彼は測量用のミラーを据え終わると、ぼんやりと考えこんでいた。

 何も手につかない様子だったが、無意識のうちに身体だけは動いていた。


 昼を少し過ぎた頃に外仕事を終えて、自宅兼事務所へと戻ってきた。

 彼には外仕事だけしか手伝うことがないので、自室へと引きこもった。

 そして、ノートパソコンを開き、求人情報を検索した。


 悲惨の一言だった。

 いつまでたっても景気の回復の見込みのない日本の経済状況を象徴しているようだった。

 ろくな仕事がない。


 しかし、僕が思うに不況とは言っても、バブル期の異常な時代を基準にしているだけではないだろうか?

 例のウイルス騒ぎはとっくに落ち着いたが、今の日本の状況が本来の実力ではないのだろうか?


 などと僕が考えていようとも彼には関係のないことようで、中途採用の企業を検索し続けた。

 だが、ほとんど見つからず、あっても条件が悪すぎる。


 それでも検索し続けるのには理由があった。

 このまま親のすねをかじったままの生活では、彼女とは会わす顔がない。

 いずれ彼女は失望してしまい、どこかへと飛んでいってしまう。

 それぐらいのことは彼でも分かっていた。

 少なくとも、あの東証一部上場企業の大手広告代理店ではないことぐらいはすぐにばれるだろう。

 そこはどうにかフォローできると思い、求人情報を読み続けていた。


 さて、画面へと戻ると多少はまともそうな企業を見つけた。

 名古屋市内の建設会社だった。

 条件として、経験者で資格所持者優遇と書いてあった。

 彼はこれでも一応、建築の学校を出て経験も少なからずある。

 二級ではあるが建築士も持っている。


 彼はすぐに面接のアポイントを取るために電話をかけた。

 女性事務員から採用担当者につながるとすぐに、経験はあるか、資格はあるか、年齢はいくつだと次々と質問された。

 どうにか無難に答えることが出来ると、明日午後2時に面接に来てくれという話になった。

 彼は了解の返事をして電話を切った。


 そうと決まれば、早速準備を整えた。

 夕食時には全て完了できた。


「なあ、明日の仕事は何かやることあるのか?」

 彼は父親に聞いてみた。

 父親はすでに焼酎の水割りを1杯飲み終わるところだった。

 すでに顔が少し赤くなっている。


「いや、今のところ特にないな。それがどうかしたのか?」

「明日、一応面接に行くことになった。」

「何、本当か!?そうか、ついに、ついにやる気になってくれたのか。こんなにめでたい日は飲まないとやってられん!」

 父親は興奮して叫んだ。


「ああ、お前もやっと決心してくれたのね。」

 母親はどこからかハンカチを取り出して涙をぬぐっている。


「まだ決まったわけじゃないだろ。どうせまたすぐに辞めるに決まってる。」

「そうよね。」

 兄夫婦は冷静に話し合っている。


 この後は彼のことなどほったらかしで好き勝手話し出した。

 彼は、もうやってられないとでもいうように大きくため息をついた。

 そして、自分の分の夕食を食べるとさっさと自室へと引きこもった。


 翌朝になると、母親はやたらと彼をかまってきた。

 ひげをもっとキレイに剃りなさいだとか、忘れ物はないの?だとか付きまとってきた。

 わざわざ新品の白いYシャツまでおろしてしまった。

 彼は予定の時間よりもはるかに早く家から逃げ出した。


 名古屋駅近くにある面接予定の会社の近くまでやってきたが、当然面接予定時間よりもはるかに早い。

 ちょうどよく見つけた小さな喫茶店に寄った。  

 店内はエアコンがしっかりと効いていて、外の熱気から開放された。


 全く、こんなに暑いのにスーツを着ているなんて気が狂ってるんじゃないのか。

 クールビズとか言ってはいるけど、誰も実行していないじゃないか。

 ホワイトカラーよりもブルーカラーの方が気候に適した格好をしているなんて、どっちが文化的なのか分かったものでもない。


 僕がひとしきり頭の中で悪態をついていると、よく冷えた水が出てきた。

 彼は一気に飲み干した。

 身体だけではなく、頭の中もすっきりとしてきた。

 それからランチを食べ、食後のコーヒーを飲みながらゆっくりと週刊漫画雑誌を読んで時間をつぶした。

 店内には、他にもスーツ姿の会社員たちがあわただしく昼休憩を取っていた。

 彼の空間だけは、世間とは違う時間軸の中にいるようだった。


 面接の時間になると、会社の前にやってきた。

 会社の中に入り、彼よりも体格の良い女性事務員をちょうどよく見かけたので、面接に来たと伝えた。

 すでに分かっていたとでもいうように、すぐに応接室に案内された。


 彼がひとりぽつんと待っていると、すぐに面接官がやってきた。

 まだ40才前後だと思うが、前髪が頭頂部まで後退していた。

 そのくせに、残りの髪を肩近くまで伸ばしている。

 お互いに名乗り合うと、面接官は安っぽいビニール張りのソファーに座って履歴書を読み始めた。

 すぐに、さっきの女性事務員がホットコーヒーを二つ持ってきて、退室した。


 履歴書を読み進むうちに、面接官の表情が硬くなってきた。

 沈黙の時間が重苦しい。

 面接官は辛抱強く一通り目を通すと、気を落ち着けるようにコーヒーを一口すすった。


「通常は形式的に志望動機から聞いていくものだが、質問したいことがある。この履歴書を書いていて、何も思わなかったのかね?」

 面接官は感情を力づくで押さえ込んでいるかのような声だった。

「そうですね。少し急いで書きすぎてしまって、字が雑になってしまったのかもしれません。」

 彼は特に考えることもなく答えた。


 その見当違いの返答にタガが外れてしまったのか、面接官の顔が刹那の間に真っ赤になった。

 その顔を見た瞬間にタコさんウインナーだと思った。


「そんなことを言っているのではない!分からないのなら教えてやる。そのウジのわいている頭にしっかりと叩き込んでおけ!最終学歴が専門学校卒業、これはまあいい。我々の会社は学歴で判断はしないからな。問題はこの後だ。最初の会社が建設関係だということは名前から分かる。しかしだ。在職期間がたったのこれだけか?3年にも満たないぞ。他の会社に至っては、建設関係ですらないではないか。こんな経歴では経験者とは呼べん。それに、この空白期間は何だね?」

「ええと、始めのはイギリスに留学してまして、その次のはオーストラリアにワーキングホリデーに行って、それから色々な国を回りました。」

「留学?何を勉強してきたのかね?」


 タコさんウインナーは、もはや何を言っても揚げ足を取ってやろうという目をしていた。


「語学留学です。」

「語学留学?たったの3ヶ月ではないか。その程度で学んだつもりか。遊んできただけではないのか、え?ワーキングホリデーだって同じようなものだろうが。どういうものかぐらいは私だって知っている。色々な国を回っていただと?何年も遊んでいただけではないか!なめるな!単刀直入に言ってやる。貴様などいらん!世の中を甘く見ているクズの若造が。さっさと出て行け!貴重な時間をムダにさせやがって。」

 タコさんウインナーは、太陽の光を反射させている頭頂部まで真っ赤になり、さらに口から泡まで飛ばして怒り狂った。


 僕は見ていて吹き出したかった。

 彼なんて小刻みに震えている。

 傍目には気迫に気圧されているように見えるが、実際には笑い転げたいのを我慢しているのだ。

 面接に行って、人格否定までされたのだから、本当はやり返してやりたくもなる。

 しかし、彼もさすがにそこまでするほどバカではない。

 言われたとおりさっさと出て行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る