〈第33話〉 大人しく待つことはできませんでした

 クラウドの命令でカルヴァーグ家の隠れ家にやってきたのは、コラフェル地方の魔法騎士数名とジュリアンだった。

 ほとんどの騎士がスピード重視で馬をかけてきたが、一台だけ馬車も用意していた。

 それは、アメリアを連れ帰るためで。

 申し訳ない気持ちもあるが、おかげで怪我人であるローレンスも連れて帰ることができる。

 走り出した馬車の窓から、先ほどまでいた屋敷が遠ざかっていくのが見える。

 アメリアはクラウドのことが心配でたまらなかった。

 どうか無事に帰ってくるようにと祈ることしかできない。


「馬鹿のせいで余計な時間を食っちゃったわねぇ」


 ほんと嫌になるわ、とぼやきながら、隣に座るジュリアンはにっこりとアメリアに笑みを向けた。


「ジュリアン様、助けに来てくださってありがとうございます。私一人だけではローレンスを連れて逃げることはできませんでした」

「まさか商家の坊ちゃんがこんなボロボロになってるとは思わなかったわ。大丈夫、見た目は酷いものだけど、簡単な治癒魔法で治せるわ」


 そう言って、ジュリアンは目の前に座るローレンスに手をかざす。

 あたたかな光がその手に集まり、ローレンスの傷を癒していく。


「ありがとうございます」


 アメリアが礼を言うと、ローレンスが眉間にしわを寄せた。


「どうしてアメリアが礼を言うんだ……僕が何をしたのか、忘れたか」

「ローレンスが何をしたのか、何を見たのか、それを話してもらうためです。怪我人に無理はさせられませんから」

「…………」


 アメリアの言葉に、ローレンスは何も言えなくなっていた。

 アメリアとてどこまでもお人好しな訳ではない。

 特に、ヴィクトリアに関しては、許せないという気持ちの方が強い。


「そこのところは、あたしも気になるわね」


 ジュリアンが騎士として、ローレンスに話を聞き始める。

 ローレンスは約束通り、何があったのかを話してくれた。


 カルヴァーグ家は、他家を引き離すだけの価値ある商品を求めていた。

 ベアード博士は、アンポクスの研究をするための資金と場所が欲しかった。

 ヴィクトリアは、盗賊団の再興と魔法騎士団への復讐がしたかった。

 三者三様の目的の中、それらはアンポクスでつながっていた。

 カルヴァーグ家当主はベアード博士を匿い、アンポクスの解毒剤を作り出した。

 ベアード博士は薬の効果を獣で試していたが、本当は魔法を使える人間に試したかったらしい。

 ヴィクトリアはカルヴァーグ家当主よりアンポクスの存在を知り、アメリアに使おうとした。

 ちょうどよく魔女の娘であるアメリアを被検体にできることをベアード博士は喜んでいてそうだ。

 そして、元セイス盗賊団の面々はベアード博士の護衛となり、アンポクスの研究を守っている。


「なるほどねぇ。アンポクスに関わっていた者たちについては真っ先に調べていたのだけど……まさかベアード博士がまだ生きていたとはね」

「どういうことですか?」

「アンポクスの研究をしていた者たちは皆、体のどこかに異常が出て、療養が必要だったのよ。研究の中心人物だったベアード博士は最も影響を受けていて、五年前、療養中に死亡したはずだったの。当時の記録も、墓も、確認して、不審な点はなかったのだけれど……」


 ローレンスはベアード博士と名乗る男と会っている。

 そして、彼が生きているのだとすれば、アンポクスを新たに製造することも可能だろう。


「あなたが見たベアード博士は、本物だったのかしら?」


 ジュリアンがローレンスに再度問う。


「分からない」

「どんな容姿をしていたの? 年齢は?」

「色素の薄い金色の髪に、白緑色の瞳で、歳は五十代前半ぐらい……目の下には大きなクマがあった」

「そう。残念ながら、本人でしょうね」


 ジュリアンが重いため息を吐く。

 ベアード博士を名乗る偽者という可能性は消えた。

 となれば、死を偽装してまでアンポクス研究にこだわったベアード博士も拘束しなければならない。

 ジュリアンはローレンスに詰め寄る。


「ベアード博士はどこにいるの?」

「さっきの屋敷の地下には、研究所がある。もしかしたら、そこかもしれない……ほとんど盗賊団の住処になってるから、一番安全だ」


 護衛である盗賊団が周囲を固めていれば、安心して研究できたことだろう。

 しかし、アメリアはその話を聞いて違和感を覚える。


「でも、私たちが地下から逃げた時、ほとんど人がいませんでした。見張りもなく、簡単に抜け出すことができたのは、何故でしょう?」

「確かに、それはおかしいわ。あの場所が研究の要なのだとしたら、絶対に見張りは置いているはずだもの」

「それに……ヴィクトリアの復讐計画についても、気になります」


 一体、ヴィクトリアは騎士団へ何をするつもりなのか。

 クラウドは大丈夫だと言っていたけれど、本当に無事に帰って来てくれるだろうか。


「ローレンス、何か他に覚えていることはありませんか!?」


 アメリアが勢いよく問い詰めると、ローレンスは眉根を寄せて考え込む。

 記憶を引っ張り出してくれているのだろう。

 アメリアもジュリアンも黙ってローレンスの言葉を待つ。


「そういえば……騎士団の評判もガタ落ちだ、とか言ってた気がする。あとは、全滅させるとか、物騒な言葉を吐いていた」


 アメリアの顔からいっきに血の気が引いた。

 反対に、ジュリアンの口元にはにやりと笑みが浮かんでいる。

 しかし目は冷ややかで、まったく笑っていなかった。


「魔法騎士団を舐めてくれたもんだな」


 そして、低い声で怒りを露わにする。

 いつもの軽い調子が一切消えていた。

 

「他に、具体的に何をするつもりか言っていたか?」


 急に雰囲気が変わったジュリアンに戸惑いつつも、ローレンスはふるふると首を横に振った。


「僕を監禁していた部屋で、そういう話はあまりしていなかったから……でも、アンポクスにはこだわっていたと思う」


 違法魔法薬アンポクス。

 それを生み出せるベアード博士と手を組んでいるのだ。

 使わない手はないだろう。


「あのアンポクスによる魔獣被害が計画の内って訳か……」

「また魔獣被害があったのですか?」

「心配ないわ。クラウドがすぐに収束させたから」


 アメリアに対しては、ジュリアンはいつもの笑みを向けてくれた。

 そして、その言葉を聞いてホッとする。


「それじゃあ、騎士団の評判を落とそうという計画は失敗に終わったのですね?」

「ん~、そう考えてもいいかしら。ヴィクトリアは今頃クラウドが捕えているだろうし、これ以上何もできないでしょ」

「そうですよね……」


 頷きながらも、アメリアの心はざわついていた。

 何か見落としていないだろうか。

 すべて解決に向かっているはずなのに、嫌な予感がするのだ。

 消えた盗賊団の面々。ベアード博士の研究所。違法魔法薬アンポクス。騎士団への復讐。

 先ほどの会話や情報を頭の中で整理して、アメリアはハッとする。


「……まさか」


 ベアード博士は、魔女であるアメリアを被検体にしようとしていた。

 アンポクスは一時的に魔力を増強するが、狂暴化し、その力を制御できなくなる。

 もし、魔力が高い者にアンポクスを使用すればどうなるのか。

 魔法騎士団の騎士たちは皆、魔力を持っている。

 そして、その中でもクラウドは別格だ。

 研究所には当然、開発しているアンポクスが大量にあるだろう。

 騎士たちがアンポクスによる影響で魔力を制御できなくなり、狂暴化してしまったなら。

 それも人々が住む町で被害があったら。

 守るべき民を傷つけてしまったら。

 魔法騎士団の評判は地に落ちるだろう。

 解毒剤を握っているのも、ベアード博士やヴィクトリアだ。

 彼らが素直に解毒剤を渡してくれるとも限らない。

 それに、獣ではなく、人なのだ。

 ただの人ではなく、魔法騎士として鍛えられた人。

 解毒剤が作用するのかも分からない。

 

「アメリアちゃん、どうしたの?」


 だんだんと青白くなっていくアメリアの顔色を見て、ジュリアンが心配そうに声をかける。

 しかし、アメリアはそれどころではなかった。


「クラウド様、クラウド様っ」


 アメリアは何度も何度もイヤリングに意識を集中させるが、クラウドからの応答はない。


「ジュリアン様! クラウド様からのお返事がありませんっ! もしかして、何かあったんじゃ」

「落ち着いて、アメリアちゃん。何かあった訳ではなくて、今日クラウドは魔獣を倒したり、カルヴァーグ家で魔眼を使ったり、アメリアちゃんのところに転移したりで、魔力の消費が激しかった。だから、答えられないだけよ。クラウドを信じて、待っていてあげて」

「でも、もしかしたら、あの屋敷で騎士団の皆さんがアンポクスに侵されてしまうかもしれないのですよ! ヴィクトリアたち盗賊団はきっと、皆魔力を持たない人間だから、そこまでの影響はないかもしれないけれど……もし、もしクラウド様たちがアンポクスに侵されたら……っ」


 口に出すと現実味が増して、アメリアは怖くてたまらなかった。

 待つことが嫌ではないのは、必ず帰って来てくれると信じられる時だ。

 クラウドに危険が及んで、もし、父のようにもう二度と帰ってきてくれなかったら。

 想像するだけで、胸が張り裂けそうだった。

 涙目で訴えるアメリアに気おされながらも、ジュリアンは冷静だった。


「そういう危険も承知で、あたしたち騎士団は任務に就いているのよ」


 優しいジュリアンの声にも、アメリアの心が落ち着くことはなかった。

 待っていると約束した。けれど、無理だ。

 不安に押しつぶされて、待っている間に死んでしまいそう。

 だって、喪った家族以外ではクラウドだけなのだ。

 アメリアに幸せな時間と居場所をくれた人は。

 そして、気づく。

 もしかすると、クラウドにとっても、アメリアがそういう居場所になれていたのかもしれないと。

 だからこそ、アメリアを求めてくれたのではないか。

 同情でも、騎士道精神からでもなく、本気でアメリアを。


(私は、大馬鹿者でした。体裁ばかり気にして、クラウド様のことをどう思っているのか、ちゃんと話すこともせずに……)


 このままクラウドと会えなくなったら、一生後悔する。

 クラウドの告白が一時的なものだったとしても、伝えてくれた想いに何も返せないままなんて嫌だ。

 伝えたい想いが、本当はたくさんあるのだ。

 両親の時のような後悔はもうしたくない。


「申し訳ございません、ジュリアン様。私は、クラウド様のもとへ行きます」

「ちょっと、アメリアちゃん!」


 アメリアは目を閉じて、祈る。

 クラウド様のもとへ、どうか連れて行って――と。


 次の瞬間、母の形見のペンダントとクラウドにもらったイヤリングが魔力を帯びて眩く光を放った。

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