3-4 過去と機転

 

 南岳密は窮していた。

 生徒会──いかなる攻撃も寄せ付けない強大な組織だったはずの南岳政権は、存続の危機に直面していた。

 

 南岳は普段通りに生徒会室の奥、部屋全体を見渡せる位置にある生徒会長のデスクについている。ただしいつものように堂々と陣取っているわけではなく、明け渡してなるものかとばかりに張り付くようにして座っている──しがみついている、と言った方がいいほどの形振り構わない必死さを思わせる様子だったが、南岳からしてみれば外面を取り繕う余裕も、地力ももはやなかった。

 南岳は今までに何度となく読み返した書類に再び目を落とした。それは一分もかからずに通読できてしまうほどの短い文章だった。

 

 連上千洋。陽陵学園一年A組、出席番号十六番。

 五月七日転入。

 正規の入学者ではない転入者──しかもイギリスからの帰国子女であるがゆえに、連上の詳しい経歴は何一つ記録として残ってはいない。あるのは、マスコミによって世間に報道されたレベルの、断片的な情報の欠片ばかりだった。

 いわく、英国を制した若きチェスの申し子。

 斬新でありながら合理性に徹した新手を続々と生み出し、他の選手を圧倒してチャンピオンの座を史上最短の時間で手にした──比類なき天才。

 その才能はチェスだけに留まらず、自身が「趣味で書いた」と評する理論数学に関する論文が熱烈に評価されて十五歳ながら大学の入学資格を得ていた。

 しかし、そんな数々の地位や特権をすべて蹴り飛ばして──今年の初め頃、唐突に帰国。

 

「……何だ」

 

 書類から顔を上げて南岳は呟いた。

 

「連上とかいう女は一体何なんだ?」

 

 

 ──生徒会長の南岳さんに伝言を頼みたい。一年A組の連上が、ヤワタハマコウスケによろしく、と言っていたと。

 

 奴はどうやら八幡浜硬介のことを知っているらしい──いや、知っているどころの話ではなく、彼が生徒会の決定によって、さらに言うなら南岳の命令によって抹殺されたことにも気付いているとしか思えない。そしてそのことに対する復讐が、生徒会に対するこれまでの攻撃の動機であるらしいこともわかっていた。

 八幡浜──と南岳は思い返す。彼もまた、連上と同様に南岳を追い詰めた生徒だった。

 ただ、あの時は今回のような正面切っての戦いが起きることはなく、一生徒が裏の顔を垣間見てしまったというだけのことだった。ことを公にされれば危なかったが、相手は所詮一人の高校生──策を打ってくるでもなく、金や力にものを言わせてくるでもない、無力な存在に過ぎなかった。

 無力のはずだったのだ。

 しかし、あの男は──あまりにも真っ直ぐだった。

 普通の人間ならあっさりと屈してしまうような、学園ぐるみでの過酷で凄惨な仕打ちを受け続けてなお、彼は泣き寝入りをしなかった。それは彼なりの決意の体現だったのかも知れないが、その正義──正真正銘の真っ直ぐな姿勢が南岳を追い詰め、結局は彼自身の命を奪ったということになる。

 しかしその行為、八幡浜を葬った過去の行為が、連上千洋という新要素の参入を誘発し、今度は南岳自身を破滅へと追いやろうとしている。

 ならば、今日の南岳の苦境は八幡浜の意志に端を発しているのではないか。八幡浜の恐ろしいほどに純粋な正義が、その主を失ってなお連上千洋という存在を媒介して南岳に引導を渡そうとしている──

 

「馬鹿な」

 

 では南岳は現在、八幡浜の亡霊に攻められているとでも言うのか。

 馬鹿馬鹿しい。単なる偶然──結果的にそういう構図になっただけだ。

 しかし連上は、もしかすると意図的にその形を描きながら南岳を破滅させようとしているのかもしれない。それでこそ復讐──亡き八幡浜の雪辱を遂げることになる、ということなのか。

 

「なんにしろ、このまま選挙に臨んだらまずいことになる」

 

 南岳はうめいた。南岳の最大の懸念は目下、そこにあった。

 この学校の生徒は政治的関心が薄い。いや、ほぼ皆無と言っていいレベルである。部活動が盛んなせいか、陽陵学園の中では生徒会の仕事は地味で面倒臭いものという印象が根強く浸透しており、進んでやりたがる者はほとんどいない。逆に言えば、だからこそ生徒会を中心とする支配のシステムを構築することができたということになるのだが。

 だから、毎年の生徒会選挙は──中でも特に生徒会長の選出については、ほぼ毎回一人だけの候補者が形だけの信任投票を経て就任するという形が続いていた。南岳もそうしてあっさりと当選し、仲間を主要ポストに送り込むことにも成功したのである。

 しかし──今回は。

 

「確かに厳しいですね」

 

 傍らに控えていた魚住が落ち着いた声で答えた。こんな危機的状況の中にあっても、必要と認めない限り南岳の嘆きに相槌すら打つことなく表情で生徒会の事務を捌き続けている。仕事のペースは普段とまったく変わっていなかった。

 まるで他人事のような魚住の口調に南岳は苛立ったが、この男はいつもこの調子であることを思い出して出かかった言葉を飲み込んだ。

 

「あと五日で夏休みに入ります。そして休みが明ければすぐに選挙期間──我々には挽回のチャンスがほとんど残されていません。やはり連上千洋という一年生はかなりの策士です。このタイミングでの行動というのも、我々をこの苦境に導くための計算でしょうね」

「くそ……くそっ!」

 

 南岳は呻いた。

 もはや土俵に足がかかっていた──万全の状態で仕掛けた策をこの上なく効果的に引っ繰り返され、今や生徒会の権威は失墜していた。

 おそらく、あの連上とかいう悪党はこれを待っていたのだ、と南岳は考える。ここで醜聞を流し、生徒会選挙の直前にアンチ現政権の空気を作り出す。選挙にはおそらく傀儡の二年生を候補者に立ててくる気なのだろう──南岳は次の会長には現生徒会の中から候補者を出そうと思っていたが、それでは当選は見込めない。かと言って現生徒会とはまったく無関係の人間を会長に据えるというのも考えられない。裏の支配体制は、すべて生徒会長を中心として回る形に組み上げられているからである。だからこそ南岳はこの学園において絶対的な王たり得たのだが、こういう局面ではそのシステムが首を絞める形になってしまっていた。

 

「奴に嵌められたっ……!」

 

 このままでは、長い時間をかけて構築された闇の利権体制──無限に利益を生む機構の寿命も、あとわずかで終わる。南岳が今持っているすべての力が──伝えられることなく霧消してしまう。

 今、持っている。

 すべての。

 

「……そうだ」

 

 不意に、妙案が閃いた。

 いくら次が危ういとはいえ、今の生徒会は──陽陵学園の権力は、南岳の手中にある。苦しい今、使えるものを使わないでどうする。

 場を動かすなら今。

 今じゃないか。

 少なくとも現政権において、俺は神にも等しい強権を握っているのだから。

 追い詰められた南岳は、その嗅覚によって異端の生き残り方法に辿り着いていた。

 

「よしっ、よしっ──そうだ、これだ! これなら勝てる!」

「どうしました?」

 

 急変した南岳の態度に面食らい、魚住もさすがに仕事の手を止めて近づいてきた。

 南岳は告げる。

 

「魚住、緊急生徒会会議だ。すぐにメンバーを集めろ──今日中に議決を取るぞ」

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