寛政捕物夜話(第十八夜・花川戸のいい男)

藤英二

その1

「人殺しだぁ~」

泪橋たもとの小間物屋に、女が息せき切って駆け込んできた。

奥座敷からようやく這い出した政五郎が、上がりの三畳間に顔を出した。

吉原芸者のなりをしたお新も二階から降りて来た。

女は聖天裏の質屋の女房のお粂と名乗った。

「で、だれが殺されたんだい?」

政五郎がたずねた。

お新から水をもらい、やっと一息ついたお粂は、

「娘だよ。うちの娘のお福だよ」

と『うちの娘を知らないのかい』とあきれたような顔をした。

「いつどこで殺されたのかね?」

「お福は、今朝両国橋の千本杭で見つかった」

「・・・・・」

「昨夜きつく叱ったら、ぷいと家を出てさ。・・・そのまま大川橋からドボンと」

「・・・・・」

「深川から帰るさの貸本屋の俊さんが、大川橋の欄干を乗り越えるお福を見たそうじゃ」

「・・・となれば、人殺しではなく身投げということになる」

「いや、人殺しじゃ」

「なら、だれがどうやって娘さんを殺したのかね?」

「殺したのは、兼公じゃ。まちがいない。袖にされたので、お福は身を投げた」

政五郎には、どうにも話が見えてこない。

「さっき、『きつく叱った』と言ったね。どうしてまた」

「『どうしても兼公といっしょになる』と言うから、あんな下賤な男はダメだとこっぴどく叱ったのさ」

「その兼公とやらが袖にしたからではなく、あんたがきつく叱ったので身投げしたと聞いたが・・・」

「いや、兼公が殺した。やつがお福をはねつけたんだ。いっしょに駆け落ちでもしてくれれば、命だけはあったものを」

・・・なるほどそういうことか。

「で、どうしてほしいのかね?」

「とにかく兼公を捕まえてくれ。娘を大川に投げ込んだとかにして」

「貸本屋の俊さんとやらが、お福が身投げするのを見たのではないのかな」

「お福を投げ込んだあと、兼公が俊さんに口裏合わせを頼んだのさ。橋の下から縄かなんかで絡め取って引きずり込んだか。・・・そいつを調べてほしいのじゃ。とにかく兼公を捕まえておくれ。金はいくらでも出す」

お粂は喚きたてた。

「お粂さん、これはどうにも無理筋だ。あんたは兼公とやらに逆恨みして、どうにでもやつを罪人に仕立ててくれと言っている」

政五郎は、差し出された小判を突き返した。

ところが驚いたことに、数日して兼公こと聖天船着き場で雑用をする兼吉と、岡場所の女郎をお得意とする貸本屋の俊太郎がお福殺しの罪で捕まったのだ。

・・・どこぞの目明しが金に目がくらんで、お粂の話に飛びついたのだろう。

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