第31話 魔王の補佐


 バゼル。


 魔族最強種の飛竜種であり、金色の瞳は純潔の魔王たる証。

 目の覚めるような緋色の髪とは打って変わり、性格は冷静沈着。多少茶目っ気のあるところも魔族らしくて好感が持てる。


 というのは魔王という立場からすれば、の話だ。


 ひとたび私が悩めば面白そうに様子を伺いに来るし、最適な解答があってもそのヒントをわざと遅れて提示したり、厄介な弟がいる気分だ。


 説明を省き癖のある彼が澄まし顔の下で何を思い考えているのか、私ですら分からない。


 前々から彼女を…シェリーを面白がる節があり警戒すべきかただの戯れか測りかねていたところ、やはり私に名を与えたのが許せなかったのか案の定抗議の声を受けた。


「あれに、付けさせたんすか…」

 

 その言葉の裏にある心情を察し、私は彼を逆なでしないよう静かに伝える。

 私の半分はそれを認めていない、と。


 それは本当のことだった。

 どうしても呼び名が欲しいと願ったのは今でも驚くような咄嗟の判断だったが、私の中の魔素の半数が拒否した。

 それは恐らく、半数はこの国を愛するが故だろう。


 バゼルもなんだかんだと言って、この国を心から愛している。恐らく、私と同程度。

 だから私が従属の意味を含む名を与えるという行為を許したことをあんなにも怒ったのだろう。

 名を許せば私は確実に、今以上に彼女に固執してしまう。

 そうなれば国政も管理も全てのバランスが今とは変わってしまう。色恋とはそういうものだと私の魔素にある記憶が知っている。


 だから、バゼルも気にしていたのだろう。

 ありがたいことだ。


 ある意味立場を奪ってしまった私の補佐を買って出てくれ、私を誰よりも信用し支えてくれる。

 今まで私が他の魔族と関りがなくても仕方ないと思えた一因だろう。


 そんな彼にも欠点と言えるべきことがひとつある。


 共感力の無さだ。


 自身の認めた者以外、ほとんど有象無象としか思っていないのだろう。

 飛竜種では比較的よくある性質だ。個性と言えるものであれば良いが、粗雑でどうとでも受け取れる曖昧な返し、合っていても宙を見ているような視線。

 同族である軍の将軍や兵にはしっかり意思疎通が取れるものの、それ以外は名前と顔が一致するかどうか。いや、それすら覚えているかどうかだ。


 いつか同族以外の他者にも思いやりを持てるようになれば良いと思っていたが、良い機会だと彼女の持つ感情のみを共有した。

 ごく短い間だったが、それでも飛竜種とは無縁の感情ばかりだろう。


 悲しみ、焦り、孤独、辛さ、喪失感。

 一緒くたにしたそれを受け取った彼は何度か私の握った右手を開いたり閉じたりと確認して息を震わせていた。


 少しは伝わっただろうかと思いながら彼を見ていると、不意にその目が細められた。


「魔王様がそこまで言うんなら、俺は反対しませんけど。」


 その顔に悪意もからかいも無いのを確認し、幻覚かと目を瞬いた。


 仕方ないと言いたいような、まるで子供を慈しむかのような眼差し。

 今までこんな表情は見たことがなく、言葉の意味を咀嚼する前に完全に思考が止まってしまった。


「そんなに気になるならいっそ婚姻でもして手元に置いといたらどうすか?」


 その言葉はすんなりと理解できて感情よりも先に言葉が口から飛び出る。


「な、何を…っ」


 いつも通りの澄まし顔に少しだけ意地の悪い笑みを浮かべているバゼルは、楽しそうに肩を揺らす。

 普段の彼だ。

 そう安堵しながらも、本当は彼女を手元に置いておきたい気持ちがあることを自覚する。


 安全さえ確保できていればどこにいようと彼女の自由だと思う反面、一抹の不安が拭えない。


「これからも通うんでしょう?あの小料理屋。」


「ああ…そうだな。」


 周囲に彼女はきちんと保護対象であるということを主張するためにも、彼女が安心してあそこで働くためにも、それは必要だろう。


 いっそのこと…


「いっそ騎士団を何人か置きましょうか?」


 私が考えたことをバゼルが口に出す。


 安全をより強固にするためにはそうした方が良いのだろう。

 それは分かっているのだが、私の中の半分がそれを拒否している。


「それも考えたが、やはりあの辺境にある小料理屋に騎士団員を配置するのは気が引ける。殺伐とした小料理屋で誰も落ち着いて飲食はできないだろう?」


 バゼルが片方の眉を吊り上げて不思議そうに首を傾げた後、ふっとまた口角を上げる。


「そうですね。魔王様がいれば騎士団より心強い。俺が浅かったです。」


 棘のある言い回しに私は口を挟もうか迷ったが、眉間に手を当て告げる。


 やはり誤解されては信頼関係の悪化に繋がりかねない。

 きちんと話しておいた方が良いだろう。


「騎士団の力を信用していない訳ではない。あの自治区に赴いても住民たちが不安を覚えるだろうから、大々的な警護はやめた方が無難だと判断したまでだ。」


「分かってますよ。さすがに騎士団も鍛え直してるんで、今なら魔王様とも良い勝負ができるはずです。」


 私はそういう意味ではないのだがと思いつつ肯定の笑みを浮かべた。


 あれから、とは私に壊滅された騎士団のことだ。

 当時とは団員に入れ替わりが多少あったものの、私を慕ってくれる者も少なくはない。それ以来、顔を合わせて挨拶をしてくれる者はいるが、かえって恐れ多いと敬遠されている節がある。


 皆活気のある良い者ばかりなのだが、バゼルのように心を砕いてくれるまでには至らない。


「そうか…近く騎士団へ顔を出そう。」


「分かりました。ではそう騎士団長へ伝えます。」


 部屋を出る前に彼は簡易転移術式を発動させると、数枚の資料を机の上に置いた。


「喜びますよ、アイツら。」


 そう微笑むバゼルは、嬉しそうだった。


 やはり同郷の者の方が親しみやすいのだろう。

 朝の鍛錬を一緒にしていることは知っている。元魔王第一候補だったからか、彼らとの信頼関係は厚い。


 そんな彼が私の補佐として側に残ってくれていることに改めて感謝を覚える。

 彼ほど優秀な補佐はいない。多少茶目っ気があるが憎めないところも好感を持てる。


 確か、前魔王弟の子が騎士団に入団したと聞いた。

 きっと彼と似て…悪戯好きなのだろうか。


 彼が残した資料へおもむろに手を伸ばすと、そこには婚姻届けの申請書類が混ざっていた。


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