第9話 妻に怒られる私



私は、人生に対して淡白で、ひどく欲の少ない男でした。

別に金持ちになりたいとか、いい会社に勤めたいとか、いい地位につきたいとか、名誉が欲しいとか、高校生くらいになるとそういうことを思うものかもしれないけれど、私にはそういう欲がなかった。


それだけではありません。

美味しい高級な料理が食べたいとか、大きな家に住みたいとか、キレイな奥さんが欲しいとか、そういう欲もなかった。


では私がもっていた欲とはどんなものだったろう?


ひとつはヨーロッパを長期旅行したいということ。


そしてもうひとつは、女の人に愛されたいということ、殆ど、このふたつくらいでした。


でも、このふたつは強烈だった。それこそ、身悶えするほど猛烈にほしかった。


そして19歳の時、縁あって1年ほどスペインに行くことができ、そこで恋愛も色々と(色々?)経験した。


その頃はまだ子供で、スペイン滞在を楽しむと同時に、愛することよりも、愛されることを望んでいた。


親とも殆ど関係が切れ、父親とは17歳の時以来会っていなかった。


スペインで酒を覚えたが、飲むのは安い酒ばかりで、高級料理店へは行ったことがない。

そんな金はなかったし、特に行きたいとも思わなかった。


それまで苦しいことしかなかったような人生だったが、スペインで充分充電した私は、日本に帰ってやっぱり生きていかなきゃいけないと思い、高卒の資格を取り、親に大学にも行かせてもらい、卒業した。


しかし、スペインに1年住み、何人もの女性と付き合ったあと、20代半ばになって、やはり何の欲も残っていなかった。


もう、以前ほど海外に行きたいと思わなくなったし、以前ほど、女性に愛されたいとも思わなくなった。


逆に、ひとつだけ欲をあげるなら、愛する女性と巡り会いたいと、それだけは思っていた。


もう20代も後半だというのに、社会で何者になりたいのか、どんな人生を築きたいのか、皆目わからなかった。


どうしていいのか見当がつかないまま、ただ漠然と最低の生活を送りながら、子供の頃夢に抱いた作家になりたいと思い、同人雑誌の仲間に入った。


そこでも、周りの方たちは、文学界の最終選考に残ったり、ある方は、新潮新人賞を受賞した。


新潮新人賞を受賞された方の祝賀会で、雑誌「新潮」の編集者の方と知り合い、たまたま原稿を読んでいただき、「スペイン時代のことを書いてみてください。読んでみたいです」

とハガキをいただいたが、結局書かずに終わった。


すでにスペインに関しては駄作をひとつ書いていたので、もう書く気にならなかった。書いても、即ボツだったろうと思う。


正直を言うと、私は何人もの女性と恋愛してきた。そして、その女性たちの助言でその時その時やってきた、典型的なダメ男なのです。


30年前に妻と知り合ってからは、もっぱら妻と子のために生きてきたようなものだ。妻と知り合ってからは、妻以外の女性とは一切関わっていない。


欲がなかったが、やはり結婚してからは妻にいい思いをさせようとか、金持ちになろうとか、子供をいい環境で育てようとか、色々頑張ったけど、結局うまくはいかなかった。


私は21歳の時に不安神経症を発症し、未だに妻に不安なことや、暗いことを言ってよく怒られる。

そして何よりも欲がないので、妻にいい思いをさせられない。


欲がない。

私の人生の根底にあるものは、この一語に尽きると思う。


欲と人生。

これは複雑な問題だ。


幸せとは何かという問題とも関係してくる。

こんなことばかり言って、ろくに金を取ってこれないから、また妻に怒られる。


もう少し欲があれば、もう少し自分もまわりの人も幸せになったのだろうか。


よく、分からない。

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