忠誠を誓った聖王ではなく、ルルーティカの方にあったようだから未練がないのだろう。

 騎士たちに何を言われても、しれっとしている。


「私は戻らない。ルルーティカ様のための新たな聖騎士団に入る」

「ルルーティカって修道院に入ってる王女様だよな。お籠もりで誰も姿を見たことがないって噂だし、王位継承権があったって聖王にはならないだろ。こっちで決まりじゃね?」


 騎士が握っていたのは新聞の号外だった。

 王位継承についての速報が書かれているらしい。


 気になって視線を向けたら、騎士たちに見られていたのでヒヤッとする。


(王女だって知られたらまずい)


 ルルは、羽織っていたストールをかき合わせてそっぽを向く。

 店のガラス越しに、騎士がニヤニヤしているのが見えた。


「ノワール。お前いつも『ルルーティカ様が~』とか何とかいってたわりに、騎士団を出て一番にするのが彼女作りかよ」

「寝間着みたいなダサい服を着てるのが好みとか、やっぱ変わってんな」

「顔がめちゃくちゃ可愛いんじゃね? ね、こっち見てよ」

「きゃっ」


 騎士に引っ張られて、ルルは立たせられた。運動不足と疲れのせいで踏ん張りがきかないのだ。

 抵抗もできないので、せめて顔だけは見られまいと顔を伏せる。

 

(怖い)


 強く思ったそのとき、「うわっ」と悲鳴をあげて騎士の手が離れた。


「――触れるな」


 ノアの低い声がした。

 肩を抱き寄せられたルルは、気づけば彼の胸元に顔を押しつけていた。


「この方こそ私の主。無礼な真似をしたら許さない」

「なんだよ。ふざけただけだろ」


 凄んだ顔で睨みつけられた騎士たちは、興を削がれた顔で去って行く。

 騎士の姿が見えなくなって、ようやくノアは腕を解いた。


「もう大丈夫です。つぎは、私も見つからないように変装します。……ルルーティカ様?」

「な、なんでもないわ!」


 ノアに顔を覗きこまれたルルは、そそくさと距離をとってストールを頭から被った。

 守ってもらえて助かった。心から感謝しておわりのはず。


 それなのに。


(どうしてときめいてるの、わたしは)


 ノアに心を奪われたと認めたくなくて、ルルはお屋敷に帰り着くまで一口もしゃべらなかった。

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