5-3 回想と発覚
ぼうっと──寝ころんで天井を見ている。
見慣れているはずの自室の天井が、なぜか目新しく感じる。普段こうして寝ている時とは心持ちが違うせいだろうか──と、井守は漫然と思った。
井守は自宅で待機していた。
島崎とトイレの個室で服装を入れ替え、誰にも見咎められずに校内から脱出するまでが井守の役割──島崎に言い渡されたその仕事は無事に完遂され、井守は家に戻って来た。服を着替えて落ち着いたはいいものの、どうしても島崎が今行っているであろう作戦の首尾に気が行ってしまって何も手につかない。
すべて終われば島崎から連絡が来ることになってはいたが、それはもっと後になってからだろう。
空白の時間を持て余し、井守は考えるともなしに考える。
島崎──。
正直、島崎にここまでの積極性があるとは思っていなかった。井守にとって島崎は頼りなくて何かと手間のかかる、しかし真面目で憎めない──細かい差異を無視して乱暴に表現するなら、年の近い弟のような存在だった。
しかし──いつの間にか、島崎は自分自身で物事を決断し、他人を引っ張っていくほどの活発さを手に入れている。彼をここまで変えたのは何なのだろう。
すぐに思いつくのは、自分の負傷である。井守が以前にいわれなき暴行を受けた理由は島崎から既に聞いていた。テコンドー部に復讐するために島崎が連上と手を組んだらしいこともわかっていた。島崎が自分のために行動を決意してくれたのなら若干の照れくささはあるものの素直に嬉しいし、島崎の成長のきっかけになったのであれば負傷もまんざら無意味なものではなかったとも思えるのだが──しかし、どうも島崎の行動原理はそれだけではないような気がする。
たった一つの契機で、たった一つの動機で、たった一つの目標で──人がそこまで急激に変わるとは、井守には思えないのである。
島崎の一つ目の転換点が井守だったとするなら、二つ目はおそらく──
「連上千洋、か」
井守はぽつりと独語した。
自らが定めた目的地に向かってひたむきに邁進し──その軌道上に存在する障害物は一つも残さず徹底的に、しかしどこまでも静かに冷たく排除する、悪辣な美少女。彼女の圧倒的なインパクトが、島崎の芯を今までとは違う方へ傾けたのだ。
しかし、原因はそれでも──効果の方が、井守にはよく把握できない。
彼女の深慮遠謀を畏怖し、避けようとするというのなら理解できる。
手口の汚さに憎悪の念を燃やし、徹底的に敵対するというのも分かる。
しかし島崎はそうではない。生徒会選挙を独力で戦うことを決意してからの島崎には、どこか連上を本気で心配しているような節が窺えるのだ。
──とは言っても、それはあくまで井守の目にはそう見えたというだけのことである。単なる印象であり、推測どころか着想ですらない。なにしろ、今島崎を苦しめている張本人である敵方の総大将である連上を気遣うというのは明らかに奇妙な話なのだ。普通に考えればすぐに矛盾が浮上する。
「ふう……」
井守は息をついて仰向いていた顔を横にした。
いくら考えてみても、さっぱりわからない。
そもそも井守は、他人の胸の内を読むことに大して興味のない人間なのだ。元来、顔色を窺わない性質なのである。もちろん他人の様子を見て判断の材料にはするけれど、決断はあくまで自分の考えに基づいて下す。困っている人がいれば自分の正義感のもとに助けるし、楽しそうなことがあれば自分の好奇心のもとに首を突っ込む。そんな確固とした自分に依っている──悪く言えば他人の言葉に対して頑なな井守が、柄にもない真似をしてみたところで上手くいくはずもない。
趣向を変えて、予想されるこれからの事態の推移をなぞってみることにした。
島崎から聞いた手筈を頭の中で順番に一つずつ進めてゆく。すべてが理想的にはまったと仮定した上で、島崎が考え出した道筋を一歩ずつ踏みしめてゆく。
作戦が進み、終盤に差し掛かった時──
井守の全身を衝撃が突き抜けた。
「──やばい!」
背筋を駆け抜けた悪寒に突き動かされるように、井守は立ち上がった。
それはただの身体の不調ではなく、まして気のせいでもない。
恐るべき事実を発見したことによる──戦慄。
井守はこの土壇場で気付いてしまった。
この計画には傷がある。
島崎が気付いていない、重大な見落としが。
「このままじゃ──あいつは負けちまう」
島崎はこの欠陥に気付かないまま、最終作戦を遂行しようとしている。
その先は、行き止まりだ。
なんとか──しないと。
井守はついさっき見つけた一枚の紙を取り出した。それは島崎の制服のポケットに入っていたもの──ある場所の住所が書かれ、その下に「旧生徒会陣営 隠れ場所」と記されている。
それは単なる覚え書きかもしれなかったし、島崎がまさかの時のために井守に託そうとしていたものなのかもしれなかった。井守としては旧生徒会陣営に力を借りるというのは忸怩たる思いがあったし、向こうも協力してくれるかはわからなかったが──しかし、他に方法はない。
井守は決意し、時刻を確認した。
四時二分。
期限までの時間はすでに一時間を切っていた。
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