ティールブルージャケット

朝昼兼

【#101】その病院跡の空き家、誰か住んでます

 その南の島の、島嶼部基礎の奥には巨大な発電所があり、島嶼部基礎には多くの巨大な船が接続されている。

 巨大な船の中身はざっくりいって表面層が街、中身が重要施設と環境調整機構になっている。

 それら船のひとつ、日本船籍船「☆あぐらいあ☆」の南の隅っこに、その昔海賊の砲撃の的にされて立ち退いた病院の跡地があり、現在は広い荒れ地に見えるソイルパネルの平面と、砲撃避け・環境調整で作られた小さな丘陵に似せた防壁にへばりつくように建つ、地味な暗色をした、ガレージ付き平屋の家があるだけだった。

 宅配業者などが使う住宅地図に家の主の名は無く、多くの人は、そこが長いこと空地と空家だと思っている。

 訪れる人もほとんど無く、表札や塀や門柱もしつらえられてはおらず、夜はこの区域だけ、月と星の光が頼りになる時期がずっと続いている。

 ただ、週に一度程度のペースで、塗装が割と派手な四駆が、地味な暗色のガレージの、地味な暗色の自動シャッターを開けて入っていく。

 ただそれを映すのは、家土地とは反対向きに設置された街区警備の監視カメラの仕事ではなく、そこら辺を飛んでいる羽虫の複眼の仕事だった。

  

 平屋の住人は長いこと、週末に車で戻ってきて後外には出ず月曜に外出していったが、今年の暦で春先位から、丁度良く海の見えるところにパラソルと椅子を出し、座ってコーヒーを飲んでぼんやりする姿が見られるようになった。ロング丈のシャツらしきものを好む人物で、男性なら小柄、女性なら中背高めくらいの、飾りけのない眼鏡をかけ、伸びた髪を後ろで一本くくりにした、派手さに欠ける凡庸な姿をしていた。

 雨季前位に一本くくりがポニーテールになり、結び目にポニーフックの飾りがつき、髪の色が濃淡2色になった。

 雨季半ばには眼鏡が丸眼鏡になった。

 台風がいくつも過ぎ去っていった、雨季開けのある日。いつも週末に戻ってくる車が、珍しく金曜日の昼日中に戻ってきた。

 そして珍しく開け放したガレージの中から、コンテナに車輪と押し手のついた庭用台車に、小さなスコップ、じょうろ、花の苗が4つ、肥料の小さな袋を載せて、シャツブラウスにジーンズ姿の住人が鼻歌交じりに押して外に出てきた。

 表面隅に画像の浮いた丸眼鏡をかけた、眠そうな垂れ目の、年齢は不詳(若く見えるが表情がそう若くは無い)。鼻歌の声の具合で、多少、女性風なのがわかる人物。平屋の家主だ。

 彼女は、海に近い荒れ地の隅、いつもパラソルと椅子を置いているあたりに、ちょっと土を掘って金魚草の苗を植え、水をかけた。しばらく、あまり元気の無い海風に揺れる花を眺めていたが、ひとつくしゃみをして、台車を押してガレージに戻っていった。

 島の船上構造物は、建造物を建てるときはある程度区画を専用のものに入れ替えるので大工事が必要になるが、この地区のようなソイルパネルならちょっと掘って植物を植えてもよい事になっている。実際に造園までならクレーン等の重機で木や岩を入れてもよい。この時の植物や岩石は厳重な検疫を経由する必要があり、一般人が申請行為をすると心底面倒な手間を省く意味もあって、植物は全て種苗会社から購入し、大きな庭を造るなら造園業者から購入・届出すべきものと条例で規定されている。ただし、個人で買った苗の植え場所は個人で一枚書類を書く必要があって、若干の金銭と決心が必要なため、家庭菜園や個人庭園は島では流行ることは未だなかった。


 

 その日は静かな新月の夜だった。平屋の家は外に明かりが漏れないように作ってあり、辺り一帯は本当に月と星の光だけが頼りになる区画と化した。

 荒れ地は無人の、光ひとつ無い暗黒の土地に見えたが、実際には注意しないと判らない程ごく小さな光点がいくつか、不規則に見える規則的な動きで地べたを往来している。光は時々瞬いて、緑から赤、赤から緑に切り替わったりする。

 ふとそれらが光量を抑え、じきに消えた。表面の荒れたソイルパネルの端まで作られた、舗装道路のなれの果ての向こうから、ディーゼルエンジンのごつい音が近づいてくる。丘陵の隅に姿を現したそれは、造園業者が使うクレーンで、それも木を吊るようなごついやつだった。バッテリー全盛のこの世の中でまあ随分うるさいことだが、そもそも人家が無いと思っているなら仕方がない。

 クレーンは雑に舗装道路から外れ、よりにもよって昼間植えられた金魚草を踏みつけて、船体外壁ぎりぎりに停車した。

 

 一方、外から見ると真っ暗で無人のはずの平屋の家の中は、明るい照明と環境音楽と、オンデマンドで垂れ流されるアクションホラー映画の音で満ちていた。外の異状を偵察機が伝えるのを眼鏡の端のメッセージ明滅で捉え、住人は手元の書類用極薄タブレットのカバーを閉じた。左上隅にタブレットのメーカー名が印刷され、カバー表面中央に勤務先会社名「あけぼの会病院警備部」のラベルが貼られた量産型青緑色カバー表面隅に「薬師ルリコ」と油性ペンで名前が書いてある。

 住人、薬師ルリコは今まさに、昼間植えた金魚草の苗の植え場所を検疫に提出する書類をひとつ片付けたところだった。

 庭に警備用で放していた、不快害虫に不快なほど似た私設警備監視カメラ群が捉えたのは、金魚草を植えたはずの場所に雑に停まってスタンバイしているクレーンだった。意図は不明だ。

 だが彼女がこの家に住んで長いこと、あの位置に重機を停めてどうこうしているのは反社が海に人をなげる時だった。概ね今回もそうだろう、後続に黒塗り後部座席フルスモークのSUVが2台来ている。あれに雑魚と多少偉いのが乗ってるに違いない。やること古臭いんだからセダンにしときゃよかろうに。そう雑に結論づけ、薬師は青緑色カバーを軽く閉じた。

 船上地表、ソイルパネルの下は雨水ますを経て処理水放出口がある。雨水ますはさておき、迂闊な所に重機を停めるとソイルパネルの接合強度が弱い部分があり、重機が船べりを破壊しながら傾いて倒れるのだが、連中そこは雑に停めているようでわきまえている。しかし、

「えっ……! ちょっと、花!」

 薬師は、蹴倒した椅子に見向きもせず、ぶち抜きひろびろリビングの端へ駆け寄り、衝立の陰の自分のベッド足下の跳ね上げ扉を開いて、中の梯子を地下2階分滑り降りた。

 梯子の終点にあるバブーシュカをつっかけ、跳ね上げ扉が閉まると同時に照明にはいる灯の、暴力的な光量に眼を細める。広い地下倉庫、眼鏡の向いた先の棚に収納してあるものがざっくり表示される。

 「目々連アブハチ追撃追跡V3金・爆発マキビシ」と雑に油性ペンで書かれた白いプラ箱、「対クマ対物ライフル(使用時外注管理係に申請要許可)」と見える側にラベルを貼られたガンケース、「正当防衛セット反社侵入者、レベル4車両対応」と表示されたRVボックスにチェックを入れると、物の乗ったパレットや収納引出が彼女の進行方向にすっとお出しされてきた。

 薬師は白いプラ箱を掴んで布の買物袋に入れて首から提げ、ガンケースとRVボックスの載ったパレットを従え、入ってきた方とは別の梯子へ向かった。

 

 外の状況は芳しくない。クレーンがスタンバイする傍らで、あまり柄のよくない男どもが、雑に括られた、そして見覚えのある、素の顔の男をひとり、黒い車から引きずり出している。

 ああいう揉め方をする場合、この島ではどちらかに賞金がかかっている。まずその確認と、治安維持目的という理由をつけて横取りすべく、薬師は眼鏡に手順と書類を表示した。ついでに申請書類をいくつか待機させておく。

 賞金首を探すと多分、あった。多分モルガン・コティヤールという賞金首常連。名前が違うが若めの男、確認するところはそこではない。

 顔写真を拡大すると、今日は目の瞳孔部分が十六進数数字で埋められていた。

 こいつの賞金は、まれに「死亡可」でかけられるがそれは本人が返り討ちにするらしく、払われたことが無い。大抵は、毎度顔も名前も異なる人物に「生存必須」でかけられる警察からの呼び出し(微罪か任意同行の手間削減)で、正確な追跡は目々連偵察追跡セットを使い倒して追加購入を重ねて何週間も密着取材しないと判らないほど念の入った逃げようをする男だ。

 今回も賞金は全く別の顔と名前で出されており、顔写真のどこかに入っている十六進数で書かれたパーツを見つけないと判らない呼出状となっている。これをわざわざ見つける暇人は、余程彼に用があるか、彼で晩飯代を稼ぎに稼いだ薬師位のものだ。

 副作用で「よく男を換えて連れ歩いている」と若干不名誉な噂をする奴がいるが、元々互いを飯代程度にしか考えてないもの、そういうただしい社会的何とかは別の話だ。

 警察からの木っ端生存対象賞金の寸前に「確実な死亡」で女の名前で、もろに本人対象が一件滑り込んでいる。請けたのがアルフォンソなんとかというすごく長い名前に聞き覚えのある男(寿限無並に長いのでふたつめまで読んで無視した)。「すごく長い名前」と呼ばれている奴だが、実はこれ、実態のある殺し屋などではなく、この島に存在する反社の目標に対する符牒なのだ。要は反社が黙認している(つもりの)警察のスパイ(扱いしたもの)を定期的に粛正する行為開始の合図で、昨今では「警察の犬を吊る定期」と呼ばれる。モルガン君は何かのミスを理由にとうとう担ぎ出されたに違いない。

 それから待機書類、ひとつ、この家の屋根の上からクレーン(の操縦手と、できればワイヤー)を吹き飛ばす為の狙撃の弾数申請。

 警察に送る必要があるが、治安維持を外注に投げるほどの予算人手不足なのに事務は人が足りてる顔をしたくて定時で帰らされる、責任者の居ない受付部署に送ってはいけない。

 通報も兼ねて、ブラック労働大好きワーカホリック担当刑事どもに送る代物だ。

 ふたつめ、吊られた人が海に投げこまれた時の、救難部隊。これははっきり言って蛇足で、首突っ込まなければ知らん顔もできなくはないけれど、これだけはっきり外敵に対して警戒している家で判りませんでしたもくそもない。だが、民間に頼むなら薬師の持ち出しで頼むことになる。外注管理係の刑事が気がつけば、ここは警察に持ってもらえるのだ、無理無理気づかせる。

 書類の不備はない。公務員、やれ。

 薬師は、治安維持目的での外部委託刑事行為引継ぎ・狙撃弾数申請に、警察救難部隊要請(刑事)をくっつけて送信した。

 担当刑事ふたりに文書コールを入れる。これで証拠は残った。

 その書類作業中に彼女の身体の方はガンケースをふたつ担ぎ、靴を履き替え、口より若干大きな何かのカートリッジを咥えて梯子を上がった。このまま上がるとガレージを経てその屋根に出る。そこから1kmはさすがにないが、500mは先の端っこが現場であった。車を動かさなければならない。

 

「やーめーてー、ぎぼぢわるい……やーめーてーおうちかえりたい……ぼくなにしたんですか……なにかのまちがい……」

 モルガン・コティヤールは、道すがら注入された何かの薬物で視界がぐらぐら揺れて気持ちが悪いと必死で訴えた。

 何かの間違いもくそも、警察の建物に(上の指示もあったとはいえ)しょっちゅう出入りしていれば、いつか何かの不具合があったときの警察の犬を吊る定期に供されるのはわかっていた。だから毎度顔も名前も、声や喋りもそれなりに違えていたのに、どこで何が悪かったのかまるでわからない。

 逃走防止に注射される薬物が半端に効いている。彼を素で連れていけばどこかで皆殺しにするのは有名だから、無力化をしているのはわかるが気持ち悪くてかなわない。一巻の終わりにしたいならもう少し気持ちよくして欲しい。

 大体、本来、薬物対策として、解毒補助チャンバーを内臓の適当なところに医者任せで装着しているから、そこら辺で流通してる薬物は致死量以下は効かないと言ってるのにそれを超えて猛烈に突っ込むから脳にも悪いし勘弁してほしい。一体どんな薬剤なのか。新製品の実験かなんかか。

 それより何より彼は、反社の仕事を生涯この上ないほど真面目にやっていて、警察様にも大したことは言ってない。はずだった。

 いやがられたのそういうとこか。もうやめたいこんな仕事。死ぬまで止められないとか仕事じゃないのでは。

「兄貴、死にますよそんな量食わせたら、こいつ……俺やだな……永遠に祟りそう……」

「頑丈に作ったから死なないって、多聞先生のお墨付きで。もう少し入れちゃれや」

 頭の上で、ええ……と呟く声がして、腕に刺さった極太の針とチューブから冷たい液体が入り、それとほぼ一緒に胃液がせり上がってきた。

「げっ吐いた」

「こんだけ入れて吐く位で済んでるんじゃ、普通やったら死んどるし、ほれ、入れた量のメモとらんかい。リサ先生待ってるで」

「あっはい……いやまあこいつこの位してないと出発直後に俺らの首飛んでますけど、ねえ……」

 多聞先生。モルガンの脳裏に変わった町医者のシワ首と小さい背中が思い浮かぶ。嫌な爺さんだとは思っていたが、えらい若い嫁さんと一緒にドラッグ作って売ってるなどとは聞いたことがない。何だこの、ヒトの雑な扱いは。

 彼にも、あの夫婦が異常者なのはうすうす判っていたので、前から来い来いとせっつかれていたあけぼの会病院系の医院にかかりつけを移そうと思っていたが遅かったようだ。

 それには今住んでいる船ではなくて、「☆あぐらいあ☆」船上か、島嶼側に住む必要があって、いつか、この仕事を、やめて、知らん顔して堅気になろうと、おもっていた、のに……

「しんじゃう」

「教えたように答えれりゃ楽になっから」

 クレーンで人を吊って禅問答の後、海に放り込んで見せしめとする謎の様式美のために連れていく。警察の犬を吊る定期というやつ、つまらんことで死ぬもんだ。何のミスしたかもわからない。名前も顔も毎回違えてたのに、何かミスがあったけども、わからない。

 尻の下の振動が止まった。一巻の終わりというやつか。何のミスしたんだか全くわからない。誰かおしえて。きっとわかんない。

 

  地上階ガレージ内部に至った薬師は、少しだけ寄り道をした。着替えと、四駆のルーフ上フックにガンケースから出した、ライフルよりごつい銃をカラビナで留めて、落ちないように置いておき、その助手席側右下方に設置された読み取り機に、咥えていたカートリッジを差し込むためだ。無人運転だけなら自動設定でよいのだが、戦闘車両としての面倒臭い挙動はこれがないとやれない。それなりに頑丈な車、今回もよろしくお願いします。

「さて、じゃ行くか」

 夜闇より黒い塗料で塗ったフード付きスウェット上下と靴を着込んだ薬師は、対クマ対物のガンケースと、ふたたび屋根への梯子を登った。

 外は丁度、クレーンの後続が到着し、人を下ろして括っているところだ。黒塗り高級車が2台。先行に吊られる男、後続に偉いがひとり。あとは4人ずつ、運転手、護衛等。若干の階級差はあるだろうけど、見たところ身体に一番金がかかっているのは吊られる予定のモルガンひとり、後はまだ人間だ。

 いくらでもやれる。

 彼女は屋根に上がり、首から提げた布袋から白いプラケースを取り出し、蓋をあけてひっくり返した。ぷいぷいと羽音をたてて、中に詰まっていた蝿虻蜂が飛び立った。

 丁度その時、外注管理係の担当刑事から委細了解の四文字と、「許可用途による弾数は一発」という、あとひと声ほしかった短文が視界に送りつけられてきた。

 口を開かず内心ふざけるなと吠えながら、薬師は「対クマ」ガンケースを開け、クレーンの操縦者ごとワイヤーの果てまで吹き飛ばす用意を始めた。上手く当たるかどうかはわからない。まあもし上手く海に落ちなければ、下がったままか地面にどっさりだ。そこまで責任はとれない。

 長い銃を組み終えた薬師は水平のガレージ屋根に銃を置き、構えた。暗いのが難敵だか、先程放った蝿が到達しつつある。複眼に映った画像のいい感じのいくつかが送信されてきた。それに合わせて銃の角度と向きを修正する。後は、今まさに括られている男の塊が動き出すのを待っている。いまいち高さがわからない。

 と、クレーンから音がした。人らしき塊が動き始める。縛り上げられているようで、だらりと脚の影が垂れており暴れもしない。

 救難を頼んでいてよかった。あれでは落ちたら泳げない。薬師は一層集中した。

 塊と操縦席の回転が一旦止まった。人の声が複数聞こえてくるが、何を言っているかは彼女にはわからない。おそらく禅問答タイムだ。カメラ機能を重視した飛ぶものを使ったのは、タイミングを測るのに少しまずかった。音声情報はあまり重視していなかったのだ。

 薬師は、声が上がり終わるのを待った。クレーンの音が再び聞こえてくる。操縦席は動かない。どうやら下に下ろしているようだが、おそらく海面に至る前にワイヤー長さが終わってしまうので、クレーンフック電磁石のスイッチが切れてどぼんで終わりか。よし今だ。

 弾金を引くと、うまいこと操縦席の中身が破裂し、操縦席前側の強化ガラスが吹き飛んだ。男の塊は見えない。海に落ちたか、地面か、やっちまったか今は問わない。薬師の身体の下でガレージの自動扉が開く音がした。合わせて飛び乗らないと自分だけ取り残される。

「とうっ」

 向かう先では、カメラに続いて到達した羽虫型マキビシが自爆を始めた。カメラは用済みで退去しているはずだが、半数も戻ってくれば御の字だ、気にしない。

 薬師はルーフに置いておいた軽量分隊支援火器を普通に構えて撃ち始めた。なんと入れ食いではないか。頑丈な護衛くらい連れておけばいいものを。

 車が3~4人撥ねた。敵は皆生身ではないがほぼ全員人工身体(生活外殻)らしい。これは恐れいる。次々撃てば血も流れずに腕脚が飛んでいくやつが4人。

 彼女は内心縮み上がった。よくそれでモルガン・コティヤールなど海に沈めようと思ったものだ。おっかない。よく殺しておかないと、個人やしょぼい陣容で挑めば後で必ず私怨で襲ってくるのに。

 反撃らしく、多少口径の小さい弾丸が身体のあちこちをかすめたが、こちとらあけぼの会病院謹製・戦闘外殻もビックリの戦闘用ほぼ生ボディ(正式名称までいちいち覚えてない)、この位で裂けたり切れたりどうかなるようにはできていない。モルガン君のすごい刃物と戦闘外殻の出力で斬りつけて漸く傷物程度だ。

 あまりの手応えのなさに、周辺にまともに動くものが居なくなって初めて止まった車の上で、薬師は首を傾げて少しだけ考えた。カメラの蝿と虻が数匹残っている。それで物陰と、乗員の消えた黒塗り車の車内を伺うと、一般的な黒カバー付き書類用パッドが放り出されていた。薬師は軽機関砲を四駆のルーフ上フックにくくりつけて飛び降り、開けっぱなしの目標車両後部座席に首を突っ込む。カバーを開いてみると、書類そのものは送信済みで、小さなメモに書き付けて送ってある。送信先はTAMON,LISA、聞いたことがない物の名前と、正の字がついて300ml×4。

 視界画像だけ保存して、彼女は上半身を車の後部座席に突っ込んだ姿勢でふと気を抜いた。と、背後で四駆の駆動音と人の声がして、土を擦る音が少し離れて止まる。慌てて身体を抜こうとしたら、服ごと一気に大きな人の手に掴み出された。

「ぎゃっ」

 そのまま地べたに放り出されて転がる。起き上がろうとしたら背中から踏まれてもうぐうの音も出ない感じで息が出た。

 このまま踏み抜くつもりか、靴裏にどんどん荷重がかかってくる。迂闊にも、やった数を勘定しそびれたようで、どうやら一番強そうな奴が残っていたらしい。

 外見が見えない上に無言で行為に及んでいるので実態が掴めないが、とりあえず胸を踏み抜かれる前に抜け出さなければなるまい。薬師は胸脇に手をついて、膝を支点に力をこめた。視界が明滅する。法的限界出力逸脱の警報。これをやると後で病院にお呼び出しだがいつものことだから次のメンテ時にまとめて呼び出される。逸脱レベル2。ちょっとした力比べだ。

 喧嘩猫の汚い咆哮を発して、薬師は一気に起きて足の主を斜め上に吹き飛ばした。すぐ離れて車に轢かせるか、もう少し力比べか、組んで投げるか。組んで力比べで投げて車に轢かせる。

 なんやガキぃと叫ぶわざと訛った罵声がしたが彼女は一切構わない。ガキとはひどい、泣く子に困る成人女性だぞ。

 薬師は、突進してくる岩のような男の身体を避けずに受け、組み合った。かなりカネをつっこんだ硬い戦闘外殻なのが初めて判った。最大どこにカネを突っ込んでるかは知らないが、こんなの車で轢いたら車が潰れてしまう。持ち上げて、走って運んで海になげる。

 海になげる。出力法的限界最高、視界が青白い警告で埋まる。薬師は男を腕だけで持ち上げて駆けだした。自分より小さい身体に運ばれて狼狽えた声が頭上でする。

 海べりだ。汚い咆哮とともに、持ち上げていた岩を放り投げたつもりだったが、投げられた男の手が彼女の服を掴んでいた。しかもスウェットとシャツごと。

 服の縫い目が音を立てるが都合良くは裂けず引っ張り合いになり、薬師は自分で上着を引き裂いた。荷重がふっと軽くなり、男の悲鳴と、少しして水音が聞こえた。

 下をのぞいても、暗くてよく見えない。と、丘陵の向こうからふたつの光るものが現れ、少ししてエンジン音が聞こえてきた。

 同時に救難部隊からの苦情がよせられる。明らかに違う人が落ちてきたぞ。助けておくけど。

「えっモルガン・コティヤールどこ。背の高い若めの男のはずなんだけど。それどっかの反社、クマみたいな岩でしょ」

『落ちてきた方がクマですね。じゃモルガンくんこの人じゃないですね、捜索続行しますね』

 最後に残ったカメラ蝿では、下の海を照らした救難部隊の照明が逆光になってよく見えない。と、大昔しつらえられた島嶼外構造物、昔放置された病院名の文字看板の、今にも壊れそうな隅っこに何かが引っかかっている。

 背後で2シーターの軽が停まる軽い音がして、これはひどいとかよく暴れたとか言いながら男がふたり降りてきたのが聞こえるが、薬師は全く構わず下を覗き込んでいた。あれなら自分で引き上げられるだろうか。いやもう疲れたから救難の人に頼もう。

 位置を送信していると、隣に寄ってきた男から背中を叩かれた。

「薬師さん、ちょっと薬師さんね、おーい」

 背中を叩いたドカジャン男の反対側に、挟む形でスーツの男が立つ。包囲された。

「は? あ……井筒さんですか……」

「仁藤でーす、おい、無視すんなってネエさんや。なんてカッコしてんの」

 外注管理係の担当刑事どもだ。スーツ姿の男性、井筒とはだいぶ付き合いが長いが、若い方のドカジャン着た仁藤はこの前配属されたばかりで、付き合いが短く話がツーカーで通じないので、めんどくさいのもあり、互いに用のあるときだけ構っている。

 薬師は身を起こして、軽く井筒の方に軽く会釈し、仁藤にはちょっと手を挙げて応えた。

「やー参りましたよ、まだ居るんですね、ひとんちの目と鼻の先から人ば投げようっていう反社屋さん」

「やりすぎではありませんか」

「いやそうでもないですね。下になげた奴、岩みたいに硬い戦闘外殻してたから……後それにくくってなげられた奴が、モルガンくんでして、おそらくなんか汁漬けになってます。多聞リサって誰ですかね。車ん中の書類パッドで何かメモが送られてるから、ついでにどのくらい汁入れたら死ぬかやってたかもしれないですね。わからんけど。早く助けてやってください。もう疲れた」

「すぐに寄越しますよ。救難費用も警察持ちです、心配ご無用」

 停まったままの四駆の後部座席から、入れっぱなしのコートを引っ張り出して、薬師はそれを羽織った。冬に突っ込んでから取り出していないのでちょっと不安があるし暑い。丁度いいから他のものといっしょにクリーニングに出してくるか。

「あ、井筒さん。さすがにこの有様だとモルガンくんにかかった賞金、少しはうちに入りますかね」

「治安維持目的で横取りしたでしょ。交渉次第ってやつです。お任せください」

 そりゃありがたい、と薬師は四駆の車体を軽く叩いた。勝手にエンジンがかかり、発進してガレージに戻っていく。

「ガソリンスタートですか、旧式ですね」

「なんか有ったときに総バッテリーだとお家帰れなくてね」

 彼女のふと見やった水平線にいくつか照明が現れた。漁船の所属が視界に表示される。

「口頭で賞金の支払い確認なんて珍しい。今月分にお困りですか?」

 井筒の問いに、薬師は大きく溜息をつき、わざとらしく肩を落とした。

「いや、このくそったれクレーンが、せっかく検疫超えてきた花ば踏んじゃって、苗と申請料金と手間がパアに……」

「あーそれは……ご愁傷様でした……」

「ひと死んでないからそこまでは……ただちょっと悔しい」

 井筒と仁藤が顔を見合わせて苦笑するのを横目に、薬師は自宅を振り返って、車が戻ったガレージが閉まるのを確認した。

 この辺もそろそろ、自動哨戒した方がいいんだろうか。予算どこから捻出しようか。彼女は月の出費を思い出し、首を傾げて考えるのを止めた。

「お留守にして平気でしたら、署までご同行願えますか? 午前中に帰れるようには努力いたします」

「じゃ、ちょっと片付けて出かける用意してきます。待ってて」

 薬師は疲れ顔で、こきこきと首を左右に曲げながら、ひとりで家へ向かって歩き出した。

 生存で賞金をかけられたモルガンを拾ったときの、恒例・取調室禅問答タイムが待っている。反社の賞金横取りしたから、それも少しかかるか。

 朝から休日だ。休日の予定は買い出しなのだが、せめて返上になりませんように。そう内心祈って、彼女は買物リストを頭の中で組み立て始めた。

 

 【了】

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