3-6 犯罪と秘策

 

 そのまましばらくは何も起きなかった。

 連上は、表面的にはまったく動いていないように見えた。

 そして夏休みを迎え、そろそろしびれを切らしかけた頃──八月十九日、陽陵学園の状況は劇的に変わった。

 

 その日は二年生の校内模試の実施日だった。

 起きたアクシデントは、簡単に言えば──窃盗事件。

 教学課の金庫から、かなりの金額が盗まれたのである。

 被害の大きさが大きさだけに、警察への通報は迅速に行われた。すぐに捜査が始まり、八月二十六日の出校日の時点で次のような事実が判明していた。

 犯行は少なくとも十回以上に分けて行われていること──そして犯行の時間帯は全て日中であり、それらは模試の休憩時間と完全に一致していること。

 犯行の時間が特定されたのは、夏休み中なので教学課には当番の事務員一人しかおらず、その事務員も模試のスケジュールに沿って試験と試験の間の休憩時間には本部で運営の手伝いをしていたからである。つまり、休憩時間の間は教学課は空になっており、窃盗犯はそこを狙ったという単純な筋書きである。

 

 そして更に単純なことは、容疑者の点である。

 試験を実施していた教員達には互いのアリバイが実証できた──そして夏休み中であるがゆえに、生徒は二年生しかいなかった。試験を受ける生徒の集中を乱さないようにということで部の活動も禁じられている。

 つまり、この事件の容疑者は──二年生全員だった。

 

 

 

 出校日というのは大抵やることがない。今年は少しは意味があったものの、やはり終わるのは早かった。全校集会にて事件の説明がされ、何か知っていることがあれば些細なことでも教師に伝えるようにと協力を呼びかけられただけで解散である。部の活動も許されていたので、島崎はそのままコンピュータ室に直行した。

 部屋には連上一人だった。これ幸いと、島崎は開口一番に本題に入る。

 

「確かにお前の言う通り状況は変わったけど──でも、どういうことなんだ?」

 

 連上は涼しい顔をして答えた。

 

「もちろん、良い流れさ。いや、あたしの狙いそのものと言った方がいい」

「──なんで?」

 

 教学課から金が盗まれるとどうして良い流れになるのか、島崎にはさっぱり理解できなかった。

 連上は島崎を見やって、ふふん、と笑う。

 

「実を言うとだね、この事件はあたしが仕組んだ」

「な……!」

 

 島崎は驚愕した。

 

「どうして──なんでそんなことやったんだよ!」

「ん?」

「流石に犯罪はまずいだろ──警察が来ちまった以上、ごまかすわけにもいかなくなった。お前がいなくなったら、僕はこれからどうすればいいんだよ!」

「いやいや」

 

 まあ待ってよ、と連上は相変わらずの余裕たっぷりな調子で島崎の肩を抑える。

 

「仕組んだとは言ったけど、あたしがやったとは言ってない。実行犯は別にいるんだよ──彼とは送信元が特定できないメールでしかやり取りをしていないから、あたしに手が回ることはない」

「じゃあ、実行犯ってのは一体誰なんだ」

「今回の事件の実行犯は──当番として教学課に詰めていた事務員の二宮さんだよ」

「事務員、って──学園の? でもあの人、休憩中は他の先生と一緒にいてアリバイがあるんじゃ──」

「種を明かせば子供騙しの仕掛けさ──犯行は試験中に行われていたんだ」

 

 島崎は口をぽかんと開けた。数秒遅れて理解する。

 他でもない事務員が実は犯人──それなら、事務員がいなかった休憩時間に犯行が行われたという前提が崩れる。確かに事務員なら、誰も邪魔者が来ない試験中に盗み放題だ。

 

「そうか、そういうことだったのか。ああ──言われてみれば一番怪しいのは事務員じゃないか。なんでそんな簡単なことに気付かなかったんだろう」

「気付いてしまえば明らかなことさ。しかし、そうと気付かせないための雰囲気作り、意識誘導が随所に施されていたんだ。例を挙げるなら──二宮さんは警察に、休憩時間中の試験運営補助の作業を終えて教学課に戻ってくると、閉めておいたはずの戸が少し開いていたことが何度かあったと証言している」

「証言? そんな細かいことまでどうしてお前が──」

 

 言いかけて、島崎は息をのんだ。

 雰囲気作り。

 意識誘導。

 その数々の工作は相当巧妙なものなのだろう──何しろまだ誰も、少し冷静になって考えればわかりそうな真相に辿り着いていないのだから。

 見る者の印象すら計算に入れて仕掛けを形作る、そんな緻密な絵図を描ける人物を、島崎は一人しか知らない。

 ──仕組んだ。

 

「お前がその二宮さんを唆したってことか? つまり、そんなことまで──最初から計画に織り込み済みだったと?」

 

 連上は肩をすくめた。

 

「この学園が各種の決裁を現金で行っていることはあらかじめ調べがついていた。それを元に作戦を練ったのさ──実行犯の用意に関して言えば、お金に困っている事務員が一人いればそれで事足りたんだよ。だからあたしは転入して来てから事務員を一人一人調べて、二宮さんが適任だと結論した。あとは時期を見て彼に近付き、今回の方法を提案した。それだけの話さ」

「お前……でも、そんな手で警察を騙せるのか?」

「警察を騙し通すつもりは最初からないよ。完全犯罪というのは理想ではあるが、優秀な日本の警察相手にさすがにそこまではできない──事の真相はいずれ露見するだろうね。だけど、捜査が可能な限り長引くように思いつく限りの工夫は重ねてある。今日や明日にバレるということもないだろう」

「そうか……じゃ、お前の狙いは何なんだ? 事件が解決されないままだと、どういう得があるんだよ?」

「うん。まあ厳密に言えばあたしが得をするというよりは敵が損をするという話なんだけれど──真相がバレない限り、警察は二年を疑うはずだ。アリバイという観点から見れば、二年生全員が容疑者なわけだからね。しかし誰も自白はしない。そりゃ当然、犯人は別にいるからさ。警察がそれに気付くまでの時間──そこを突くのがあたしの目的だ」

「突く?」

「君も知っての通り、校内には今多数の警官がいる。この警察を絡めるってのがこの仕掛けの最大のポイントでね。彼らを使って生徒会を追い込む」

「どうやって?」

 

 連上は机の上のパソコンを指で示した。

 そのディスプレイには、学園サイトの掲示板が表示されていた。活動の一環として、情報処理部設立後すぐに連上が主導して立ち上げたものである。学園のホームページとはサーバーが別のため、ウィルス騒ぎにも無関係だった──もちろん、あの事件において本当にウィルスを流したのは他ならぬ連上なのだから、これは対外用に用意された説明でしかないのだが。

 

「あたし達情報処理部にお似合いの武器があるじゃないか。この掲示板に怪情報を書き込むんだ──今回の事件の黒幕は生徒会だ、ってね」

「つまり、罪を着せるって言うのか?」

 

 それは──難しいように思う。

 連上だって自分で言っていたではないか──日本の警察は優秀だ、と。二年は確かに梁山や朱河原など現生徒会の中核を占めるメンバーが多数含まれる学年ではあるが、それだけで生徒会と繋げるのはさすがに無理があるだろう。

 しかし連上は、違う違う──と手を振った。

 

「目的は、警察に生徒会を調べさせるという点にあるわけだ。書き込みは警察を動かすための嘘っぱちさ」

「────ああ」

 

 そういうことか。

 島崎は納得した。

 二年の中に犯人がいると目星をつけ、いくら捜査を重ねても一向に結果が出ない。そんな中で事件の解決に繋がりそうな情報がもたらされれば、たとえそれが無根拠な噂のようなものでも警察は動くだろう。

 匿名の嘘で警察を動かし、生徒会の内部を調査させ──学園の裏側を覆い尽くす闇を露呈させる。それが連上の狙いなのだ。

 事件自体はブラフ──警察を学園内に誘い込むための手段に過ぎず、本当の狙いは生徒会のこれまでの悪行を白日の下に晒すことだったのだ。

 

「警察という校外の組織──しかも強力な国家組織の行動は、いかな生徒会といえどももみ消すことは不可能だろうね。すべての真実が明るみに出れば、当然現生徒会は任期満了を待たずして解散──せっかくの立候補者審査制度も状況証拠の一つにしかならない。南岳の悪足掻きは、成る直前で消滅する」

 

 しかし──と連上は声を低くする。

 

「ここで一つの問題が発生する。生徒会の不在だ──選挙管理委員会は困るよ? もうすぐに生徒会選挙は始まるっていうのに事件はまだ解決していない、二年は未だに容疑者のまま。うかつに生徒会長なんて決められないだろう」

 

 島崎はただ呆然として連上の言葉に聞き入っていた。

 仕掛けの要素の一つ一つがかちりかちりと嵌まって──道ができてゆく。連上はいつだって、その道の上を口笛まじりに踏破するだけなのだ。

 

「選択肢は二つ──事件が解決するまで生徒会を作らないか、生徒会を一年と三年だけで組み立てるか。実務的な問題から見て、ほぼ間違いなく後者が採用されるはずだ。つまり──二年は全員、生徒会選挙から締め出される形になる」

「締め出される──」

「それしか方法はないのさ。そしてその形こそがあたしの思い描いた理想形でもある」

 

 考えてみなよ──と用意周到な少女は言う。

 

「生徒会選挙に立候補できるのは一年か三年──しかし三年は大学受験を控えている。やりたがる人は少ないだろうね。つまり」

 

 連上は片目を瞑った。

 

「立候補者層は一年が大半を占めるはずだ──あたし達だって十分戦える」

 

 島崎は衝撃に身を震わせた。

 そんな──そんな方法があったなんて。

 確かに、手を組んだ当初に連上は言っていた──一年が生徒会長になるための策はあると。

 これがそれなのか。

 現生徒会を潰し、同時に一年が生徒会選挙で戦える場を作る──従兄の復讐のために連上が練り上げた一世一代の大仕掛けは、凄まじいほどに冴え渡っていた。

 

「島崎君、今からメールで部員を一人残らず集めてくれ」連上は優雅に微笑んだ。「これからの動きを伝えよう」

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