第06話 おじい様のお悩みは
さっぱりとしてようやく人心地がつくと、私は夕日が差し込む自室の窓を閉めた。冷えた空気もホカホカの身体には心地好いが、湯冷めをしたら元も子もないだろう。
私は窓を全て閉め終えると、
リゼットという話し相手は確保したし、食事も貴族にしては粗食とはいえエメのおかげで美味しく頂けるものばかりだ。新しい服はなかなか着られないけれど、古いドレスをリゼットが良い感じにリメイクしてくれている。
女中頭のルシーヌは寡黙で真面目な働き者で、甘くはないがいつも私のことを気にかけてくれていた。たまに来る大伯母様の家庭教師も課題をこなすのはそれほど難しくはないし、引きこもってダラダラ過ごすには最高の環境だ。
……なら、これでもう十分なんじゃない!?
私はベッドにボスッと倒れ込むと、ぐーっと大きく伸びをした。
しかしそこで、はたと気が付いた。ずっとこのままの状況でダラダラ出来るわけがない。将来、おじい様が亡くなった後はどうしよう。今のままではおにい様は当主の仕事はこなせそうにないから、最悪爵位没収から路頭に迷うこともあり得るかも!?
……いや、私に婿養子を宛がっておにい様を廃嫡するか、代行という名で実権を奪うルートが濃厚かな。でもこんな赤字垂れ流しの紛争地、領主をやろうなんて奇特な人が居るだろうか?
社交界デビューに充分な資金もままならないのに良い条件の縁談がくるかもなんて、楽観視できるほどフロルちゃん(12)は無知ではなかった。
とにかく、このままぼんやりしてると、将来詰んでしまうかも! どうやらおじい様やおにい様との関係改善は、必須課題のようだ。
まずおにい様は……一朝一夕でどうにかなる感じはしないのよね。長らく引きこもっている兄とはもう四年、一度も言葉を交わしていない。身の回りの世話はルシーヌや従僕のセルジュがしているようだが、家族の前には姿すら見せていなかった。
引きこもりは無理に部屋から出そうとすると逆効果であると、テレビで見たことがある。長期戦が必要だろう。
ではおじい様はというと……幼い頃のものであるが、豪快に笑う顔が記憶に残っている。だが五年前に自慢の息子を亡くしてから、祖父はまるで笑顔も一緒に無くしたかのようだった。
特に兄が引きこもってからは年中苦虫を噛み潰したような顔をしていて、口を開けばお小言の嵐だ。そう簡単になんとかできる気がしない……。
でも今晩から、またおじい様との晩餐が再開だ。うーん、またあの気まずい時間がくるかと思うと、心底憂鬱なんだけど。思い出したら頭が痛くなってきた……ってことで、やっぱり今日も部屋食にしてもらおうか。
そんな風に面倒事を先延ばしにしようとしていた、そのとき。トントン、と部屋にノックの音が響く。私は慌てて居住まいを正すと、ドアに向かって声を上げた。
「どうぞ」
「お薬のお時間でございます」
「入って良いわ」
私は入室したリゼットから小ぶりのカップを受け取ると、ゆっくりと薬湯を口に含んだ。熱すぎずぬるすぎずに調整された液体は、すんなりと喉を通って胃の腑の底から温めてくれるようである。私はカップを両手で包み込むと、ほうっとため息をついた。
「そういえば、おじいさまはどうやってこの薬湯や砂糖なんて高価なものを手に入れることができたのかしら? まさかまた借金を重ねたんじゃ……」
私が訝しげに問うと、リゼットは慌てたように否定した。
「いいえ、違います! 大旦那様は……銀杯を売られたのです」
「あの、陛下から賜った銀杯を!?」
「はい」
先のエルゼス奪還戦争にて、若かりしおじい様率いる部隊の奇襲をきっかけに、ガリア王国側に不利な戦局が一変した。当時まだ王太子だった現国王陛下は大いに喜び、報告を受けたその場で愛用の銀杯を下賜されたのである。
おじい様はその銀杯を何よりも誇りに思い、命よりも大事にしていたはずだ。まさかそれを私のために売ってしまっていたとは──
フロルちゃん、ちゃんと愛されてるじゃない!
そう再確認して、私は苦笑した。大人になったからこそ気付く、不器用な肉親の情というものもあるのだ。
そうと判れば、攻略法は色々あるというものだ。まずは不機嫌の原因と解決方法を考えてみよう。
おじい様の慢性的な不機嫌の原因は、息子の死や孫の引きこもりなどの精神的要因だけではない。先の戦争で膝に槍を受けながらも騎馬で戦い続けたおじい様は、治療が遅れ右脚に後遺症を残すことになった。
それでも若いうちは歩行に違和感があるくらいだったが、加齢と共に悪化する痛みに悩まされるようになったのだ。
特に寒い季節はゆっくり眠れないほどの痛みが続いているようで、そりゃあイライラするのも無理のない話である。痛みの緩和ケアができれば、少しは前向きな気分になれるかもしれない。
古傷の痛みの一因と考えられるのは、血行不良である。冷え込んだら痛みが増すということは、血流を改善すれば痛みを緩和できる可能性が高いだろう。そうだ、お風呂をおすすめしてみようか?
そう考えた私は残りの薬湯を一気に飲み干すと、さっそくリゼットにおじい様入浴計画を相談することにした。
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