〈第17話〉 連れ帰ったことを彼女に感謝されてしまった
目の前には、可愛いアメジストの瞳をうるませて、頬を染めている花の女神がいる。
初めて、彼女が自分のことを話してくれた。
クラウドのことを少しでも信頼してくれた証だろう。
「アメリア」
ずっと呼びたかった彼女の名前が愛おしくて、何度も何度も呼んでしまう。
なんてきれいな響きだろう。
「……ク、クラウド様っ、もう、十分です……っ」
息も絶え絶えに、羞恥に顔を赤くした彼女が可愛すぎる。
クラウドからしてみれば、まだ足りないというのに。
名を呼びながら、この胸の内にあふれる愛を伝えたい。
しかし、涙目の彼女はやはり、胸にグッとくるものがある。
(……今すぐに抱きしめてしまいたい)
自分の理性は彼女に試されているのだろうか。
思えば、帰宅した時もそうだった。
なんだ、あの白く美しい脚は。
惜しげもなく晒された素肌に、クラウドは本気でくらくらした。
雄の本能が暴走して鼻血を出すとは、常に冷静を心掛けているクラウドにとって思わぬ失態だった。
いかに騎士として誠実に彼女と話をするか、イメージトレーニングしていたというのにすべて台無しになった。
(絶対、女性の脚を見て興奮して鼻血を出した変態だと思われた……)
そう絶望したクラウドの耳には、信じられない言葉が届いた。
クラウドが目を逸らしたことで、彼女は自分が目も当てられぬほど醜いのだと勘違いしていたのだ。
男のプライドなど捨てて、正直に彼女が美しすぎて理性が負けたのだと告げた。
どうやら、彼女は自分がどれだけ可愛く、クラウドの理性を崩壊させるほど魅力ある女性だという自覚がないらしい。
女性を口説いたことがないクラウドだが、彼女を美しいと言うことには何のためらいもなかった。
今まで社交辞令だとしても口にしたことなどなかったというのに。
彼女を前にしたら、新しい自分に出会える。
それほどまでに彼女に心を奪われている。
内心でそんな自分をおかしく思いながら、クラウドは彼女のために買った贈り物を手渡す。
店でラベンダー色のドレスを一目見た瞬間、彼女がクラウドのためにラベンダーを用意してくれたことを思い出した。
即決で選んだドレスだったが、彼女が身に着けた姿を見て間違いではなかったと思った。
青紫の髪とアメジストの瞳に、淡いラベンダー色はよく似合っていた。
可愛すぎる彼女を見て、天国か、秘密の花園にでも迷い込んだ気分だった。
自分の手で愛する女性を着飾ることが、こんなにも独占欲を満たすのだと初めて知った。
その上、彼女は家の片付けに加えて、料理まで作ってくれていた。
自分のために何かと尽くそうとしてくれる彼女が愛おしくて仕方ない。
幸せな心地で野菜スープを口に運びながら、クラウドは彼女と結婚する方法を考えていた。
貴族の結婚は家同士の問題がある。
階級制度が根付いているため、貴族はそう簡単に平民とは結婚できない。
彼女と結婚するためならば、面倒な貴族のしがらみなど捨ててもいいと考えていたが、その点でいえばクリアしている。
彼女の名はアメリアだ。
青紫の髪でアメリアという名の娘は、この辺りではディーナス男爵家の令嬢しかいない。
ディーナス男爵家は、国内の魔法薬調合に一役買っている。それだけの実績のある家門との結婚であれば、両親も納得してくれるだろう。
問題は、現時点で起きている事件との繋がりだ。
クラウドの読み通り、ディーナス男爵が何らかの形でアンポクスに関わって狙われたのだとすれば、アメリアも危険だ。
このまま花の姿でクラウドの家に匿っていた方が安全だろう。
それに、駆け落ちしたという話も気になる。
(もし本当に恋人がいたのなら、どうして今、彼女は一人でここにいる?)
クラウドがアメリアと駆け落ちした男であれば、絶対にその手を離したりしない。
そう考えれば、駆け落ちした男女が別行動をとっていることには疑問が残る。
やはり悪女の話と同様、駆け落ちも真実ではない可能性の方が高い。
目の前で顔を赤く染めている彼女は、我儘を言うような女性ではない。
人を思いやれる優しい心の持ち主だ。
そんな彼女に何があったのか。
やはり気になってしまう。
「……クラウド様?」
急に黙りこんだクラウドを不審に思ったのか、アメリアに名を呼ばれた。
不安そうに瞳を揺らす彼女に、クラウドはつとめて優しく返事をする。
「ん? どうした?」
焦ってはいけない。
彼女が本当の名を教えてくれただけでも大きな一歩だ。
クラウドはアメリアの心に踏み込みたい衝動をこらえて、彼女に笑みを向ける。
「えっと、その……あっ、そうです!」
名を呼び続けていたのはクラウドの方だが、アメリアにも何か言いたいことがあったらしい。
アメリアは立ち上がって、室内の棚から手紙の束を持ってきた。
「片付けをしていたら、開封されていない手紙を見つけました。もし大切なお手紙だったら大変だと思いまして……」
クラウドが読む必要性を感じなかった手紙を、アメリアはきれいにまとめてくれたようだ。
「ありがとう。だが、これは必要ないんだ」
「必要ないのですか?」
「あぁ、これは舞踏会の招待状だからな」
「……舞踏会、出席されないのですか?」
「今は仕事が忙しいし、そうでなくとも舞踏会を楽しんだことはない」
騎士である前に貴族であるクラウドには、行く気もない舞踏会の招待状が届く。
それというのも、クラウドにさっさと結婚してほしいと思っている両親の手回しがあるからだ。
うっとおしいから、最近は招待状が届いても見てみぬふりをしていた。
「それに、今は結婚相手を探す必要もない」
クラウドは、アメリアを見つめて微笑んだ。
心から結婚したいと思える相手ができたのだから。
「そうなのですね……クラウド様は、もうお心に決めた方がいらっしゃるのですね」
それはアメリアなのだと、今すぐに伝えてしまいたい。
しかし、一方的な思いだということは理解している。
彼女のことも、知らないふりをしているのだ。
こんな状態で求婚などできない。
「クラウド様に会ったら、真っ先にお伝えしようと思っていたことがあります」
宝石のようにきらめくアメジストの瞳が、クラウドを映す。
真剣な表情にクラウドはどきりとした。
勝手に持ち帰られて迷惑だとか、素足を見て鼻血を流す変態だとか言われたらどうしよう。
アメリアの可愛い声で責められてしまったら一生心に傷を負いそうだ。
「あの時、魔獣から命を救っていただいて、本当にありがとうございました」
アメリアから告げられたのは、感謝の言葉だった。
そのことに、ひとまずクラウドは安堵した。
「救っただなんて大げさだ」
「それでも、私はクラウド様に救われました。私を守ってくださって、ここに置いてくださって、本当にありがとうございます」
そう言って、アメリアは深く頭を下げた。
勢いよく下げ過ぎて、食卓にごつんと頭を打ちつけてしまう。
「大丈夫かっ!?」
クラウドは慌てて立ち上がり、アメリアの側に回る。
その白い額は、少し赤くなっていた。
「すぐに冷やそう。いや、治癒魔法……くそ、駄目だ。俺の治癒魔法は男にしか使えん」
実戦魔法には優れているクラウドだが、治癒となると話は別だ。
繊細な彼女に、クラウドのがさつな治癒魔法などかけられない。
そういえば、治癒効果のある魔法薬がキッチンにあったはず。
クラウドが魔法薬を取りに行こうとした時、アメリアの手がそれを阻んだ。
「わ、私は大丈夫です」
「いやしかし、アメリアのきれいな肌に傷が残ったらどうする?」
「傷になんてなりません。それに、もう痛くありませんから」
「本当か?」
クラウドはそっと、アメリアの頬に手を添えて、その額を観察する。
すると、アメリアの白い頬がみるみるうちに赤く染まった。
「やはり打ちどころが悪かったのかもしれない。顔が赤くなっている」
アメリアが怪我をした。
そのことが心配で、クラウドは彼女が羞恥で赤くなっていることに気づかない。
「こ、これは、怪我とはまったく関係ないので、気にしないでください!」
そう言って、アメリアはクラウドから距離をとるように両手を突き出した。
さすがにこの段階になって、いかに自分がアメリアに近づいていたのかを理解する。
そして、クラウドも耳まで赤くなった。
「す、すまない……」
「いえ、私の方こそ、申し訳ございません。驚いて、取り乱してしまいました」
しん、と沈黙が落ちる。
先に沈黙を破ったのは、意外にもアメリアだった。
「私は、命の恩人であるクラウド様のお役に立ちたいのです。何か困っていることや力になれることがあったら、なんなりとお申し付けください! 私にできることなら、なんでもします」
今すぐ抱きしめたい。
その可愛い唇に口づけたい。
アメリアのすべてを自分のものにしたい。
結婚してほしい。
真っ先に思い浮かんだ願いは、さすがに口に出さなかった。
アメリアが求めている答えはそういうことじゃない。
(駄目だ。冷静になれ……!)
煩悩と欲まみれの願望を無理やり抑えつけ、クラウドは首を横に振る。
「俺は、アメリアがここにいてくれるだけで十分幸せだ」
「そ、それでは駄目です。もっと何かやらせてください」
せっかく理性を保っていたのに、煽るようなことを言わないでほしい。
クラウドがどれだけ我慢していると思っているのだろう。
「それなら……毎日、アメリアの笑顔が見たい。君の笑顔をみると、とても癒される。手料理も、また食べたい。こんなに美味しい食事は初めてだった。こんな俺の我儘を本当に聞いてくれるだろうか?」
「もちろんです」
アメリアが力強く頷いて、花が咲いたような満面の笑みを浮かべた。
その笑顔に、クラウドはまたしてもがっつりと心を奪われる。
(ああぁぁ……可愛すぎるっ!!!!)
にやける口元を手で覆いながら、クラウドは内心でおもいきり叫んだのだった。
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