〈第9話〉 初めて友人に恋の相談をした

 滑らかで、やわらかな手触り。

 いつまでも触れていたい。

 まどろみの中、クラウドは幸福な気持ちだった。


(……なんだか、いつもより眠りが深かったな)


 だんだんと意識が浮上してくる。

 そして、硬い床板とは違う、シーツの感触に違和感を覚えた。


(ん……? ベッド?)


 おかしい。

 自分は床で寝ているはず。

 だって、ベッドには――。

 ハッとして目を開ける。

 自分が触れているものを視認した瞬間、クラウドは肝を冷やした。


「ぶ、無事かっ!?」


 繊細で美しい花に、剣だこだらけの手で触れてしまった。

 不用意に触れないよう、己を戒めていたというのに。

 花弁を散らしていたらどうしよう。

 彼女の体を傷つけてしまっていたら。

 見たところ、花は変わらず美しい。茎や葉にも傷はない。

 しかし、それは花であって、本当の彼女ではない。

 クラウドはかなりのパニックに陥っていた。

 だから、彼女の無事を確かめるために、魔眼を使った。


「……っ!?」


 彼女は真っ赤な顔で、泣いているように見えた。

 怖がらせて、ついに泣かせてしまった。

 当然だろう。

 彼女は小さく、可愛らしい。

 対してクラウドは身体が大きく、強面だ。

 そんな男が同じベッドで、花である彼女に触れるなど。

 暴力と同じだ。

 魔眼を閉じ、クラウドはぐっと拳を握った。


「……勝手に触れて、本当にすまなかった」


 一方的に彼女を側において、自分を見てほしいと願っていた。

 彼女が待つ誰かが、自分であればいいなどと。


(おこがましいな……)


 クラウドは騎士としてこの地にいるのだ。

 彼女のためを思うなら、彼女の待ち人を探して元の生活に帰すことが自分の役目だろう。

 こんな、普通の生活ができない環境で守っている気になるのではなく。


「昨日、フルーツを買いすぎた。少しぐらいなくなっても、きっと気にならない」


 ――好きなだけ食べてくれ。

 彼女はクラウドの言葉を聞いているだろうか。

 今、魔眼を使う勇気はなかった。


「今日は少し、帰りが遅くなる」


 家に帰った時、彼女はいてくれるだろうか。

 これはクラウドにとって賭けだった。

 もし、まだクラウドの側を選んでくれるというのなら、クラウドの帰りを待っていてくれたなら。


(君のために、俺ができることを教えてくれ)


 ***


「ちょっと、何その眉間のしわ。それに、なんか空気が重いんだけど?」

「舌を噛むぞ。しゃべるな」


 馬に乗りながら軽口を叩くジュリアンに、クラウドは鋭い視線を向けた。

 今朝やらかしてから、クラウドの纏う空気はかなり重い。

 落ち込みすぎて、表面上は悪の魔王のような形相になっている。


「ディーナス男爵家に着くまでずっと黙ってろって言うの? 無理無理!」


 むうっとジュリアンが口をとがらせた。

 男が拗ねてもまったくかわいくない。

 現在、クラウドとジュリアンは、馬に乗ってディーナス男爵家に向かっている。

 あの林道で見つけた男たちは、意外にも有益な情報を吐いてくれた。

 あの美しい彼女を「金になる女」と言った男は、ディーナス男爵家の紋章入りのハンカチを持っていたというのだ。

 貴族で最初のアンポクスによる被害者であるディーナス男爵、林道で現れたアンポクスが使われた魔物、ディーナス男爵家の紋章入りのハンカチを持っていた男。

 それらが無関係とは思えない。

 その上、男たちは彼女を探していた。

 彼女に関する手がかりもあるかもしれない。


「そうだっ! クラウドの恋のお相手について……って、何よ、そんな睨まないで!」


 叫ぶジュリアンに、クラウドはため息を吐く。

 ジュリアン相手ならば、怖がられたところで痛くも痒くもない。

 しかし、彼女に怖がられ、泣かせてしまったと思えば……。


「……うぅっ」

「何、急にどうしたの?」

「ぐ、心臓が、痛い……」

「えぇっ、治癒魔法いる?」

「いや、いい……」


 治癒魔法を使おうとしたジュリアンを、手で制す。

 この痛みは治癒魔法なんかでは治らない。


「もう、本当にどうしちゃったの? このあたしに相談してみなさいよ」


 その言葉に、そろそろ胸の痛みに耐えられないクラウドは縋りたくなった。

 恋をしたことがなかったため、恋愛相談もしたことがない。

 どのように話せばいいのか。

 逡巡した結果、今の状況をそのまま話すことにした。


「……その、同意もなく家に連れ込み、ベッドに横たえた挙句、無体を働いて彼女を怖がらせてしまった」

「はぁっ!? 何それ最低じゃない。いくら初恋だからって、やっていいことと悪いことがあるでしょうが! そんなのもう顔も見たくないレベルで嫌われるわよ?」

「……やはり、か」


 相談すれば気が楽になるかと思えば、倍になってダメージが返ってきた。

 息をするのも苦しい。

 心なしか、馬が速度を緩めてくれた。その優しさが胸に沁みる。


「っていうか、どうしてそんなことしたの?」

「彼女が俺以外の男を待っているかと思うと、我慢がきかなかった」

「嫉妬したのね。まあ、気持ちは分かるけど……」

「嫉妬する資格もないのにな」

「あら、それは違うわよ。クラウドがその子を好きなら、嫉妬するのは当然だわ」


 ジュリアンの言葉に少しだけ救われて。


「ま、やりすぎたら駄目だけどね」


 やっぱり心にグサッと刺さった。

 なんだかもう泣きそうである。


「で、本当にどこの誰なの? うちの副団長サマをここまで翻弄する女性は」

「分からない」

「本気で言ってる?」

「あぁ。彼女は本当に可憐で、美しい花なんだ。俺の心を癒してくれる」

「ん、んん!? 待って。恋の話よね? 花って、あそこに咲いている花とかじゃ、ないわよね? 花のような女性、という比喩表現よね?」


 クラウドの言葉に、ジュリアンがかなり混乱している。

 ジュリアンには悪いが、これ以上の情報を伝える気はなかった。

 何故なら、彼女の事情がまだ分からないからだ。

 せっかく彼女との距離を慎重にはかっているところなのに、外野に引っ掻き回されたくない。

 昨日、その距離の詰め方を間違えたのは自分なのだが。


「……はあ。あの花弁のなめらかさが忘れられない」


 林道から家に帰る時、この手に包んだはずだが、あの時は緊張しすぎて彼女の感触など覚えていない。

 しかし、今朝は違った。

 眠る時も、幸せな心地だった。

 彼女のあたたかさに触れていたからなのだと、目が覚めてから気が付いた。


「う、嘘でしょ……本気で花に恋してるの? じゃあさっきの話は何だったの!? ちょっとぉぉ!」


 ジュリアンの声は、彼女のことを考え始めたクラウドには届かない。

 そうして、クラウドは彼女の泣き顔を思い出して表情をゆがめ、ジュリアンはこじらせた友人の趣味に顔を青ざめた。


 コンディションが最悪な状態で、魔法騎士団の二人はディーナス男爵家にたどり着いたのであった。

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